決選前夜、京にこの人あり
去年、2015年の11月、NHKから届いた一通のメールを前に横山由依が珍しく秋元先生に噛みついた。
「なんでそんな選択をしなきゃあいけないんですか!
向こうで決めてくれればいいものを、
なんでAKBにそんな選択をさせるんですか、NHKは!」
NHK側としてはAKBグループの紅白の枠は3つ差し上げる。AKBと乃木坂。SKEは除外。
残りの一つ、NMBとHKTの判断はAKBサイドに全面的に委ねる。
そんな内容が書かれたメールだった。
「選ばれた方も素直に喜べるわけがない。選ばれなかった方は大げさではなく、ひとときは地獄を見かねない。天秤にかけられた多感な時を過ごす子たちのショックを甘く見ない方がいい。」
「もういいから横山」
私がそう言って止めるまで、彼女は黙ったまま一言も発しようとしない秋元康に膝を詰め寄るようにして訴え続けた。
彼女が秋元康というより、人に対して声を荒げて迫る姿を私はそのとき初めて見た気がした。
「あんたはやっぱり総監督だわ」
先生の部屋を出たあと、私は独り言のように横山にそう呟いた。
そんな私の言葉にためらうことなく横山由依は自分だけを責めた
「二つに一つ、そんな状況を作り出してしまっているのは私が総監督やからや。
あんたが私ならこんなことにはなってない」
そんな彼女をこの子たちは知らない、AKBを誰よりも想う本当の横山由依を博多の子たちは知らない。
※※※ ※※※
──私らはもうAKBなしでもやっていける。
人気も実力も、もうどちらが本店かわからないこんな状況で、私らがAKBを仰ぎ見る必要なんかない。
HKTメンバーのそんな思いは、あの6月の私への卒業勧告以来、未だに彼女達の心のなかに深く影を落とし続けていた。
それは速報も終えた選抜総選挙の二週間ほど前、
ベッドに入る前、一日の疲れを吐き出すようになにげに呟いた一言から始まった。
「ここが潮時かも知れない、もういいよね、みんな?」
連覇のプレッシャーからか、元々乗り気でなかった今回の参加に本音が溢れてしまったのかもしれない。
それがなぜか翌日には指原が選抜総選挙辞退を仄めかしたものとしてネット界隈を騒がせる。
それに即座にSNSで反応したのが横山由依。
元々二人は選挙前から一悶着があった。
オールフォアワンを求める横山に指原莉乃は常に距離を置いてきた。
正義とか努力がどうのより実利を取る、このエンターテイメントの荒波を生き抜けてこそのアイドル。それが指原莉乃の目指すAKB 。
「考えられへん。AKBの顔としての自覚欠如、たとえ何かのはずみやったとしても、懸命にこの総選挙に向き合ってる若い子達に示しがつくわけないやろ」
「ちょっと待って由依ちゃん。私は心の中を素直に吐露したまで、ツイッターってそういうもんでしょ、
それに指原ははなから自覚なんてないし。言ったよね前に、あんたが総監督になっても私はやりたいようにやるって」
そんなさしこに総監督横山も負けてはいない。
「あんた、 それは自覚もへったくれもない。人間としての倫理や道徳の問題や。」
翌朝、横山のツイッターの にAKB総監督横山由依の署名捺印の下に一枚の宣言書が に張られる。
卒業勧告と題したその声明文。もちろんいかにAKB グループ総監督の横山といえども一人のメンバーに卒業を強いれるほどの権限はない。
それはあくまでも横山由依が自らの覚悟を示した指原莉乃への宛書のようなもの。指原も
ただ、指原莉乃の周りはそうはいかなかった。
「しぇからしか、東京もんは」
元々燻っていた本店への不安がこの件で一気に表面化する。そして運営が暮れに博多を切り捨て難波を選んだことで内部の亀裂は決定的なものとなった。
「なんでそこまでしなくちゃいけないの、もうほっとけばいいじゃないアキバなんか」
もうHKTの精神的支柱に成長しつつある児玉遥は今ではAKBに対する敵意を隠そうともしない。
宮脇咲良も横で大きく頷く。博多に留まることが少ない私をよそに、彼女達のアキバに対する共闘は完全に出来上がってしまっているようだった。
「あんたたちは何にもわかっちゃいない、わかっちゃいないのよ、はるっぴ」
「わかっていないのはさっしーのほうだよ」
「はるっぴ・・」
一瞬耳を疑った。児玉遥が私に対してものを言うのを初めて聞いた。
「なに、あなたたち・・?」
咲良の顔を見た。大きな瞳に涙が微かに潤む。近頃は大人の表情を見せはじめた彼女。初恋に悩む、苦しい胸のうちを聞いたのもつい先日のこと。
「わからないようにやる、それもいいかもしれない。
私もこんなんだから、普通の大人みたいに止めやしない。
けどあんたが思っている以上に苦しいもんだよ、見えない自分と闘うのは。
だから何があってもあんたが前を向けるんならやったらいい。
けど、その覚悟がないんなら・・
やめときな、咲良 」
その翌朝、彼女は肩まで伸びた髪を綺麗に切り揃えて私のまえに現れた。それはわたしに対する無言の答だったのだろう。
「大人になったもんだ、咲良も」
私はそう囁いて、だれにも見せることのない涙をそっと拭いた。
でもそんな咲良も何かあればその表情はすぐに少女のそれに変わる。隠し事のできない宮脇咲良、だから彼女達の心が見えない時、そんなときは私はいつも咲良の瞳に何かを探す。
「なんかいろいろありそうだね、あんたたち」
咲良の顔がみるみる紅色に染まる。下を向くメンバーたち。
児玉遥だけが変わらぬ視線をを私の方に向けていた。
この日の前日、菊地凛子からのメールで私はアキバに急遽、戻ることを決めていた。
メンバーの反対は当然予想していた。
「今、あんたが守らなければいけないのは博多だろ」
そんな元総監督からのメールも今朝届いていた。けれど劇場支配人の尾崎允からは意外にも逆に励まされる。
「由依ちゃんだけではだめなんだよ。さしこが動くことでしか変われないことが今のAKBには出来つつあるってこと。頼りにされている今の自分の立ち位置をあんたは大事にしないとね。
自分の為にも、そしてなにより、メンバーの為にね。」
「悪いけど、允さん、私は横山にはなれないから。まずは自分のことなのよ、自分が1番だから指原は」
そう嘯く私に彼は手を振りながら笑った
「だめだよ、そんな言い方しても。俺と秋元先生だけは騙せない、あっ、それと由依ちゃんもね」
そんなに買いかぶられてもなんの得にもならない指原だけど、彼に敬意を表して、そういうことにしておいた。
ただ、横山由依の顔が昨日からずっと頭のなかで浮かんだまま消えないのは否定しない。
成長したといっても、彼女はまだまだ菊地凛子の相手ではない。
いいようにされる、このまま彼女ひとりでは。AKBも横山由依も。
今日、7月26日から愛媛、高知、山口とつづくHKTの夏のホールツアーは、この三日間で佳境を迎える。メンバーの子達は肉体的にも精神的にも疲労はピーク。もしここで、私が一日でも抜けたら
この子達はこの愛媛の空の下でペシャンコに押し潰されてしまうかもしれない。毎晩、ママ、お母さんと泣きついてくる、なこみくはどうなるんだろう。
そんなことを考えていると、どうにも足が前に進まない。
「有働さんが行くって言ってました、アキバに」
突然、こらえきれないように咲良が口を開く。
「咲良!」
メンバーのあちこちから咲良を咎める声が上がる
「有働って、留美姉のこと?」
有働留美、なんで気付かなかったんだろう、その手があったんだ。
「サッシー、有働さんって芸能記者何でしょう、そんなことしたら・・」
はるっぴの声が終わらないうちに、もう私は携帯に手を伸ばしていた。
──入っていればゆきりんと同期、勝っているとは思わへんけど、負けているとも思わへん
いつもの留美姉のどや顔とどや声が頭に浮かぶ。
有働留美はただの芸能記者じゃない、いざとなればアキバと心中できるAKB命の京女
彼女ならなんとかしてくれる、少なくとも今日だけでも凛子を止めてくれれば。
明後日には私はアキバへ飛べる。
「早く出て、お願い留美姉!」
7月25日午前10時、そんなことは全然知らなかった。その前日から私はもうすでにアキバに張り付いていた。
「なんばのあの件が漏れたらしい」
その日の朝に届いた匿名のメール
いつも送られてくるスタンプやメールの文体から大方の予想はついた。というより難波のことでこんなことを私に連絡してくるのは彼女しかいない。折り返し返信を送って反応を待つこと数分後、携帯が騒がしく揺れる。 まるで「なんでわかったんや」と言わんばかりに。
「さや姉?・・」
「留美姉・・」
いつになく弱弱しい山本彩の声に私の胸の鼓動も早くなる。
電話の向こうで、ざわつく声がはっきりときこえていた。時折低く啜り泣くような声はNMBのメンバーのものだろうか。
「詳しいこと聞かして、さや姉」
「悪いけど発表するって」
声が続かないさや姉。次の言葉をじっと待った。遠くの方で誰かが何かを叫ぶ。
「漏れてしまったから、記者会見で発表するって・・・」
「誰がそんなことを?」
「菊地凛子・・」
「チーフマネージャーの菊地凛子?」
「・・・」
そんな情報は私のところには一切入っていない。日刊スポーツ芸能部はAKBに関する情報量についてはおそらく業界一、ニ。
メンバーやスタッフの一日のスケジュールはおろか、麻友や小島さんにいたっては、その日の朝食の内容まで調べ上げている。
運営トップなら話しはべつだけど、チーフマネージャーまで下りて来ている情報が私達の耳に入らないはずがない。
だとしたら・・・
「彼女の単独犯行?」
再び携帯を握る手に力が入る。
「記者会見はどこで?難波で?」
「・・・」
「あんたはどこにいるのよ?」
「・・・」
「さや姉、しっかりして!」
― ナンバがなくなってしまう ―
電話の向こうで微かに聞き取れたその声は、泣かないはずの山本彩の泣き声のようにも聞こえた。
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