鬼の居ぬ間に




「だいたいあの人何なのよ、ただのマネージャーのくせに。なんで言うのよ、そんなことを。


ぱるるをやめるんです? バカみたい。ぱるるやめるって、なにそれ? 島崎遥香もぱるるもわたしなのよ。やめれるわけないじゃない。


AKBはつらい思い出ばかり? ほっときなさいよ! 


楽しいこともあったわよ!」




壁にむかってただ叫んでいるぱるる。


自分に何かを言い聞かせているのかもしれない。それとも本当は私達に自分の心の内を聞いてほしいのか。私はぱるるをの心をはかりかねていた。


ただただ彼女の延々と続く言葉が途切れるのを待っていた。




なぜ聞かないの?なぜ話しかけないの?それは貴方たちがぱるるをよく知らないから。


ぱるるが自分の世界に入っている時は静かに見守りながら付かず離れずが原則。


しかも怒りながら入り込んでいるときは超警戒レベル。


判断を見誤ると、このあと何が起こってもおかしくはない。




「まるで猛獣使いだね、わたし達」




「シッ!聞こえるやん、島田」




「もぉー、信じらんない!」




「ぱる」




横山が低く静かにその重い口を開く。涙声とハミングするように聞こえていた、ぱるるの嗚咽がひととき止まる。


振り返った彼女の目は久しく見ることがなかった獲物を捕らえて離さない、あのトカゲの目に変わっていた。




「私は許さないから。由依がその気になんないのなら、私ひとりだけででも、潰してやるから、あの女を。」





それは今朝、突然のことだった。




「今日の午後、劇場のステージで記者会見を行います。出席者は、総監督と島崎。


後はあなた、横山が選んで。


あなた達二人をを含めて四人。もし選べないのなら私が選びます。


一応、運営が作った記者会見のマニュアルはここにあるけど、おそらく今日はほとんど役に立たないと思う。もしどうしても言葉が見つからなかったら私に目線を投げかけてください。


できる範囲内で処理します。 以上です。 何か質問は?」




楽屋の空気が凍り付いていくのが分かった。ざわつくメンバーたちを鎮める余裕さえ私にはなかった。


「ちょっと待ってください、菊池さん。それで終わりですか?なんの説明にもなってないと思うんやけど」




「だから、何か質問は?って言ってるじゃない、聞こえなかったの?」


そんな菊地凛子の勝ち誇ったような言葉に、何か得たいの知れない悪意のようなものを感じたのは私だけではなかった。




「あんたさぁ、前から言おうと思ってたんだけど、私たちの事きらいなの?」


私が言い返すより先に、島田晴香の太くかすれた声が頭の上を通り抜けていく。




「随分と感情的な発言ね、島田晴香。 答えてもいいけど、その責任はあんたがとってくれるのね」


「なんの責任?」


「私がここで貴方たちが嫌いと言えば、私のマネジャーとしての仕事がやりにくくなる、その責任」


「ふっ、訳わかんないわ」




「分からないなら黙ってなさい。 もともと圏外の人間になんか、発言権はないんだから」




彼女はやはり大人だった。自信に裏打ちされ計算された言葉が流れるように口をついて出る。


―がんばれ、島田― 誰かが小さく叫んだ声もその他の弱気の虫達のざわめきにかき消される。




菊地凛子のスイッチはとうとう入ってしまったのかもしれない。何かを仕掛けたんだろう。




──仕掛けられたら敢えて乗ってみる、そこに逆に彼女を潰すチャンスがあるのかもしれない




さしこが博多に帰る前に残していった言葉が現実味を帯びる日が早くもやってきた。













─────鬼の居ぬ間に








普段は穏やかな瀬戸内海の海が別人のような顔で私たちを出向かえていた。

しまなみ海道に打ち寄せる波の水しぶきがロケバスのウインドウを叩くたびに車内では悲鳴が上がる。

海上のあちこちで起きた小さな水柱が空に向かって糸を引くようにしてこちらに迫ってきているのが見えた。


「やっぱり四国の海は綺麗じゃのう、見ているだけで土佐っぽの血が騒いで、いかんがやき」

「こんな時に急に土佐弁にならないでよ、大島さん。それでなくても私ダメなんだから、その言葉は」




「ちょっと待ちや、さしこ。土佐弁のどこが気に入らんがや。」


「嫌なのよ、そのなんとも坂本龍馬を気取ってるみたいな言葉が」


「何を言うがじゃ、おまんも知っとろうが、麻友は大好きやっていうてくれるのを。彼女は博多弁のほうがよっぽど耳障りじゃって、いうとったきに」



「大島さん、あんたたち、まさかまだ・・・」

「まだ・・なんじゃ・・さしこ?」



大島涼太、41歳、彼は二か月前まではAKSのイベントを一手に引き受ける共同テレビジョンの敏腕チーフプロデューサーだった。それなのに何故いま、HKT48の夏のホールツアーをサポートする一介のディレクターに甘んじているのか。それをAKB内で知らないものはおそらくいない。


麻友との密会報道に対して運営の下した決断は博多行き。それも二階級落ちの平ディレクターへの降格。



「大丈夫なんでしょうね」

「だから、なにがや、さしこ」

通路を挟んで横に座る児玉遥が首を小さく横に振る。ダメだよサッシー、後席の子たちが耳をダンボにして聞いている、そういいたいのだろう。



「今度、麻友に何かあったら、彼女ほんとにもう駄目だからね。」

「・・・」

「あなたが彼女の全部を背負うつもりなら話は別だけど・・そんな気ないんでしょ」


「・・・・」


「ねえ、聞いてるの」


ずっと海の方に投げかけていた視線を彼は初めてこちらに向けた




「麻友はいい子じゃ。頭もいい子じゃ。俺をきちんと利用しよる。だめになんかなりゃあせん。


お前よりずっとずっと大人じゃ」


「・・・」




「それと、これだけはいっとく。俺と麻友は何もない、この瀬戸内の海神さんに誓ってもいい」


「信用できると思うの、そんな言葉」




「お前の時とは違う、悪いけどさしこの時とは違うんじゃ」


車内の静けさが増すのを感じた。メンバーたちの心臓の音まで聞こえるようだった。





「しぇからしかぁ、大島涼太・・」



そう彼だけに聞こえるように私は囁いた。一瞬その肩が小刻みに震えたあと、彼の口元から小さな溜息が漏れる。大島涼太の端正な横顔は土佐っぽというよりも、どこかの南の国の血でも混じっているようなハーフを思わせた。私への?麻友への?どちらに対してかはわからない。懺悔のつもりなのだろう。あの日から剃っていないという無精ひげは顎から揉み上げにつながり始めていた。




「バカな男」 


私はもう一度聞こえるようにそう彼の耳元でそう囁いた。

車の窓から見える瀬戸の海が先ほどから幾分凪いだように見えた。




「そんなことより、あれはどうなったんじゃ、さしこ」

「あれって?」

「恋愛向上委員会」

「・・・」


今朝、菊地凛子からメールが届いていた

― 明日、劇場で記者会見を行うので、できれば今日中にアキバに帰ってきて欲しい。。詳細は事情があり、はっきりしたことはいえないけど、あなたたちが作った、あの委員会がらみとだけいっておきます。


「行けないだろう、今のお前は。この子たちを残して」

私の答えも大島涼太の考えと同じだった。



── 行ける訳がない




何を考えてるんだろう、あの菊地凛子という女(ひと)は


それは彼女が一番わかっているはずなのに




もしかしたら・・・これは彼女からのメッセージなのかもしれない




― AKBに害を為すもの、利益を発生させないもの、それらすべて除去すること。


わたしの存在する理由がそこにあるのよ。さしこ




そう常々言っていた菊地凛子がいよいよ本性を表し始めた。アキバで今動けるのは横山だけ。


麻友は映画の撮影で京都に張り付いている。ゆきりんはマジすかの舞台に追われている毎日だと昨日メールが入った。さや姉はみるきー卒業でアキバまで手が回らない。


ぱるるは・・・良くも悪くも数には入れられない。 小嶋さんは・・・・元気なのだけは知っている。


私なら・・とそう考えてみる。 今しかない。 彼女はこの機を待っていたのかもしれない。




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