第4話 黒瀬セメル、登場。
エレベーターに乗り込み、事務所五階の寮フロアへ向かう。到着を待つ僅かな間も赤坂は再三、口癖のように黒瀬への警戒を怠るなと忠告する。
「今の時間だと、今日はもうセメルくん帰って来てると思うから、くれぐれも気をつけてね」
「はい」
いや、ですから。私は黒瀬セメルの何に気をつければいいのですか? そう思いつつも、言葉には出さず返事をする。
五階フロアに到着し、赤坂の後ろをついて広い廊下を歩いていると、突然その背中に衝突した。赤坂が立ち止まったらしい。
「痛っ」
「セメルくん、上半身裸で廊下を歩かないでくれって前にも言ったじゃないか」
ゆらぎが痛みを覚えた鼻を押さえていると、衝突した赤坂の背中越しに彼の呆れた声が聞こえた。
どうやら前方に黒瀬セメル本人がいるようだ。しかも、何故か上半身裸で。
「いいじゃん。俺と赤眼鏡しか、ここに住んでないんだから」
「そういう問題じゃないだろう」
ゆらぎは位置を少し横に逸れて、視界を確保する。赤坂が対峙していたのは、身長百八十センチはあるだろう、上半身裸の長身の男性だった。よく見ると髪の毛が僅かに濡れている。シャワーを浴び終えた後なのかもしれない。
ゆらぎが大人しく二人のやり取りを眺めていると、不意に黒瀬の視線が移動する。
「で、この小さい子は誰? 新しいマネージャー?」
「違います。この事務所に入った新人声優です」
赤坂がゆらぎを庇うように黒瀬の視界を遮るも、黒瀬もゆらぎを凝視する為に負けじと移動する。ゆらぎを軸に二人がじりじりと半回転をしたところで、黒瀬の動きは停止した。
「ふーん。じゃあ、苛めてもいいってことだよね? ねぇ君、今からコンビニ行って、唐揚げの王様買ってきてよ。俺、あの唐揚げ好きなんだ」
そうですか。好きならご自身で買いに行って下さい。と、思うが面倒なことになりそうなので口を噤む。
「苛めるのも禁止です。それより、これ今月のファンレターとプレゼントです」
赤坂が段ボール箱を黒瀬に差し出す。ゆらぎもそれに習い、抱えていた大量の手紙を段ボール箱の上に重ねた。
「おお。今月も大量大量。……って、ん? おい、赤眼鏡。お前また勝手に手紙読んだな」
「これも仕事なので」
大量の手紙を嬉しそう眺めていた黒瀬は、手紙の封がすでに切られていることに気付き、赤坂を軽く睨み付けた。しかし赤坂は、その態度に慣れているのか、至極冷静な返答をする。
「いやだから、これじゃ意味ないんだって。俺は肯定的な意見よりも、否定的な意見が聞きたいんだよ。そもそも、エゴサしてるからな」
エゴサってエゴサーチのことだよね。すごいな、この人。自分の否定的な意見も、きちんと目を通せるタイプの人間なんだ。強靭なメンタルの持ち主なのか……。
「はぁ……。エゴサも程々にしてください。後で深く傷付いても知りませんよ」
「分かってるって。じゃ、そこの後輩くん、また後で」
黒瀬は赤坂のため息を聞き流し、ゆらぎに不穏な挨拶を残して、自身の部屋へ消えて行った。
「セメルくんが失礼をしてすみません。では、部屋へ案内しますね」
程なくして、ゆらぎが案内されたのは、ドアに三号室と書かれたプレートが貼り付けられている部屋だった。
赤坂が解錠して室内へ足を踏み入れる。
「ここが白石くんの部屋です。生活に必要な家電品は用意しているので、好きに使ってください。それと、これが鍵です」
解錠する際に使われていた鍵を手渡される。室内を見渡すと間取りは広く、2LDKはある。以前のボロアパートの1DKから、ずいぶんと大きく変化した。
「それで。なんですが、その……ちょっと言いにくいことが有りまして……」
「何でしょう? もしかして、アレが出るとかですか」
事務所内の寮だし、幽霊の類いが出るとは思えない。となると、残されるのは……虫だろうか。
ゆらぎが脳裏で色んなことを考えていると、赤坂がまたもや、エスパーの如くゆらぎの考えを読み取り解説をする。
「あ、幽霊とか虫の類いではなくて。……その、セメルくんが一号室なんです」
「はあ」
何だか、いまいち話がよく分からない。
「なので……女性物の下着は極力隠して欲しいんです」
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