第26話 三人で。


「ほらね。ボクの言った通りじゃないか」


「…………本当ですか?」


 ──翌日の金曜日。


 結局、緑川の自宅で朝を迎えたゆらぎは、昨日、彼から受け取った服に渋々ながら着替えた。

 

 女性物の服に袖を通したのは、事務所に所属した日以来のことで、なんだか恥ずかしさが込み上げる。


「うん。似合ってるよ。念のため、ウィッグは着けてもらうけど。すぐに気づかれたら楽しみも減っちゃうし。黒瀬にメール送った?」


「送りましたけど……」


 緑川の指示通りに急用が出来たと、黒瀬に嘘のメールを送った。しかし、返って来たメールは『了解』の二文字だけで、無機質な文面から彼の感情は窺えない。


 先輩の誘いを当日に断ったのだから、良い印象がないのも当然かもしれない。


 実際は変装をしたゆらぎが、緑川と共に現地に向かうわけだが。


「よし、これで準備はオーケーかな。それじゃ現地に向かおうか」


「どこに行くんですか?」


「それは着いてからのお楽しみ」


 ゆらぎの問いに、緑川は車の鍵を手に、悪戯めいた笑みを浮かべた──。


 

 黒瀬より一足早く目的地に到着した二人は、すでに人で溢れているテーマパークに辟易へきえきとしていた。


「平日の昼でも、こんなに混んでるんですね」


「夢の国に平日の昼も夜も関係ないんじゃない? それより、手、出して」


 ゆらぎは言われるがままに手を差し出すと、緑川は何の躊躇いもなく、手を繋いだ。


 人混みの中で、はぐれないように。という緑川の配慮なのだろうが、彼に触れられた瞬間、少しだけ体温が上昇するのを感じた。


 彼があまりにも自然に振る舞うため、手を振り払うことも出来なかった。


 端から見れば、付き合いたての恋人同士に見えなくもない。


 何せ、ゆらぎは今、男装姿ではなく、女性本来の姿をしているのだから。


「……誰」


 黒瀬の到着を待つ間、辺りを散策していると、後ろから声が聞こえた。


 振り向くと、そこには戸惑いの表情を浮かべた黒瀬が、飲み物を片手に立ち尽くしていた。彼の視線は女性の姿をしたゆらぎと、彼女と手を繋いでいる緑川に集中する。


「よく、分かったね。ボクらがここにいるの」


「お前のことだし、その辺をうろちょろしてるんだろうなと思って。で、その女は何? 彼女?」


 不機嫌を滲ませた声音で、黒瀬は問う。


「まさか。黒瀬を差し置いて彼女なんか作るわけないだろ。白石くんが今日来られないって言うから、代わりの子を連れて来ただけ」


 緑川は日々仕事でつちかってきただろう演技力で、しれっと嘘をつく。


 もちろん、隣にいるゆらぎも黒瀬に嘘をついているのだから同罪だ。


 ゆらぎは黒瀬に正体を気づかれてしまうことを怖れて、顔を上げることが出来ずに、俯いたまま二人の会話に耳を傾ける。


「にしては、ずいぶん無愛想だな。挨拶も出来ないのか」


「黒瀬が想像以上にイケメンだから、驚いてるんじゃないかな」


「ふーん……」


 黒瀬は女性姿のゆらぎに興味がないのか、それ以上の追及はしなかった。


 先頭を歩き始めた黒瀬の後ろで、緑川がゆらぎに小声で耳打ちをする。


「分かってると思うけど、声変えてね。声優なんだから、それくらい出来るでしょ?」


 小さく頷くも、ゆらぎの内心は後悔で溢れていた。出来るかと問われれば、やるしかない。


 こうなってしまっては、もう後には引き返せない。黒瀬には悪いと思いつつも、今日という一日を徹底的に騙し通すことを決意した。

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