第2話
兄は決して友達がいないわけではなかった。
むしろ学校では数人で一緒にいる姿をよく見かけたし、
私の知る限り、テニススクールでも他のメンバーと楽しそうにしていた。
でも、それぞれの仲間との交流は
その殆どにおいて、それぞれの関係性を示す場所と時間に限定された。
兄はその枠をはみ出さないよう
(それが学校の友達なら、学校以外で遊ぶことがないように)
うまく調整しているみたいに私からは見え、その器用さを不思議に思った。
学校とテニス以外は家にいて、一人読書に耽る。
それは中学時代も、高校に上がってからも変わらなかった。
兄は学校のテニス部に所属するのではなく、
子供の頃から通っていたスクールで、学年が上がるたびによりハイレベルなクラスへと進んでいき、
そこでまた新たな人間関係を、スクールという枠からはみ出すことなく構築した。
私は兄の、人付き合いの術とでも言おうか、
どうやって大好きな読書の妨げにせず、仲間との交流を円滑にしているのか。
そのことに密かな興味を持った。
例え親しい間柄でも、大切にしている習慣とは確固たる隔てがあって、
そこへの侵害を許さない。
そんな風に、相手の動向を意のままに操れるものなのか。
だけど高校に進んだあたりだろうか、それは違うんだと分かった。
兄のような生活を送る上で、最も重要なのは人付き合いの術ではなく、
時間に対する自律なのだ。
時間に対する自律。それは時間に対する執着心のもとで成り立つ。
執着心なくして自律を確立させることはできない。
それも、ほんの一時のことではないのだ。
兄は、私が気付いたときには読書とともに生活していた。
籐椅子に座って、四季を巡る庭を背景にしながらページを繰った。
学校では友達と過ごし、放課後はテニスに通った。
スポーツメーカーが主催する全国大会で、シングルスをベスト16まで勝ち進んだ。
それでいて都内有数の進学校へ進み、国立大学の社会学部を現役でパスした。
それらは時間に対する、並々ならぬ自律の産物だった。
兄が有する特性について、私は両親と話したことがある。
彼の十分間が、私にとっての一時間にも匹敵するのではないか、と持ちかけた。
そのときに、母の言った言葉が忘れられない。
日々に慌ただしい様子も見せず、落ち着いて過ごす兄は、
時間が有限なことを生まれ持って知っているのかもしれない。
父がそれに付け加えた。
シンプルに生きる、ということがどういうことか
本能的に理解しているのだと。
その両親の見解を、本人の言葉から回想する機会があった。
兄が大学二年の初夏に、海外派遣留学でアメリカへ赴く時だった。
私はやりたい事も見つからず、仲の良い同級生と同じ私立大に入学して
暇を潰すような新生活を送っていた。
「人にはそれぞれ、毎日を生きる固有のリズムのようなものがある。
俺は偶然、子どもの頃にそれを見つけることができて、
あとは今日までリズムに乗るようにして過ごしてきた。
有紀も早く、自分のリズムを見つけるといい」
一年間の海外留学。
その出発時と、
ネイティブに引けを取らないほどの語学力を伴って帰国した時、
兄は何か祈りを捧げるようにして、長いこと庭の一点を見つめていた。
母が毎年植替えをして、大切に育ててきた睡蓮。
その頃は、薄紫に混じって白い花弁も池を慎ましく飾っていた。
兄のこよなく愛する籐椅子は、三代目が我が家に迎えられていた。
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