黙する青

めがふろ

黙する青

タバコの先から湧き出て来る煙が僅かに開けられた窓から線を引きながら流れて行く。足元のスピーカーからはギターロックが響いていた。ハンドルの隣に置かれた灰皿に灰を落とし、反対側の缶コーヒーに手を伸ばす。


 自宅から車で40分程運転すると周囲を山と田んぼで囲まれたレンガ作りの建物が見えて来る。藤ヶ谷康平はこの医療大学の心理学部に在籍していた。


 校舎の隅にある学生用駐車場を過ぎると目的の建物が見えて来る。学生寮とクラブハウスの間にある駐車場に車を止め、後部座席からギグバッグを取り出す。


 火曜日の午前だけあって、周囲に人の姿はなかった。真面目な学生は今の時間講義を受けているのだろう。クラブハウスの入り口の扉は両開きになっており、片方の扉はコンクリートブロックで固定されていた。この建物の鍵は寮の管理人が管理している。夜になると施錠されるが、朝は正門が開くと同時に鍵を開けてくれる。土日は部長が休日活動の申請書を月初めに提出する事で解錠されるのだが、今までに何度か申請書の出し忘れに対する謝罪メールがきていた。


 入り口から2つ目の扉の前で足を止める。表札には音楽練習室1と書いてあった。曇りガラスから明かりが漏れているが、自分以外に講義をサボって部室にくる不真面目な学生は一人しかいない。扉を開けるとギターアンプの前で機材を用意する高杢照史の姿があった。


「おはよう高杢」


「おはよう藤ヶ谷。お前もサボりか」


軽く挨拶を交わしてソファーに腰掛ける。彼らの在籍する軽音楽部にはドラムセット一式とギター、ベースアンプがそれぞれ一台ずつ用意されていた。他にも初心者の為にエレキギターとエレキベースが1本ずつ置かれている。ギターには6本の弦がそしてベースにはなぜか5本の弦が付いている。一般的なエレキベースは4本弦が基本だがより低い音をだすために5弦ベースを購入する人もいる。しかし、初心者用として5弦ベースを選ぶ人は少ないだろう。弦が増えるほど取り扱いが難しくなるし、5弦が必要な曲を初心者が演奏できるとも思えない。何でも、数年前の部長がベーシストで機材新調の際にふざけて購入したのだとか。何年も弦を交換していない2本の楽器からは哀愁が漂っていた。


 持ってきたギグバッグからエレキベースを取り出す。高杢がギターを弾きだし、ピックアップに拾われた振動がケーブルを通してアンプへと送られ、スピーカーから音が流れる。藤ヶ谷も自身のベースをアンプに繋げ弦を弾いた。






1時間ほど演奏をしていると、ベースの1弦が音も無く切れてしまった。ベースの弦はギターのそれに比べて太く、切れるという事はあまりないが一番細い1弦ならたまにこういうことがある。仕方なく自分の愛機をギグバッグに戻し錆れた5弦ベースに手をかけた時、高杢がギターアンプの電源を落とした。タバコでも吸いに行くのだろうと思い、続いて電源を切る。


 医療大学というだけあってこの大学には喫煙所がなかった。喫煙者は授業の合間、校舎に併設されているコンビニの喫煙所に足を運ぶ。しかしクラブハウスからコンビニまでは距離があった。その為クラブハウスの裏が非正規の喫煙所という暗黙の了解があった。


「次のライブ、ボーカルどうするよ。」


高杢はタバコに火をつけながら言った。軽音部は数ヶ月に一回近くのライブハウスを借りてライブを行う。部員たちは各々バンドを組み練習をするのだが、バンドは固定というわけではなくメンバーは毎回違っていた。


「古川なんてどうだ?この前のカラオケちょっと引くほどいい声してたぜ」


「確かに古川の歌はうまいけど、理由はそれだけか?」


口元を歪めながら高杢がこちらを見て来る。古川萌子は軽音部の2年生でギターを弾く。しかし、あまり上手くなく歌の方が定評があるためよくボーカルとして誘われていた。そして美人でもある。


「バンドに恋愛感情は持ち込まないよ。面倒な事になるからな」


タバコの火を消しながら言う。バンド内恋愛の末、関係を崩していったバンドはこれまでにたくさんいた。


「わかってるならいいさ。俺はこれからバイトだからお前の方から誘ってみてくれ」


そう言って高杢は駐車場へと歩いて行った。






 夕方になると藤ヶ谷は古川をボーカルに誘う為クラブハウスへと戻ってきた。高杢とクラブハウスで話た後、午後の授業は全て出席した。そろそろ他の部員も部室に集まっている頃だろう。


 曇りガラスから明かりが漏れている。午前ここを出るときに明かりは消しておいた。ということは誰かがいるのだろう。そう思って扉を開けた。そこには古川萌子の姿があった。しかし、藤ヶ谷の目的は達成されなかった。古川に会うためにクラブハウスにやってきた。曇りガラスから漏れ出る光から部室には人がいることが伺えた。その人物が古川であるとは良い巡り合わせと言えるだろう。ただ一つ、古川萌子が死んでさえいなければ。










 事件から1週間たった火曜日。部室には高杢と藤ヶ谷の姿あった。あの事件以来、部長の意向で部活動は休止となっていたが部室への立ち入りは自由だ。つい昨日まで警察の現場検証のため立ち入り禁止となっていた部室はいつもと変わらない風体を保っていた。


 警察の検視の結果、古川の死因は腹部をアイスピックの様なもので刺された事によるショック死らしい。運悪く動脈を傷つけ、腹腔内に血液が貯まってしまったのだ。


 警察は他殺として捜査を開始したが凶器が発見されず、また大学の敷地内とはいえ外部の侵入が容易なことから容疑者の特定には至らず動機の面から追っているらしい。というのもつい昨日事情聴取として藤ヶ谷自身が警察と話してきたからだった。第一発見者として有力な情報を持っているかに思われたが、藤ヶ谷からしてみれば扉を開けたら友人が亡くなっていたとしか言いようがなく、また死亡推定時刻には講義を受けていたアリバイもあるため有力な情報は得られなかったというわけだ。




「まさかこんな身近な場所で殺人事件とはな。しかも第一発見者が藤ヶ谷とは」


ソファーに身を沈めながら高杢は爪でギターを弾いていた。アンプには繋がっていない。


「俺だって驚いてるよ。殺人事件の第一発見者なんて人生でそう何度もなることじゃないからな」


「映画やドラマだとこういうとき犯人の後ろ姿を目撃したりするんだけど何か見なかったのか?」


「警察にも話したが何も見ていない。扉を開けたら古川が死んでいた。それだけだ」


そう言って部室に置いてあるベースに手を伸ばす。犯人逮捕の力になれるのなら喜んで協力する。しかし、何も見ていない事には協力のしようが無い。


 その時、ふと違和感を覚えた。ベースの弦が新しくなっているのだ。1週間前の午前、つまり古川が殺せれた日の朝にはこの弦は確かに錆びていた。そしてこの部室は昨日まで警察の現場検証のため立ち入りが禁止されていた。俺が講義を受けている間、古川が犯人に殺されるまでに誰かが交換したのだろうか。


 あるいは、犯人が・・・


 頭の中で嫌なストーリーが沸き起こってくる。


「高杢、ちょっと付き合ってくれ」








 玄関のベルを鳴らす。少し待っているとドアが開いた。3年の西村隆。軽音部の部長だ。


「どうしたいきなり。部活動は当分の間休止だぞ。まあ入れ」


「失礼します」と言って中に入る。寮生である西村部長はクラブハウスから駐車場を挟んで反対側のF棟3階に住んでいた。部活終わりに部員で遊ぶ際などに何度かお邪魔したことがある。部長はギターが巧い。軽音部の役職に着くのに楽器の上手さは関係ないのだが部の中でも群を抜いた巧さだった。何でも校外でも活動しているのだとか。何度かステージの上で演奏する姿を目にした事があったがあのギターテクニックとステージングはプロにも負けず劣らずだった。




 寮の部屋は8畳のワンルームでベッドや机、本棚などは備え付けである。医学部に所属する西村部長の本棚には参考書や医学書が詰まっていた。壁側には3本のギターがスタンドに置かれている。どれもビンテージ物で何十万円もするギターばかりだ。側にはクッキーの缶が置かれている。ギター弦を交換する際、保管庫として使っているのだろう。ギターやベースの弦は鉄線の周りにニッケルが使われており、処分するには各自治体の規定通りにしなければならないため手間がかかる。寮生ともなればゴミの分別にも気を使わなければならない。


「確か藤ヶ谷は萌子の第一発見者だったな。何か見ていないのか?」


「実はそのことでお話があって来ました」


 途端、西村部長の顔色が変わった。藤ヶ谷は息を飲んだ。隣で高杢が緊張しているのが伝わる。


 西村部長は何も言わず真っ直ぐにこちらを見つめていた。彫りの深い両目から発せられる眼光が続きを話せと言っている。


「僕と高杢はさっきまで部室にいたんですが、そこでおかしな発見をしたんです。部の備品であるあの5弦ベースの弦が新しくなっていました。」


「ほう、あのベースの弦が新しくなっていたのか。だが、それと萌子の死とに何の関係があるというんだ?部の備品であるベースの弦を誰かが交換したとしてもおかしくはあるまい。」


西村部長はタバコに火をつけながら話した。


「はい。ここまでではそこまでおかしな話ではありません。しかし、僕は古川が殺された日の午前にも部室にいたのです。その時はあの5弦ベースの弦は確かに錆びていました。つまり、あの弦を交換するタイミングはあの日の午後、犯人が部室にやってくる数時間の間しかありません。」


口の中が乾燥してくる。西村部長の眼光は鋭さを増し、僕の目を捉えて離さない。


「先ほど、近くの大丸楽器に行って話を聞いて来ました。一週間前、軽音部の誰かが5弦ベースの弦を買って行かなかったかと。この田舎街であの楽器屋さんで買い物をする人はそこまで多くはありません。ましてや5弦ベースの弦です。楽器屋の主人も覚えていました。」


 この田舎町で楽器やそれに関係する消耗品を買うとなると大丸楽器が一番便利だった。スタジオも併設しているお店で、部室が人でいっぱいな時などもにも利用していた。何より値段が安い。そのため、軽音部の面々は次第にお店の人と顔なじみになってくる。




「ところで、古川の死因は腹部の動脈をアイスピックの様なもので刺されたことによる腹腔内出血らしいですね。凶器はまだ見つかっていない。医学部の西村部長ならお分かりでしょうが、アイスピックの様な細いもので見えない動脈を正確に傷つけるのは容易ではありません。また、ベースの5弦は太さ3mm以上あります。この太さの鉄線だ。ベースから離すとき短く、しかも切断面を尖らせておけば女性の柔肌を貫いて動脈を傷つけることくらい訳ない。」


「はっきり言ったらどうだ」


「分かりました。西村部長、あなたは部室のベースから5弦を取り、古川を殺害した。先ほど言ったように、弦から取るときニッパーで先端を尖らすようにして。 


 医学部のあなたなら1刺しで動脈を傷つける事もできたでしょう。大丸楽器で5弦ベースの弦を買った後、部室に戻って全ての弦を交換した。犯行に使ったのは5弦だけでしょうが、1本だけ交換してしまうと色の違いで警察に気づかれてしまうから。


 問題は犯行に使われた弦がどこにあるのか。血液が付いているからそう簡単には隠せないし捨てる事もできない。僕の考えでは、自室まで持って帰った。普段錆びたギター弦を入れるそのクッキー缶の中に忍ばせているんじゃないですか?」


全てを話終えると、西村先輩の目からは先ほどまでの鋭さはなくなっていた。


重く両肩を落とし、目線を下げながら西村先輩は語った。


「最初から逃げ切れるとは思っていなかったよ。お前が言ったようにあんな殺し方は医術を齧っていないとできないからな。検視が進めば傷口から凶器の断定も進むだろう。あとは俺の部屋から発見された弦から血液反応が出てお終いさ。」


「どうして殺したんですか?」


「よくある話だ。恋愛の縺れだよ。俺と萌子の場合はそこにバンド内の関係もあってな。せっかくデビュー目前だってのにこんなことになってついカッとなってな。」


そう吐露した西村部長はステージの上で放っていたあの輝きを完全に失っていた。










西村部長の家を後にし、藤ヶ谷は高杢と駐車場まで歩いていた。


「それにしても弦が変わっていたってだけでよくあそこまで分かるもんだな」


歩きながら高杢が言った。


「そんなに難しいことじゃないさ。部員だから早く気づけたってだけで西村部長が言ってたように解剖の結果が出れば警察もすぐに分かるだろう」


「謙遜ね」




 医学部に通いながらバンドでも成功していた部長。


 しかし、男女の仲違いだけでこうにまでなってしまうものなのか。


 やはり。。。












   「バンド内恋愛はするもんじゃないな」




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