第13話 黒瀬流のお祝い。


英知えいちぃ、シャンパン入れてもいいー?」


「ああ、いいよ」


 光が乱反射する店内で、黒瀬は高級感溢れる革張りのソファに踏ん反り返り、両腕にはドレスを着た美女がぴったりと彼に身を寄せている。


 どう見ても、これは。この場所は……あれですよね。所謂いわゆる、夜のお店ですよね?


 状況を理解はしているが、ゆらぎは敢えて黒瀬に問うてみた。


「……あのー、黒瀬先輩。これはどういうことでしょうか」


「ん? 何って、キャバクラ。お祝いって言ったらキャバクラだろ? 今日は俺が奢ってやるよ」


 ですよねー。って、いや、違いますよ。何考えてるんですか、この先輩は。もし、週刊誌に撮られでもしたらどうするんですか。


 そもそも、大人しくこの人に着いて来たのが間違いだったんだ。


 ……もう、帰りたい。店内がギラギラし過ぎて眩しいし、なにより、お姉さま方の豊満な胸の谷間が嫌でも目につく。


 祝ってやると言われたときから、嫌な予感しかしなかった。それが現実になってしまうとは。


 お酒が苦手なゆらぎは、何かをする事もなく手持ちぶさたになり、高級フルーツの盛り合わせからマスカットを一粒取り、口に運んだ。


 このまま黒瀬を放置して帰ることも考えたが、赤坂と連絡が取れない以上、やはり彼を置いて帰るのは抵抗感がある。というより、ここに黒瀬を残して行くのは最早、不安でしかない。


「黒瀬先輩。さっき、女の人から『エイチ』って呼ばれてましたけど……偽名ですか?」


「あ? 違う違う。俺の本名」


「え……本名なんですか」


 本名を簡単に明かしてしまうとは、些か無用心すぎではないだろうか。新人の私でもそれくらいの分別はつく。


 赤坂さん、黒瀬先輩の教育をもう少ししっかりとした方がいいですよ。


 ゆらぎはマスカットを無心で貪りながら、連絡のつかないマネージャーに胸の内で呼び掛ける。


 ──二時間後。


 酒に呑まれて完全に出来上がってしまった黒瀬に変わり、ゆらぎが会計を済ませて店を出る。


 そこで、ようやく赤坂と連絡が取れ、駅の近くまで迎えに来てもらうことになった。


「……飲み過ぎたわ」


 夜風に当たりながら、黒瀬が言う。


「でしょうね。でも、マスカット美味しかったですよ」


「キャバでマスカットって……」


「オレ、お酒飲めないんですよ。それより、赤坂さんは毎晩何処に行ってるんですかね」


 まさかとは思うが、赤坂さんも夜な夜な飲み歩いているのだろうか。でも、この前の映画観賞ではお酒は飲まないと言っていた。


 そういえば、赤坂さんは結婚しているのだろうか。

 

 ふと思い、歩道の真ん中で立ち止まる。


 黒瀬も十分に謎が多い人物だが、実は赤坂もかなり謎に包まれている人ではないのか。そう考えると様々な疑問が次々と浮かび、ゆらぎの脳内は混乱状態に陥っていた。


「黒瀬先輩、赤坂さんってご結婚してるんですか?」


「してない。してたら事務所の寮で生活なんかしないだろ」


「確かに」


 黒瀬先輩はともかく、赤坂さんの場合は結婚を隠す必要性はあまり見当たらない。しかし、これ以上の詮索は色々と無粋かもしれない。



 最寄り駅に到着すると、すでに赤坂が社用車で迎えに来ていた。


「あーしんどい」


 黒瀬は後部座席に乗り込むなり、大袈裟な溜め息を吐く。


「セメルくん、白石くんに迷惑を掛けてはいけませんよ」


「なんだよ。飲みに連れて行っただけだっての」


「それより、白石くんは大丈夫でしたか?」


「おい、無視すんな」


 また、程度の低い口論が始まった。


 赤坂さんの黒瀬先輩に対する雑な扱いが、少し可哀想に思えなくもない。


 今回のことも後輩を思っての黒瀬なりの行動だった。ただ、それが少し世間の常識から外れているだけなのだ。


「楽しかったですよ、今日」


「お、おう」


 感謝の意味も込めて、ゆらぎが今日の感想を口にすると黒瀬は微かに照れていた。

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