第19話 悪魔の笑顔。


「白石くん! 昨日はどうして返信をくれなかったのですか? 何度も連絡したんですよ」


「すみません……」


 スタジオに到着すると、心痛な面持ちの赤坂が、ゆらぎに詰め寄る。


 緑川から携帯を返されたことに安堵し、赤坂からのメッセージを確認し忘れていた。


「赤坂さん、すみません。悪いのはボクなんです。昨日、ボクが飲み過ぎてしまって……白石くんに介抱してもらったんです」


 赤坂との会話に割って入ったのは、事の原因を作った張本人、緑川だった。


 昨夜の出来事を自身の都合の良いように、少し改竄かいざんしているが、あながち間違いではない。


 緑川の視線が不意に、ゆらぎに向けられる。要するに『話を合わせろ』という目配せだろう。


「終電も過ぎていて、歩いて帰れる距離ではなかったので、緑川さんのところにお邪魔したんです。次からは気をつけます」


 弱みを握られるとはこのことなのか。

 多少の罪悪感を抱えながらも、緑川の嘘に加担する。


「それならば仕方ありませんね。でも、次回からは気をつけてくださいね。収録に遅刻……なんてことはご法度ですから」


「はい」


 赤坂に咎められていると、緑川がお得意の微笑で場を和ませる。ゆらぎには彼のその笑顔が、悪魔の笑いにしか見えなかった。



「災難だったな、白石」


 収録室へ入ると、一足先に現場入りしていた黒瀬の含み笑いが、ゆらぎを出迎えた。


 当然、黒瀬は緑川の酒癖の悪さを知っていた上で、ゆらぎに黙っていたに違いない。


 先輩二人の洗礼に不満を覚えるも、何も言い返せないのがツラい。緑川に至っては、ゆらぎの秘密を知っているが故に、強く出られないのが悔しさを倍増させる。


 こんな四面楚歌しめんそかの状態で、最終日まで無事に収録を終えられる気がしない。


「何がですか」


「昨日、緑川と飲んだんだろ? 絡み酒してくるからな」


「酷いな。ボクは黒瀬に絡み酒なんて、みっともない真似、一度だってしたことないよ」


 緑川の白々しい態度も、ここまでくると、ある種の感心さえ覚えてしまう。


 ゆらぎは嘘で塗り固められた人物に、冷ややかな視線を送る。


「ん? ボクの顔に何か付いてる?」


「いえ、清々しいなと思いまして」


「それはボクに対しての言葉?」


「良い意味ですよ、ウグイス先輩」

 

 ゆらぎの嫌味を含ませた声音に緑川が反応し、ぴくりと眉を動かす。お互いにバチバチと視線を交差させ、見えない火花を散らしていた。


「仲良いな、お前ら」


 様子を眺めていた黒瀬が茶々を入れると、二人の鋭い視線が黒瀬に向けられた。


「は? 黒瀬の目は節穴なの?」

「一度、眼科へ行ってください。黒瀬先輩」


 二人の息ぴったりの反応に、黒瀬は苦笑して、その場の空気を誤魔化すしかなかった。



 二日目の収録が無事に終了し、各々収録室を後にする。黒瀬は午後から別件の収録の為、タクシーに乗り込み、現場へ向かった。

 一人残されたゆらぎは、他に予定もなく事務所へ戻る。


 寮の自室に戻る前に事務室へ立ち寄り、スケジュールボードを眺めた。


「んー……やっぱり無理だよね」


 ゆらぎは黒瀬の日程を確認して、独りごちた。彼の予定表は様々な仕事で埋め尽くされており、丸一日オフの日は一ヶ月の間に三日しか無かった。



『お金は要らないよ。ボクが欲しいのは──』


 早朝のタクシーの車内で、緑川がゆらぎに囁いた言葉が脳内で再生される。


『黒瀬の休みを教えてよ』


『それは本人に聞いたら、どうですか?』


『それじゃ意味がない』



 ──あの時の『それじゃ意味がない』とは、どういうことだろうか。


 彼は一体何を企んでいるのか。

 そして、私に何をさせようとしているのか。


 誰も居ない事務室で、ゆらぎは諦念のため息を吐いた。


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