第16話 相方はボクだから。

 時刻は午前一時を迎えようとしていた。

 初日の収録を終えてから約五時間以上経過している。


 ゆらぎは緑川に連れられて、都内某所の会員制ダーツバーを訪れていた。


「チッ……どうなってるんだよ」


 悪態を隠そうともせずに緑川は、カウンターテーブルに肘をついて、カクテルを下品にあおる。その眼は完全に酒に呑まれていた。


「そう言われましても……」


「素人だって言わなかったか、お前」


「言いましたよ。ダーツなんてしたことないです」


「嘘つくなよ。じゃあなんで俺が負けるんだよ」


 緑川にダーツ勝負を挑まれてから、このやり取りを、かれこれ五回以上は繰り返している。原因は勝負をしても緑川が何度も負けてしまうからだ。


 ゆらぎは生まれてこの方、ダーツの経験は全く無い。基本的なルールすら、よく分かっていないまま、緑川に全勝するという快挙を成し遂げていた。


 目下、負け続けて完全にふて腐れてしまった緑川は、カクテルを何杯も呷っては、ゆらぎに不満をぶちまけている。


 帰りたい。今すぐにでも帰りたい。


 それがゆらぎの現在の切実なる心境だった。


「緑川さん、そろそろ携帯返して貰えませんか」


「駄目だ。俺が勝つまで携帯も返さないし、帰すつもりもない」


 緑川に携帯を取り上げられていては、誰かと連絡を取ることも出来ないし、帰ることも出来ない。


 黒瀬に至っては、緑川の嘘が散りばめられたメールを信じ込み、疑ってすらいない。


 ダーツバーに入店してから三時間経過し、そろそろ眠気も限界に近かった。



 そもそもの事の発端は、緑川がゆらぎに敵対心を抱いたことだった。


『黒瀬の相方はボクだって相場が決まってる。なのに、勝手に割り込まないでくれないかな』


 タクシーが目的地へ向かう道中の車内で、緑川は何の脈略も無しに突然そう言い放った。


 その言葉を聞いたとき、ゆらぎは、この人は役を取られたことに腹が立っている訳ではなく、黒瀬の隣を取られたことに憤慨ふんがいしているのだと瞬間的に悟った。


 ということは、緑川さんは黒瀬先輩に好意を抱いているのか。


『勘違いしないで欲しいんだけど、黒瀬はボクにとっての演者のライバル。だから、新人の君なんかに邪魔されたくないんだよ』


『なるほど。では、黒瀬先輩に恋心を抱いてるわけではないんですね』


『は? 何言ってんの。ボクが好きなのは女の子だけだから』


 堂々と女性好きを公言するのも、正直どうなのか。しかし、事実がどうで在れ、ゆらぎには何の関係もないことだ。



「緑川さん、明日も収録がありますよね? 早めに切り上げないと」


「じゃあ、今から俺の家に来いよ。勝負は持ち越しだから」


 持ち越しも何も、緑川さん、ずっと負けっぱなしですけどね。


 緑川はカウンター席から立ち上がると、足下をふらつかせる。


「危ないですって。今、タクシー呼びますから」


 ゆらぎは咄嗟とっさに緑川のよろけた身体を受け止める。アルコールで上昇したであろう彼の体温が服越しに伝わった。


「……お前、なんか女みたいな身体だな」


「えっ……? 何言ってるんですか。オレ、男ですよ」


 緑川に手首を掴まれ、悪い意味で、ドキッとした。


 見た目は男性を装えていても、ゆらぎの身体は女性そのものだ。


 こんな場所で、しかも、緑川に性別を疑われてしまったら逃げ場が無い。変に取り繕わず、冷静に対処しなければいけない。


 思えば、幸か不幸か。黒瀬には性別を一度も疑われたことは無かった。


 だから、すっかり油断していたのだ。


 自分が本当は女性で、男装をしている立場だということを忘れてしまうくらいに。


「……取り敢えず、今日は俺の家に泊まれ。話はまだ終わってない」


「いや、だから。オレも明日は収録入ってますし……」


「異論は認めない」


 流石に緑川の自宅へ泊まるのは、かなりの危険を伴う行為だと自分でも理解出来る。


 しかし、緑川は意見を一歩も譲る気はないようだ。


 逡巡した結果。携帯を取り上げられているゆらぎは、彼の言うことに従う以外、為すすべは無かった。


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