センテンススプリング再び





「会ってもいいよ。ただ絶対ばれないという確信があればだけど」


「勧めてるんか、止めてるんか、どっちかわからへんわ、さしこ」


「ふふっ、そんなもんよ、人のいうことなんか。所詮、決めるのは自分なんだから」


 


メールが来ていた。今朝から何度も。


テーブルのうえでブルブルと震えるiphoneを目の端で確認しながら私はさしこの言葉を待った。


「だったら、行ってきな、後ろは私がきっちり守ったげる。だいいち、まだあんた達、なんにもないんでしょ? なら問題ないよ 」


なにもないのは、それはそれで問題なんだけどね、そう言ってさしこは悪戯っぽく笑った。


 


― 文春の動きが活発になっているようなので各自行動には十分気を付けるように。


そんな運営からのメッセージを今朝、メンバ―200人の前で読み上げたのは私だった。


メンバーを前にしてのそんな通達は異例のこと。たかみなさんの時でもそんな記憶は私にはない。


 


 


なぜ今文春がこの時期に動き始めたのか。またそれに対して秋元先生をはじめ


運営がなぜこれほどまでに過敏に神経をとがらしているのか。この時点では私もそして指原莉乃もそんなことは知る由もなかった。


ただ薄笑いを浮かべていた菊池凛子にさしこだけはその独特の嗅覚で何かを感じているようだった


―あいつだけには気を付けないとね


そう言い残してさしこは部屋を出て行った。


 


「会ってはいけない」


そんな私の覚悟を打ち消すようにテーブルのiphoneが二度三度とまた揺れる。


― 男を知らないからあなたはすべてに対して余裕がないのよ


菊地凛子のその言葉にどれほどの重みがあるのか、私にはまだわからない。


神様が私を試すかのように私の前に差し出した、ひとつの出会い。


菊地凛子をを見返したかっただけ、そんな自分の心を一度は疑った


でもそうじゃない。そうじゃないんだよ、私の靴屋さん




 


考えてみれば無茶な注文だった。真っ二つに折れたフェラガモのヒールをすぐに歩けるようにしてほしい。それも見た目もわからないように


「大丈夫ですよ、5分で直せます」


彼はそういって少し照れながらもまっすぐな笑顔を私に向けた


時折はにかむような表情が京都の父の顔と少しダブった。決して私は麻友さんのようなファザコンじゃないと思う。けど私とそんなに歳の差はないはずのこの靴屋さんに、包み込まれていくような不思議な感覚を私は感じていた。




「どうします?あの表の人達」


彼の目線がショウウインドー越しに溢れかえる人波へと移る。


誰かがtwitterで呟いたのだろうか、普段はひっそりと佇む吉田靴店の周りは二重三重の人垣で埋まり、車が通れないほどのざわつきを見せ始めていた。




「じゃあ・・」いいです、私もう出ますから、そう言おうとした私を手で制しながら


彼はゆっくりと腰を上げた。


「僕が合図をしたら、悪いですけど、みなさんにすこし微笑みながら手を振ってもらえますか」


小さく頷く私に ―ごめんね― とだけ言って彼は店を出て、その人混みの中に身を置いた。




ショウウインドウにさえぎられて彼が何を言っているのかはわからない。けれど私を守ってくれていることだけは理解できた。


周りをとりまく人たちのいぶかしそうな目が彼を包む。今にも押しつぶされそうな小さな吉田靴店の前で懸命に叫ぶ、二代目店主吉田信二。


その気迫に押されたのか徐々に人波が崩れ始める。


 


その頃合いを測っていたように彼は私に目で合図を送りながら小さく微笑み、拝むように手を合わせた。彼にとってはいつもカレンダーで見る、AKB48横山由依への笑顔なのだろう。でも私はその笑顔を受け入れた。長い背丈を幾度も折り曲げながらざわつく人々に頭を下げて回るこの人ともう少し話をしていたい、そう思うようになっていた。


その時、私はもうフェラガモのヒールのことなんかすっかり忘れていたのかもしれない、胸にこみ上げるものを精いっぱいの笑顔に変えようとしている自分がいた。ウインドウ越しに手を振りながら、これまで男の人に対して、ずっとかけていた自分の心の鍵が外れていく音を聞いていた。










        




       ────────*────────
















「ほんとにおまえ知らないんだろうな。」


「知るわけはないでしょう。それに、もし知っていたとしても、うちは記事にできないわけだし」




AKB48のスキャンダルは大手メディアやメジャーな情報媒体は記事には出来ない。そんなことは今の日本では小学生だって知っている。


彼女たちのスキャンダルを世に示すことのできるメジャー媒体、それはただひとつ、センテンススプリング。その文春が今アキバを執拗に追っているらしい、そんな噂が消えては浮かび上がる。


「AKBのなかで何かが起こっている?そういうことなんですか、デスク?」


「アキバの主と呼ばれている有働留美姉さんがご存じないんだから、俺が知ってるわけないだろ、有働」


この人の嫌味はとどまることを知らない。京大卒、それがどうにもこうにもこの人には癇に障るらしい。


 


 


入社して初めて迎えた選抜総選挙。さしこの勝利インタビューは取れたものの麻友の話は取れなかった。 「留美姉・・」、泣きじゃくる麻友に私は何も言えず、ただ自分の胸を彼女にあずけた。「来年があるから、まだ貴女には」その時はそういうのが精一杯だった。


 


「じゃあ、なんでその写真でも撮ってこないんだよ、馬鹿かおまえは!」


理解できなかった。なにを言ってるんだろうこの人は、と思った。抱き着き、すがってくるまゆゆを自分から引っぺがして写真なんか取れるわけないじゃない。


「そんな状況じゃあ・・」


「なかったっていうのかよ。じゃ、なにしに行ってんだ、アリーナにお前は。わざわざ金まで払ってお前に総選挙を見に行かしたのかよ、俺らは!」


 


「ちっちゃい男・・」


溜息とともに漏れ出た声が彼の耳に届く。


聞こえるように言うつもりはなかった。いくら私でもスポーツ新聞最大手の日刊スポーツ、それも御社の編集長様に能書きを垂れるほど根性は腐ってはいない。


 


「ふっ、有働、よく言ったな。 俺が小っちゃいんなら、なんだよお前は。なんで京大まで出てうちみたいな世俗御用達の新聞屋さんに入ってきたんだ 逃げてんじゃないのか、お前は


AKB命とか、何とか。恰好いい事言ってるけど、実際は腰が引けたんじゃないのか、自分の人生に!」


とりあえずその時は頭を下げてその場を離れた。こんなところで職場の上司に戦いを挑んでも私に利するものは何もない、そう考えたから。 


ただ生まれてこの方、人に言い負けたことのない私の生来の負けん気は、いつかリベンジを果たそうと燻り続けてはいた。




「そこらへんのところの裏を取れたら、また社長賞いただけるんですよね、デスク」


おそらくその時の私の目は彼への敵意に満ち満ちていたに違いない。




「何にも知らないはずのやつが良くそんなことがいえるなぁ、有働」


締め切り目前の騒然とした編集部が潮を引くように静まるのを感じた。いつものやつがまた始まった、そう思われているのだろう。




「ほんとうに知らないのかどうか、もう一度自分の胸に聞いてみないとわかりませんけどね」




「いいか、有働留美、一回ぐらい社長賞とったぐらいでいい気になるなよ。誰もお前なんか認めちゃいない。 お前が横山や指原とどれぐらい親しいのかは知らない。けどな、有働、お前が彼女たちの情報を共有することを必ずしも彼女たちは望んじゃいない。それをお前は気づいていない。AKBの分身みたいに自分のことをいっておきながら、実のところAKBを切り崩していってるのは、お前みたいな奴らなんだよ!」


 


なぜかぱるるの顔が浮かんだ。「留美姉、9期会に入れてあげてもいいよ」そうぱるるが言っていたと由依が教えてくれたのはつい先日のこと。


私が守らなければいけないものがそこにある。


彼女たちが私に何を求めているのか、私が横山やぱるるに何をできるのか、


今のわたしにはそれが一番大事。AKBのために恋人も作らず、オシャレもせず、女子力を上げない私を笑わば笑え、大人達。 


私の生きる道は私が決める。少なくとも私がここにいるのは貴方に褒められる為じゃない。                                  






有働留美 23歳京都市出身 京都大学卒 日刊スポーツAKB48担当記者 中学生の時、母親に連れられて行ったAKB48の握手会で大島優子と運命的な出会いをする。


―留美ちゃん待ってるよ―その言葉だけを頼りにAKB一色の青春時代を過ごす


父親の猛反対に遭うものの、一回限りを条件に高1の春AKB第五期のオーディションを受験。最終面接までいくも、無念の病欠で不合格。入っていればゆきりんと同期。




「私が入ればAKBは十年は安泰だと思います」


彼女が一次面接で放った言葉を後に人づてに聞いた秋元康はこういったという。


「なんでその子を取らなかったんだ。言うことの勇気、言えることの自信、自分の将来への覚悟、それが全部その言葉の中につまってるというのに。」




奇しくも2016年AKB48じゃんけん大会の日に二人は出会う。その日、彼女は人生最大の喜びを知ることになるのだが、でもそれはまだ先のお話。




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