第17話

 二人がダーツバーを出る頃には、とうに終電も過ぎていた。タクシーに乗り込み、緑川の住まうマンションへ向かう。


「悪いんだけど、コンビニ寄って水買ってきて」


 緑川はタクシーの車内で、左側のドアに寄りかかり眉間にしわを寄せて、苦悶の表情を浮かべている。


「オレがですか?」


「お前しかいないじゃん。他に誰がいるんだよ」


「分かりましたよ……」


 何故に私が酒に酔い潰れた緑川の世話までしなければいけないのか。


 そんな不満を抱えながらも、タクシーを停めてもらい、緑川から受け取った一万円を手にコンビニへと向かった。

 

 ミネラルウォーターと二日酔いに効きそうなドリンクを購入して、再度、タクシーに乗り込むも緑川は車内で眠りに落ちていた。


 人に水を買わせておきながら寝てしまうとは、あまりにも勝手ではないか。だが、緑川が寝ているのなら、取り上げられた携帯を探すチャンスかもしれない。


 緑川のジャケットのポケットへと、恐る恐る手を伸ばしてみる。


 すると、


「寝てないから」


 眠っているはずの緑川が目蓋を閉じたまま、ゆらぎの行動を制止した。


「そうですか……。起きてるなら反応くらいしてくださいよ。後、お釣り返します」


「あげる」


「え? 結構な額ですけど」


「んー、うるさいな……。着くまで黙っててよ」


 緑川は不機嫌に言い放ち、会話を拒絶する。


 黙れと言われたゆらぎムッとしながらも、マンションに到着するまでの間、車内で一言も発することは無かった。



 緑川の自宅は都内の一等地に建つ、高級マンションだった。


 部屋に通されたゆらぎは辺りを見渡す。白い革張りのソファと、物一つ置かれていない綺麗なガラステーブルが室内の中央に設置されている。壁際の大き過ぎるテレビは、おそらく最新型の物だろう。


 率直な感想として、緑川はかなりの額を稼いでいるに違いない。でなければ、このような場所で贅沢な生活を送れるはずがない。


「さっき寝たから酔いが覚めたな」


 ソファに腰を下ろした緑川は、ペットボトルの水を半分程一気に飲み干して息を吐く。


「それは良かったですね」


「携帯返すよ。……なんか悪かったな」


「いえ、別に」


 緑川は少し、ばつが悪そうに視線を逸らしてゆらぎの携帯を差し出した。あっさりと携帯を返され、なんだか拍子抜けしてしまう。


 数時間前の苦労は何だったのか。


「もう、遅いし泊まって行けよ」


 視界に入ったデジタル時計は午前三時を目前に迫っていた。翌日の収録は午前十時からの入りで、今から寮へ戻るにしても手段はタクシーのみだ。ならば、ここは素直に緑川の言葉に甘えた方が得策かもしれない。


「じゃあ、お言葉に甘えます」


「悪いけど、君はソファで寝て」


 ゆらぎに言い残し、まだ少しふらついた足取りで緑川は自室へと消えた。



 ──翌朝。


「おい。起きろ」


 眠っていたゆらぎの頭上に、緑川の不機嫌な声が落下する。ゆっくりと目蓋を開くと、案の定、仏頂面の緑川が彼女を見下ろしていた。


「……いま、何時ですか」


「八時」


 昨日は結局、緑川さんの家に泊まったんだっけ。


 起き抜けの状態で、ぼんやりと昨日のことを反芻する。収録の初日から先輩に絡まれ、散々な一日だった。これが二週間も同じ現場で続くのかと思うと、今から気が重い。


 しかし、緑川はゆらぎの気持ちなど露知らずの余裕な素振りで、モーニングコーヒーを嗜んでいた。


 その姿さえも絵になるのが腹立たしい。


「君もコーヒー飲む?」


「……頂きます」


 キッチンから戻って来た緑川から、白いカップを渡されて受け取る。ブラックコーヒー特有の渋味の効いた香りが鼻腔をくすぐった。


「で、一つ聞いてもいいかな」


「なんですか?」


 猫舌のゆらぎが、コーヒーを冷ましていると、緑川の口から衝撃的な言葉を告げられた。


「──君って、『女の子』だよね?」


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