総監督の恋。フェラガモなんて大嫌い!



「 最近の由依ちゃんさぁ、あんまり評判よくないよ、わかってるの?自分のこと。」・




担当マネージャーの菊地凛子、彼女の私への口撃は会うたびにその粘着力を増していた。




「 あんた、自分の今の立ち位置を、ちょっと意識しすぎなんじゃないの、らしくないよ、そんなの」






彼女がイラついている理由はわかっている。


「恋愛向上委員会」、秋元先生の肝いりとはいえ、運営内部では不満の火種はくすぶり続けていた。 長らく掲げた看板を下げるのはそれ相応のリスクが伴うのは当たり前。運営側にとって掲げておけばプラスになることはあってもマイナスに働くことはありえない。「もし私たちを頓挫させるとしたら菊地凛子、あやつしかいない」そう言ったのは指原莉乃。


グループの神様がお墨付きを与えたのだから、表面上は私たちにいい顔をするしか彼女に選択の余地はない。ただ、すきあらば、私達の綻びをついばもうとするその姿勢を菊地凛子は崩していなかった。


「はっきり言うわよ、AKBに入る前に本当の恋愛を一回でも経験しておくべきだったのよ、あなたは。男というもの知らないから、すべてに対して余裕がないのよ、横山由依は。」




菊地凛子に言われなくてもそんな事はわかっていた。私はいつもみんなから、そう見られてる、その意識は総監督になってより強くなった。「仕方ないよ、男の人で女は変わるんだから」 島田はそんなことは鼻で笑った。


ぱるるはもっとストレートだった。「バージン発言しちゃえば。それでだいぶ気が楽になるんじゃない」 彼女たちの前ではそんな言葉も素直に聞けた。なぜって、ふたりは必ず最後にこう言ってくれたから ―でも由依は由依だから―


けど菊地凛子、あんたには言われたくない。私の事なんか何にもわかってないあんた何かに。










――― 俺の由依はん








遠くで雷鳴が聞こえていた。西の空がみるみる曇り空に変わる。風に運ばれてきた一滴の雨粒がショウウインドウを糸を引くように落ちていく。


「信二!傘だ、傘!」


わかってるよ、奥からの父の声に独り言のようにそう言った。


用意してあった五十本ほどの傘を傘立てに入れ店の前に出す。昨日の予報ではちょうど正午ぐらいから降り出すといっていた。――ちょっと早いな――そういって思わず舌打ちをする。


ランチ時に重なれば、三倍は売れるのに。特に朝は降らずに昼から降り出す、今日のような日は出しただけで瞬く間に傘はなくなる。


 雨が長引けば長引くほど売れる傘。雨の神に願いを込めながら、おそらく父の天気予報とのにらめっこが居間では続いているはずだ。


   


「今はお前たちが頑張れ」


傘を励ましても仕方がないが、店の前に傘を置くたびに、雨が店のショウウインドーを叩くたびに俺はそう言っている。


 


吉祥寺の駅前から井之頭公園に向かって、男性の歩幅にして三十歩、女性でも四十歩はいかないと思う。


そんなところに俺の店があった。というよりまだ父の靴屋と言うべきだろうか


おしゃれな街、吉祥寺、以前の父の時代では考えられない客がショウウインドウを覗いていく。


「ジミ―チュウ置いてる」「フェラガモあるの」


冷やかしなのはわかっている。たかだか二間ほどの間口の昔ながらの靴屋。少し改装はしたものの昭和の匂いは隠し切れない。




「取り寄せになりますけど、それでも良ければ」


そう言っておけば何事もなく事はスムーズに運ぶ。もしかしたら何人かに一人は買ってくれるのかも知れない。けれど根っからの職人気質がそうさせるのか、靴に対するうんちくを語りたいだけなのか、彼は違う言葉を選ぶ。




「お嬢ちゃん、お兄ちゃん、日本人は日本の靴を履かなきゃあ。


人はそれぞれ持ってるものが違う。それは国が違ったら尚更だよ。ピカチュウだか合鴨だかなんだかしらないけど、名前で靴を履こうと思ってるのならやめたほうがいい。


ろくに履かないで持ってるだけで満足する、それではあんまり靴が可哀想だ。」




店の経営状態がどんなものか私は知っていた。ジミ―チュウ、安いものでも十万はくだらない、


フェラガモに及んではその倍は軽くする。おそらく5~6足も売れば店の一か月分の売り上げになるのかもしれない。そんなビジネスチャンスをこともなげに足蹴にする吉田靴店の親父。


格好いいなんて思わない。


けれど彼の口がもう少し無口で、靴に対する愛情がもう少し人並み以下であれば、吉祥寺の駅前にビルの一軒も建っていたであろうことは容易に想像がつく。


 


「これじゃあ、吉田靴店じゃなく、吉田傘店だよ、親父」


予想に反して雨が上がり始めた西の空にはもう午後の太陽が顔を覗かせていた。


 


「ごめんください」


売れ残った傘を店内に入れようとしゃがみこんだその時、聞き覚えのある声が頭の上で小さく響いた。振り返る前に店内のカレンダーに自然に目がいく。AKB48,六月のカレンダー、こじまこと岡田奈々を両脇に従えて由依はんがはんなり笑顔でこちらを向いている。


―まさか・・・


「あのーよろしいですか」待ちきれないように再びその声が背中に響いた。


「ハイッ」到底口から出たとは思えない自分の嬌声に顔が異常に赤らむのがはっきりと分かった。おそらく振り向くまでに一秒もかかっていなかったと思う。けど今思い出すとその一秒足らずがとてつもなく長く感じてしまう。


 


 


「なんで、ここに?」彼女に聞こえたかどうかはわからない、けど第一声はそうだった。


「あの~、 フェラガモ、直せます?」幾分、関西訛りを抑えながら彼女はそう言った。












―――私の靴屋さん




 


「だったら、車、回さなくていいんだね、横山」


「井之頭公園の池やったらそばに見えてるし、いらんでしょ、それは」


電話の向こうの菊池凛子にできるだけ大仰に私は言ってみた。もう彼女は以前のように私の事を下の名前では呼ばなくなっていた。


「完全に冷戦状態や」右手に持ったiphoneが今日はやけに重たい。




菊池凛子32歳独身、彼氏は確かいないはず。彼女が私の担当マネージャーになったのは二年ほど前、ちょうど総監督の後継の話がちらほらと出始めたころに重なる。


「秋元先生のお考えよ」彼女は私の前ではっきりとそう言った。


帝王学を身に着けさせる、先生はそうも言ったらしい・


その時私は理解した。私たちの想いや考えは上には反映されることはないと。


なぜなら、私は総監督の件に関してはその時、考えさせてほしいとの旨を伝えていた。


秋元先生にも運営上層部にも、もちろんたかみなさんにも。


けれど彼女の言葉を見て取れば、それはもう暫定路線として走り始めているらしかった。


「大人のやり方や」その時わたしは意味もなくそう呟いた。




「どういうこと由依はん」菊地凛子は顔色一つ変えなかった。私たちがいなければ何もできないくせに、瞳の奥に鈍い光を蓄えたような彼女の目がそう語っていた。


 


すぐに私が携帯電話に手を伸ばしたのは言うまでもない


「話が見えないなぁ、横山。誰が言ったんだ、そんな事」


電話の向こうで秋元康はそう言った。


菊地凛子とはそういう女性だった。運営の評判は有能、きれいな容姿を持ちながら、仕事では女を武器には使わない。それは彼女が仕事では女を捨てていることを意味する。そのかわり、常に運営上層部の、秋元先生の意向を見て取る、言われる前に行動することが彼女にとっての有能の証。


 


「菊地さん、悪いけど。あんたとは友達になれそうにないわ」気が付けば周りに聞こえるように私はそう叫んでいた。それが私と菊地凛子との初めての出会い。












「じゃあ早くして、もう撮影スタッフも万全でお待ちなんだけど」


いらつくとワンオクターブ高くなる、いつもの彼女の声がIPHONEを揺らす。


「三分もかかれへんから」


そう言いながら私はマンションの部屋の鍵を閉めた。


吉祥寺の南口の通りに出て南に下がれば井之頭公園の池はもう目の前。三分は言い過ぎでも、五分とかからないはずだ。


衣装は前日に届いていた。真っ赤なワンピース、ブランドはAKBメンバー御用達のハニ―ミ―ハニー。ハイヒールはなんとフェラガモ、麻友さんはドレスの時はこれかルブタンしか履かないのだ。


どっちも汚したら買い取りだからね ご丁寧にもそんなメッセージが彼女から入っていた。


「痛っ!」


いかにも甲低幅狭の外人様好みのその靴は、私の甲高幅広の典型的な和風の足を断固として拒絶する。―それにサイズ合ってないし、菊池凛子!― 人混みのなか、そんな声もあまりの痛さにうめき声に変わる




靴が違えば歩く速度も変わる.さすがフェラガモのハイヒール、足が自分の足じゃないみたにいに動かない。


何なのよ、この靴は


靴がわるいわけじゃない。んなことは、わかってる。変な意地を張って、こんなシチュエーションを作り出してしまった私がすべて悪い


いや、フェラガモも悪い。でも、やっぱり、それを持ってきた菊地凛子が一番悪い




駅の南口の通りを井之頭公園へ続く小道に入る。まだ足の痛みは治まらないけど、フェラガモの歩き方はなんとなく飲み込めてきた。


フェラガモは女王様ウオーク。そう言ったのは渡辺麻友。


「なりきらないとだめよ、この靴は。私は女王様よって思うの。そうすれば勝手に足は動くわ」


麻友さんのアイドルの基本ともいえる背筋のピンシャン。それが彼女の足元から来ているのがよくわかった。




―なんとかいけそうや、そう思いかけたとき、フェラガモとの戦いは意外な形で終わりを告げる。


片足だけでも10万円は下らないイタリア製の高級靴があっけなく悲鳴を上げる。


―ピキッ―


「ひえ――っ!」


真っ赤なドレスに真っ赤な靴、それに加えて、のどかな吉祥寺の早朝を切り裂くような嬌声。人目を引かないわけがない。


「なにっ?」「どうしたの?」瞬く間にできた人の輪から好奇の目が襲い掛かる


「あっ横山由依じゃない」「ほんとだ由依はんだ」


早朝の白日夢、いや悪夢なのか。その時、いつものマスクをしてない自分に初めて気づく。


―菊池凛子の怨念や―あやつはホントになんとかせんとあかん、その時、私は本当にそう思った。


そして、折れたフェラガモのヒールをポケットに忍ばせ足を引きずるようにして、人混みをかき分けた。「ごめんなさい、どいてくださ~い、由依はん?人違いで~す」




もう井之頭公園は目の前、少々遅れてもそれは何とでも言い訳はできる。


ただ、この私のポケットに入っている赤い物体だけは何とかしないといけない。


菊地凛子に頭を下げる事、それは大げさではなく私自身の人格の崩壊につながりかねない。


幸いにも見たところヒール部分は綺麗な断面を作っている


―瞬間接着剤なら何とかなる―


そんなウルトラCにも似た所業をなんの疑いもせず実行しようとするAKB48総監督。


「確か南口駅前にコンビニが」そう思い、周りを見まわしたとき、軒先にぶら下がった長靴の看板が目に飛び込んできた。


「吉田靴店?・・あったっけ、こんなところに靴屋さん」




吉祥寺には珍しい、自分をあまり主張しようとしない店構えに好感以上のものを感じた。


入ることを躊躇わないぐらいの適度に使い込まれた白木づくりの引き戸、小さなショウウインドーには真っ赤なバラの生花がちりばめられ、その上にシャンパンゴールドのハイヒールと幼児用の真っ赤な靴が並べて置かれていた。―ここだ― 確信にちかい閃きと、仄かに舞い降りた胸のざわつきのようなものを感じながら、私はポケットのなかのフェラガモのヒールを握りしめた。


ただ店内に張られた大きなポスターカレンダーが私の足を少し怯ませた訳だけど・・




     




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