その手は握れない─ある研究生の告白、真幌繭 後編




「見て、髪ちょっと軽くしたんだ」

そう言いながら左手を後ろ手に軽く添えて、その場でクルリとお嬢様ターンを決めるさしこ。その姿を朝の柔らかな光が優しく包む。

ふわりと靡く前髪に窓から差し込む陽光が反射してキラキラと光の粒を撒き散らしていく。



「真幌繭、辞めないらしいね」


久しぶりに会ったそんなさしこの口から出てきたのは、やっぱりグループのことだった。


「結構やりあったそうやねんけど、運営と・・」


「ふ~ん」


ウイークデーの吉祥寺のスターバックス。ここがさしこのお気に入りの場所だったと知ったのはつい最近の事。私のマンションから歩いて1分もかからないこんなところに指原莉乃の隠れ家兼癒しの場所があったとは。


「誰にも言ってないよ。ここに来るときはほぼほぼ一人。

そういえばこの前を通る由依ちゃんを見たときもあったけ」


だれにも知られない場所を一つや二つ持って置きたいもんなのよ、アイドルは、そう言ってさしこは白い歯を見せてニッと笑った。


さしこのお気に入りはスタバには珍しいこの池のある中庭。テニスコートほどの空間には亀が水辺で戯れ木々の間では小鳥が囀ずる。


時折跳ねる鯉の水音が店内に流れるボサノバとハミングする。


周りを取り囲む大きなガラス戸は夏と冬は閉じられているけど春から初夏、秋から初冬の時期は開け放され、庭と一体感のある放射状のフロアが出来上がる。




「カメがさぁ、五年前からずっと同じところで動いていない気がするんだよね」




そんな訳はない。


けれどそういうものだと信じて疑わない彼女の横顔に何かほっこりする。






「で、由依ちゃんから見てどうなのその子は?」


「どうって?」


「一言で言ったら?」


「うーん、そうやなあ。ぱるるのビジュアルに前向きをプラスして塩を取った感じ」


「なにそれ。それって・・無敵じゃん」




てち、ぱるる、生駒ちゃん。ちょっと事情は違うけど川栄とあんにん。


おそらくこの子たちは握手会がなければ、その持ってるベクトルの強さも方向性も全く違ったものになっていたはず。

なければ全ていい方向に向かったとは思わないけど、自分の生きたい道ははっきりと示せたはず。変な雑音に惑わされることなく自分の目標に一点突破で突き進めたと思う。




「てちと生駒ちゃんは大きく行く道をを阻害された犠牲者だよね。

二人は不特定多数の接触に対する免疫力が極めて低い子達。

メンタルの強さという点で、そこがぱるると違うところ」




「じゃそのぱるは?」


「ぱるるは嫌だと言えたんだよ。

キャラがそうだと言ってしまえばそれまでだけど、あの子は言える強さをある意味持ってた。

人って、こういうところを持ってると自分を解放できるし周りも楽。

悩んで落ち込んでも直ぐに立ち直れるし、周りも不満が表面にでてる分、助け船を出しやすい。

ぱるるがあんな性格で七年もアイドルを続けれた奇跡はそんなところから来てる、と私は思ってる」




異論はなかった。我儘で自分勝手で好き嫌いがこんなにはっきり顔に出る子もいない。


でもそんな分かりやすい子だからぱるは何をやっても何を言っても許された。


ぱるるという突然変異的な超個体がちゃんと可視化できてる安心感。


それが私達にまずはぱるるありきという優先権を与えていたように思う。






「ぱるが何もかも胸にしまい込む子やったら三年ももてへんかったはずや」


「ただ、ぱるるに比べると、てちは全てがベールなんだよね。いつもは深く潜航して優雅に泳ぎ回り、たまに海面に顔を見せてくれてみんなをたのしませてくれる、まるで南の海のマンタのよう」




「確かに。けどマンタってどうなんやろ」


「世間ではもっと寡黙で尖ったイメージがあるんだろうけど、私には

微笑んだら微笑んだだけ返してくれる、そんなイメージがある

だから、てちは決してエンターテイナーじゃないよ。

そこら辺をちゃんと見極めなければ彼女をプロデュースはできない。

ただ、繊細にして大胆。突き詰めて話し合って分かり合えばとことん強くて正確なパスを返してくれる、そんな子」


















生駒ちゃんは・・・・と言ったところでさしこは寂しげな笑みを浮かべ小さく首を振る。


遠い目で中庭で甲羅干しをしているミドリガメに視線を落とす。






「あの子はなんか、可哀そうなんだよね」




私もずっとそう思っていた。


自分の望んだ道を走れていない。というか走らされてる。


交換留学としてAKB に来たときもいつも一人だったような気がする。


控え室の隅っこでみんなの輪から外れるようにして一人漫画を見てる、そんな彼女に何度声をかけたか分からない。


私達が知る彼女は協調性に欠けている訳じゃないし群れるのを嫌うタイプでもなかった。




「握手会でいろいろ言われてたから、生駒ちゃんは」




裏切り者、断る選択肢もあったはず、AKB に行きたいの?、


じゃ、辞めれば、乃木坂。


そんな声は何もファンの間だけの声じゃなかった。


「メンバーからも行かないで欲しいと言われた」


生駒ちゃんがまゆにボソッと漏らしたのを横で聞いたこともあった。




「わざと壁を作ってた。AKBに自分の心を持っていかれないように」


さしこが小さく頷く。






「握手会ってどうなんだろうね、由依ちゃん?」




「今さら?




「ううん、そうじゃなくて。要るのか要らないのか、そんなんじゃなくて


どういうんだろう。思い返せば私達の大切な思い出になりえるものかどうか」




「それは・・・」


きっとなる、そう言いかけて私はその言葉を呑み込んだ。


私がそうでもみんなはそうじゃない。差し出された見知らぬ手のひらに怯えている子は確かにいる。


姿なき声は今もグループ内のどこかでふつふつと上がっては消えている。


いや、消されているんだ。






「どうでもいいけど、私たちまだまだやめれそうにないわ」




「確かに・・・」




変な理由を隠れ蓑にして握手会を避けたくはないと真幌繭は秋元先生に言ったらしい。ただ単に嫌だから出ない、それを認めて欲しいと迫ったようだ。そんな具合だから今彼女はすっかり居場所をなくしていると思ったらそれがそうでもないらしい。


その尖った子特有の危険な匂いに運営は注目し始めている。


アイドルの世界ってほんとに分からない。


何が正解なのか誰に何を望まれているのか。






「あっ、ちょっと、店員さん?」


通りすぎようとしたフロアマネージャーらしき女性にさしこが引き留めるように声をかける。


「はい?」


「あの亀ってここ最近ずっと動いてないよね」


「えっと・・・」


「ほらあの奥の石の上に乗っかってる緑と黒の縞々のやつ」


「えっと・・あっ、はい、そうですね」


「ほら~、由依ちゃん、言ったとおりでしょ。だってずっと前から・・・」


「あのぉ、よろしいでしょうか?」とフロアマネージャーらしき女性


「うん?」


「あれはダミーなんですけど」


「うん?どいうこと?」


「他の周りの亀は本物なんですけどあの亀だけは置物ということなので・・・」


「ぷーーっ」と私。


「由依ちゃん!」




気がつけばもうお昼前、パンの焼きあがった香ばしい匂いとバターの香りが辺りに漂う。


さしこと話し込むと時間の流れが驚くほど速く感じる。互いに親友と呼ぶことはないけど


AKBを想うその一点で二人は繋がれている。




「さぁ、まほろまゆ、二人でちょっと、とっちめてやるかにゃ」


さしこの亀はダミーだとわかっても、さしこの声はなぜか嬉しそうだった。




真幌繭センター、その手は握れない。


まさか次回のアルバムがそんな展開になるとはこの時は思いもしなかった訳だけど・・・・。





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