第5話

 ……ん? 今、赤坂さんの口から下着がどうとか聞こえた気がする。もしや、黒瀬セメルは下着フェチなのか。隠れむっつり変態なのか。


 ゆらぎは無表情を装いつつ、脳裏で黒瀬セメルに対しての、あれやこれやを勝手に妄想する。


「白石くんが女性だとバレないように、という意味ですよ。セメルくんの保身の為にも、一応言っておきますが、そんな趣味はないはずです。……隠れむっつり変態でなければ、ですが」


「あれ、もしかして声に出てましたか」


「はい。至極真面目な顔で言っていたので、少し可笑しかったです」

 

 自身の口許を手で覆い隠し、笑いを堪えている赤坂は、こほんっと一つ咳払いをして、緩んだ表情を整える。


 もしかして私は、今までも無意識の内に独り言を口走っていたのだろうか。それならば、赤坂さんがエスパーになるのも当然だ。


「あ、でも私、胸とかないので、下着については大丈夫な気がします。普段はブラトップですし」


「えっと、白石くん? そういう問題ではなくてですね……」


 赤坂は戸惑い気味に、自身の赤い眼鏡のブリッジを押さえる。


 思い切って自虐ネタを放り込んだら、ものの見事に赤坂さんに苦笑されてしまった。胸が小さいのは本当のことなのだけれど。


「すみません……」


「ああ、いえ。謝らなくても大丈夫ですよ。うーん、でもセメルくんのことだし、万が一の事があってからでは遅いんですよ」


「あの、黒瀬さんの何がそんなに危ないんですか?」


 二人はリビングで立ち尽くしたまま、会話を続ける。


「それは……」


 ゆらぎの最もな疑問に、何故か赤坂は言い淀んでしまう。


 ゆらぎは元々、とある女性声優に憧れて、この業界へと足を踏み入れた。

 その為、男性声優に対しての知識は全くと言っていいほどに浅く、特にBLについては専門外だった。

 黒瀬セメルという人物が、BL界のドS王子として君臨していることも、つい最近知ったばかりで、ゆらぎの中での彼の人物像は未だ謎に包まれている。


 黙考していると、赤坂の控えめな声音が不意を突いて、頭上から落ちてきた。


「飢えているんです。……女性に」


「え?」


 赤坂は参ったと言わんばかりの、大きなため息を吐き、大袈裟な仕草で額に手を当てる。


 正直、黒瀬が女性に飢えているという言葉の意味が理解出来ない。寧ろ、あれだけ雑誌等で持て囃されているのだから、女性関係に関しては困らないのではないだろうかと勝手に思っていた。まあ、それが事実ならば最低と言えば最低だけれど。


「女性に飢えているから、男性にも手を出しているっていうことですか」


 胸裏で思っていたことが、そのまま口先から零れ落ち、驚愕する。


 なんだ、それは。ならば、本当にBL的な展開になってしまう可能性があるということですか。黒瀬さん、物凄い危険人物ではないですか。


 ゆらぎは脳内で、自身の言葉に冷静にセルフツッコミを入れる。


「いやいや! そうじゃなくてね。セメルくん、BL関連のお仕事が多いから、必然的に現場は男性声優ばかりになってしまうんだ。それで、最近は同業者の異性と会う機会が減って……不満を抱いているらしくてね」


 赤坂の続く言葉を固唾を飲んで見守る。


「だから、君が女性だとバレてしまったら、確実に良くないことが起こると思うんだ」


 つまり、赤坂が危惧しているのは、ゆらぎは女性だと黒瀬が気付いた時、彼に弱味を握られてしまうことを懸念していたのだ。

 同じ事務所に所属している立場とはいえ、そんな大きな秘密を抱えている彼女を、彼は黙って見過ごすはずは無いということだ。


 事の重大性を知り、いつものような冗談を言える状況ではないことに、ゆらぎは背筋が凍った。


 ──そう。黒瀬セメルは、狙った獲物は決して逃がさない、狼のような人物だったのだ。


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