第一章⑧:掌握闘魂(しょうあくとうこん)

 海から帰った日の夜中、突如真也のPHSピッチに着信が入る。その着信音で目が覚めた真也は眠い目を擦りながら眠そうな声で電話に出る。


「はぁい……もしもし……?」


「おぅ……真也……?」


「そうですけどぉ……どんぅたでしか(どなたですか)?」


 受話器の向こうで軽く息を吸い込む音がする。


「俺だよ俺! 基宮もとみやだよ基宮!!」


「お~! どうしたんすか基宮君?」


「今お前よぉ……陽都ようと中OBの八はち君って知ってっか?」


「えぇ? それっって今、梅刄うめは組の若頭わかがしらをやってる人ですよね?」


「そそ、そうそうそうそう!! その人の下の征波せいは連合ってあんだろ?」


「はい、征波連合っすよね? 信生のぶあり君の」


「そうそうそそそそ!! そこに今捕まっちまってるんだよ俺」


「っかっははは! 何やってんですか! そうそうそうとか言ってっけど、ふざけてる場合じゃなくないっすか? 拉致られてんじゃないっすかそれ、どうしたんですかそれ?」


「いや何か、征波連合の三代目総長に就任する儀式みたいなのがあるらしくてよぉ……。そのOBの人達に、初代とか二代目と若頭に俺呼ばれちゃったんだけど……。お前と同世代で三代目をやりたい奴がいるらしくて、お前らの学校って強い奴が分かれてるじゃん? この地区はこいつ、この地区はこいつってな。その4地区のそれぞれ強い奴を四天王と呼んでるらしくて、その四天王を全員タイマンで潰してきたらそいつが就任されるっていう思念らしいんだよ」


「で、一発目が俺なんすか? 何でですか?」


「何でだからって……隣だからだよぉおおおおぉ~!! チュウガクトナリダカラダッ! 頼むから来てくれぇ~……トナリダカラダヨ~ぉおおおお……!!」


 所々イントネーションが崩れながら正気を失いかけている状態で、必死に説明し終えると同時に基宮は泣きに入ってしまった。


「お前が隣にいるからなんだよぉ~……」


「わっかりましたよ!! んじゃ何処にいるんすか今?」


「本木もとぎ新道のよぉ、横ッぺにSEGAあんだろ?」


「あぁ、ちょっと行ったところにありますね」


「あそこの正面に廃校になった小学校あんだろ? そこの砂場のタイヤの前のーー」


「今言われても分かんないっすよ! 取り合えずそこの小学校っすね」


「いやセブンまでで良いらしい、セブンまで取り合えず来いらしい。セブン来いセブン! 分かった? セブンだよ?」


「分かりました、じゃあすぐセブン行きますから」


 通話を切って真也は海帰りの疲労が溜りきった重い身体に鞭打って、自転車で2~3キロ先の廃校まで急いで漕いでいった。


「はぁ~も~しんど……」


 数十分後、夜中に一人言われた通りセブンに乗り込みに行くと、基宮と2~3人のOBが待機していた。そのOBのうち一人が真也に声を掛ける。


「これから、こいつがタイマン張りたいらしいんだ」


「はい!」


 真也は威勢良い声で応えるも、OBの近くにいる基宮は完全に膠着し、猫背になってて亀を連想させるような状態になっている。


「で、何でしょうか? 呼ばれましたが」


「こいつがタイマン張りたいらしいんだ、理由は電話で基宮から聞いてるだろ?」


「はい、聞いてます」


「おう、んじゃ相手してくんねぇかな?」


「はい、歓迎ですよ全然」


「お前気合い入ってんなぁ!」


 OBはどうやら真也とそのタイマン相手の両方がそれぞれ格闘技を身に付けていると、その情報を知った上で双方をぶつけたいらしい。


「まぁここでやったら当然、即行で警察が来るわな~」


「そうですね」


「だからあの廃校になった小学校でやろうと思うんだけど、灯りが無いけど良いか?」


「「はい! 大丈夫っす!」」


 真也と基宮は同時に応える。


「んじゃ、そこでやろう」


 二人はその廃校へとOBに案内されついていく。その間に基宮が亀の状態のまま真也に小声で話しかける。


「お前大丈夫なのぉ……?」


「大丈夫っすよ! 周りの人、手ぇ出さないっすよ絶対。この感じ、向こうギャラリーっすよ只の。わいわいと中学生が喧嘩するところが見たくて集まってくる、ギャラリーだから大丈夫っすよ! 俺が真剣にやれば問題無い筈ですから」


 そうして二人は廃校の校庭に到着する。そこは灯りである街灯が1本しか刺さっておらず、辺り一面の殆どが真っ暗闇に覆われている。そこに待機していた20人が真也達を見て盛り上がる。


「お、きたきたきたきた! やるやる~?」


「おっし、いけいけ~!」


 その連中は酒が入ってるんじゃないかと疑うくらいに盛り上がっていて、周囲の暗闇に見会わない宴会ムードを醸し出している。


 案内したOBのうち一人が真也に小声で伝えながら指を差す。


「あの人が一応、梅刄組の若頭の弥幸みつゆき君な?」


「はい! どうも始めまして、四区中の束岡真也と申します」


 真也はすぐその若頭の元へ近寄り、頭を下げる。


「お~う、ごめんな? 急に呼び出しちゃって。何かすごい疲れてそうだけど大丈夫か?」


「大丈夫です! 日帰りで海行ってきましたァ! 元気良いです!! 元気満タンですのでいつでもOKです!!」


 真也はありったけの見栄を張る。すると、若頭は満悦の表情が浮かぶ。


「面白ぇ奴だぁ……っはっはっは!」


 そう会話をしていく中で、ようやく亀さんこと基宮の膠着が解けてくる。


「んじゃ、どういたらいいすか? ルールとかはあるんすか? 一応、格闘技はかじってるんすけど」


 真也は若頭に問う。


「一応ルールとして設けるのは1つ。掴み技無し、投げ技無し、寝技無しの立ち技のみ。んでレフェリーは、お前な?」


 若頭は基宮の方に指を差す。


「んで、決してお前は自分の中学の肩持つんじゃねぇぞ? そしたら俺らが間に入るからな」


「はい! 押忍! 押忍押忍!!」


 基宮は引き締まった声で精一杯張り上げる。


「じゃあやろうか」


 真也と基宮、そしてタイマン相手が位置につく。


「よ~い……スタート!」


 基宮が合図した直後、相手は両足で小さくステップを刻みジャブで距離を測り始めた。その様子を見て真也は気づく。


「(あ~、これボクシングかぁ。だから掴み、投げ、寝技無しっつったのか~。俺柔道も合気道もやってるしなぁ、その辺も伝わってんのかこれ……いやぁ不利だなこれ~!ーーいやボクシングなら、蹴りがまともに入るんじゃね?)」


 真也が思考を回していると、相手もステップで真也を中心に周回し始めた。真也はそれに合わせて腰を下ろして三戦立ち(さんちんだち:空手の型の1つで、腰を落としてレの字に構える基本の姿勢)で待ち構える。


 すると相手の周回スピードが秒追う毎に速くなってゆき、追い付かないと思った真也は履いてた靴を両足とも即座に脱ぎ捨てる。ルールがあるとはいえ念のため掴みを警戒し、上半身が裸になるように上も脱ぎ捨てて再び三戦立ちになる。周回する相手を目線だけ追い続けいくと、相手がピタッと止まり瞬時に向かってくる。


「(っ!? やべっ!)」


 待ち構えているにも関わらず、真也は向かってくる相手の一撃に対し危機を察知する。その理由は、相手が一ヶ所にしかない街灯を背負っている為、真也と街灯の間に立っていることになる。つまり相手の一撃が見えないのだ。


 真也が危機を察知した直後、相手の右フックが真也の左のこめかみに当たり強烈な炸裂音と共に真也は右側に飛ばされる。


「(お~、来たなオォイッ! 良いの入ったなオォイッ!!)」


 そう威力を実感するも、痛みは全く感じなかった。攻撃が当たった直後か直前か、アドレナリンが溢れ出てて痒みすらも感じず、音だけを感じ取った。この時、真也は初めて喧嘩で先制攻撃を受けたが為に、気持ちの高揚が止まらない。痛みを感じないため怯むこと無く即座に三戦立ちで身構える。


「(しっかし今のは見えなかったなぁ、相手が街灯背負ってたから距離感が掴めなかったのか)」


 次第に真也の左目辺りが赤く晴れ上がり、左側の視界が半分塞がれる。


「(あぁもう、これ片目で戦わなきゃなんねぇのか~、面倒くせぇな~)」 


 真也も街灯を背負ってやろうと近寄ると、相手はニヤついた表情でゾンビのように走ってきて飛び蹴りで阻止しようと仕掛けてきた。


「(うわこいつ気持ち悪ぃ! っはっはっは! 気持ち悪いけど、取り合えず負けたくねぇな~……。おっし、じゃあインファイトに持っていくか!)」


 真也は街灯背負うのをやめて、互いに敢えて街灯背負わない雰囲気に持ち込む。


「撃ち合おうぜ!」


 真也が言うと、相手は素早いジャブを重ねながら力強い右ストレートを繰り出した。真也はそれを左手で相手の右手首に添える形で横受けをし、相手のパンチは勢いつけた分だけ軌道が大きく外側に向けて反れ始める。そして真也は、左手で横受けした瞬間に相手の勢いも利用して、顔面に思いっきり上段正拳付きを叩き込んだ。


「フゥルァア”ア”ア”ア”!!」


 打たれた相手は鼻血を吹き出して、膝から一気に地面に崩れる。


「ブゥフゥァア!……いってぇ~……」


 しかし相手はゆっくりと起き上がって、ニヤついた顔で真也を見る。その開けた口の中も血だらけになっている。


「……気持ち良ぇ、もっとやろうぜ真也ぁ~……」


 そう言って相手は立ち上がっては真也を目掛けて走ってくる。真也はゾンビに襲撃されたかのような、初めての恐怖をそこで体感した。


「(ゾンビかよこいつ……、この状態で向かってくるのかこのゾンビはぁ! おっしゃ、もう一発同じの入れてやっからな~)」


 向かってくる相手に対し、今度は真也もステップを踏み始める。すると相手はまた同じようにジャブで距離を測りつつ右ストレートを仕掛けてくる。


「フンッ!!」


 それを真也も同じように左で受け流しつつ、上段正拳突きを同じ顔面の位置に内側に捻ねじるようにして叩き込む。


「上段正拳突きぃ、うぉりァ”ア”!!」


 すると、拳に相手の鼻骨が折れた感触が伝わりつつ相手が身体ごとフッ飛ぶ。相手は正式な試合なら、どちらかが退場にくらいの危険な状態に陥っているも起き上がる。


「ブフォア”ア”ア”ッ!! ……すぅーっ、かーっペッ! はぁ~今のは効いたぜぇ~っへっへっへ……」


 口の中の血を吐き捨てて、相手はまた真也の方をニヤついた顔で見つめる。


「ま”ぁ”だい”く”よ”ぉ~? っはぁ……はぁ……はぁ……」


 鼻が折れて鼻血も出ている為、相手は鼻で呼吸できず口で息継ぎしていて呼吸困難に陥っている。その為まともに喋ることが出来ない。


「はぁ……はぁ……んじゃ……い”ぐよ”ぉ?」


「(マジこいつ……マジかよ!? 気合い入ってるにも程があんだろ……。これ以上やったら危ねぇし、ここはやっぱーー)」


 真也は相手に踵を返して若頭の方へと走っていく。


「お”い”逃げんの”か”ァ”ア”ア”ア”ア”!!」


 相手が叫び散らすも、真也は一目散にOB達のいる所へ駆け寄る。


「すいません、俺の負けで良いっす。なので、今回これで勘弁してもらえませんか……? 僕負けで良いんで、もう負けたことにしてください。この後何発喰らおうが何しようが良いんで、負けたことにしてください。でないと俺人殺しになっちゃうんで、これ以上やったらアイツ死んでしまいます。お願いします……ほんとにお願いします! ほんとにお願いします!!」


 真也は何度もOB達に頭を下げる。すると、初代若頭が真也の元に近寄って軽く肩を叩く。


「大丈夫だよ、分かるよその気持ち。お前は、これ以上やったらこいつが死んじゃいそうだから心配してんだろう? その気持ち分かるよ。じゃあこれで終いな!」


 初代若頭が勝負の締めを行い、形式上で真也は敗北となった。しかしタイマン相手だけはそれを認めなかった。


「納得いかないっす! 俺納得いかないっす!! っはぁ……はぁ……まだ負けてない!」


「お前は、今のまま続けてたら負けてるんだよ」


 若頭が真也のタイマン相手に言う。


「いや負けてないっす!!」


「負けてるのっ! なのに相手は負けを認めて降参してんだ、これどういう意味か分かるか?」


 若頭はとても冷静な口調でそう言う。


「お前と友好的な関係を築きたいからこうしてるだろ、今後も。お前その気持ちを棒に振るんじゃねぇ。ただし、お前が勝ったことにはなるけども、内側ではお前は負けてんだ。その部分を努力しない限り、俺らはお前のことを認めねぇから。で、相手の気持ちを汲んだ上で今後も付き合えよ」


 若頭がきっちりとした言葉で言い切ると、相手はそれを認めた。


「はい、分かりました!」


「んじゃ取り合えず、  就任とかの話は抜きにして、こんだけOBがいると話し辛いだろうから基宮、後は頼んだぞ~。警察来たらマズいから移動しよ」


 そう言って初代若頭はOB達と共に、タイマン相手を抜きに相手方全員がその場から立ち去っていった。


「こいつ、ちと危ないから仲間一人呼んでいいっすか?」


「あぁ……いいよ」


 基宮が了承すると、真也はPHSで創に来るよう電話を掛けた。


「なぁ創、ちょっと本木新道沿いにある廃校になった小学校まで来てくれる?」


「あぁうん、分かった」


「悪いな、ちと遠いけど頼むわ」


 数十分後に創が到着し、丁度一緒にいた坂本も連れてきていた。そしてタイマン相手の方も何人かの迎えが来た。その迎えに来た生徒は、去年の冬に出会って仲間になった西沢とヤスだった。それを見た途端に真也達は大いに笑う。


「っはっはっはっは! なんだお前ら知り合いかよ~!」


「お~う!」


「Oh~!」


「おうじゃねぇよ! お前ら知り合いかよ~!」


「コイツ、同ジ中学~」


 西沢が八はっ中で、東都とうと中のヤスがタイマン相手と同じ中学だった。そのタイマン相手の名はマサといって、3人でいつもツルんでいたらしい。しかし、その中でマサだけが気合い入っていて馬鹿げたことやっているので、二人は怖くて真也達の元に来たらしい。


「うっわぁ~、こいつと喧嘩したのぉ?」


「まぁ、こうなるわな~」


 ヤスと西沢は指差して笑う。


「なんだこいつら知り合いかよ~」


 基宮は真也に言う。


「いやぁ、知り合いっすけどこいつだけ初めてっすよ」


「あぁ、てか痛ぇよ……鼻折れてるよこれ……次は負けねぇかんな!!」


「やだよ、お前となんかやりたくねぇよゾンビ野郎が! お前と次やるとしたら、今度は一発で気絶させなきゃいけねぇから斜め45度に拳底振り上げて気絶させるしかねぇって思ったよ」


「何やってんの?」


「いやぁ空手だよ空手、多分OBの人達みんな知ってただろ。お前ボクシングで俺空手だから投げ無しとか掴み無しとか言ってたけど……最初に」


「多分知ってたよね、あれね」


 二人で笑っていると、創も混ざるように喋り始めた。


「お前また何かやったのかよ、今回どうだったの?」


「いやぁ、結構気合い入ってたよ。多分お前と同じくらい気合い入ってんじゃない? お前ら二人がやったら危なそうだなぁ~」


 こうしてマサとも仲良くなり、仲間がまた一人増えるのであった。






 それから数日が経ち、真也達の元に涼しく心地良い夜風が虫の音色と共に夏の終わりを運んでくる。真也がリビングで窓から入る夜風に吹かれているところ、自宅電話に一本の着信が入った。


「はい、束岡ですが」


 その電話に真也が応答する。


「あ、もしもし! こちらあの~、東武とうぶバスの明原あきはらと申します~」


「ん? どうしたんでしょうか?」


「今、束岡さんの携帯から“自宅”という所に掛けているのですが、お間違いないでしょうか?」


「はい、間違いありません」


「えっとですね~、えっと……束岡到盟つかおか とうめいさんが今あの……バスの中で倒れてまして、救急車呼んでます」


「何処ですか場所は!?」


「二丁目の文明堂の裏辺りです」


「すぐ行きます!!」


 真也は荒く受話器を元に戻し、そのまま玄関へ靴を履いて外へ出て自転車で現場へすっ飛んでいった。近くの駅前からバスで帰宅しようとしていた父親が、バスの中で白目向いてひっくり返って倒れたらしい。手元には夕飯の予定だった、中に寿司が敷き詰まった入れ物が落ちている。


「親父ぃイイイイイ!!」


 真也は腹の底から全力で叫び、顔を思いっきりビンタするが父親は全く起きる様子がない。真也は脳裏に死の予感が過よぎるも、必死に叫び続ける。


「おい、どうした親父ィイイイイイ!!」


 すると救急車が到着し、母親と弟も後から追い付いた。真也は弟に泡を吹いて倒れている今の父親の姿は見せられないと、上着だけ引っ張ってバスの外にいるよう指示する。


「お前こっちにいろ」


 真也は救急車が来ている間ずっと弟の目を覆っている。


「お母さん病院行ってくるから、あんた達は家に帰ってごはん食べなさい。お父さんが買ってきてくれたお寿司を二人でちゃんと食べなさい」


「食える訳ねぇだろうがお前よぉ……」


 真也が静かに怒り反発するも、母親に強引に家へと帰らされる。




 それから真也は弟を先に寝かしつけて、母親の連絡を待ち続けた。そして母親から連絡が来て、医師から家族が集まるようにという通達を受けて真也は早急に病院へと走る。


 数十分後、到着した真也は母親と一緒に廊下の椅子に座って待機する。暫くして医師が出てきて診断結果を告げる。


「えぇ……非常に申し上げにくいのですが……検査の結果、脳に転移型のガンが発見されました」


「……えぇ? それ、どういうことですか!!? 治っていったんじゃないんですか!? 一般成人と同じように過ごせるって言ったじゃないですか!!」


「あの、ですから転移型の……」


「母さん落ち着け!! 一旦最後まで話を聞けって!」


 真也は医師に掴みかかる母親を引き剥がし、強引に椅子に座らせる。内から沸き上がる怒りを抑えながらで、彼も力を加減できる状態ではない。医師が関原いをして説明を続ける。


「では続けます、ガンが見つかった胃を摘出することで一時的に回復傾向に向かっていました。転移しないようにと抗がん剤も打って治療してきました。しかし、1万人に1人の確率でガンが骨やリンパ線を伝って脳に転移することがあるんです」


 それを聞いた二人は望みを絶たれ、自分達の終わりを告げられたかのような思いに溢れて、全身の力が隅々まで抜け落ちて気づいた時には自分が床に崩れていた。意識、というより正気がその時保てていたのかは、どれだけ時間が経っても思い出せない。


 十数分後、意識を失いかけてうつむいた状態の母親に静かにするよう虫の声で言われたので、真也は静かに医師に問いかけた。


「それは、治るんですか……?」


「これは、転移しているところが非常に厄介で、人間の視力を司っている部分、後頭部のここにあるんですけど~ここですね」


 医師は真也の左側後頭部に指を差してガンの転移場所を伝える。


「ここが、視力を司る脳なんですけど、その右半分の視力が潰れて腫瘍が圧迫してできているので、脳がその圧迫し過ぎたが為に倒れて今も意識が戻らない状態になっています」


「……」


「今その脳の圧迫を和らげる薬を点滴で投与しておりますので、それが終わり目を覚まし次第、ご家族でご検討ください。この手術で100%治るとは言えませんし、他の場所に転移してる可能性もあります。実際レントゲン写真等で見ても見えてない部分が非常に多いので、現代の医学観点からすると、手術をするかしないかはあなた達次第です。そして手術をすれば確実に視力の半分を失います、もしくは手術中に転移が見られた場合そこも切除しますので、完全に視力を失う可能性もあります。そういった内容なので、ご家族で検討してください」


「……分かりました」


 真也が答えると、医師は頭を下げた後に奥の方へと去っていった。真也達は父親の病室で椅子に座り、父親が目を覚ますのを待ち続けた。


 数時間後、父親が目を覚まして真也は医師に言われたことを伝える。すると、父親は自身の寿命を悟っていたのかすぐに答えを出した。


「俺は手術するよ」


 そう言うと、父親は意識を盛り返してきていつものように笑い始める。


「だってできちゃったもんはしょうがねぇじゃん!」


「しょうがねぇじゃんも何も、お前死ぬなよ? 俺にやられないまま死ぬなんて許さないからな!?」


「大丈夫だよ、勝ってやるから待ってろ」


「んじゃ勝ってみせろよその力で、ねじ伏せろ!」


 そうして数日後、ガンとの闘病生活を送りつつ手術の日を迎えた。真也と母親は当日立ち会い父親に顔を向ける。


「親父、絶対勝ってこいよ?」


「任せろ」


 真也と父親は腕相撲の時のような形で握手を交わす。


「おう、行ってくるよ」


「行ってこい」


 手術室に見送り、その扉が閉ざされてから数時間。どれだけ時間が経っても扉が開かない。それからまた数時間が経ち、ようやく一人医師が扉から出てきて現状を説明する。


 どうやら手術中に実際転移した場所が本当にあったらしく、かなり難航していたらしい。そして左の視力が3分の1あるか無いかくらいしか残っていないと告げられた。視力が完全に失った訳では無いが、半分少し過ぎた辺りまでは見えなくなっているらしい。右側は曇っていて私生活に大変支障を来きたすので、ご家族の方で見てあげてくださいと最後に言われた。


 その日の帰宅から、真也はまた荒れ狂った日々を送り始める。





第二章につづく

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