第113話

 住人たちにとっては、まさに晴天の霹靂であっただろう。


「あぁ、もう……うるさいな。 何なのこの騒ぎは」

 この領地に住むとある農民の娘は、外から聞こえてくる大きな音に顔をしかめた。


 外では飼っている犬が狂ったように吼え、ニワトリたちが不安そうに騒いでいる。

 もしかしてクマかオオカミでもきたのだろうか?

 だが、その騒音はキャインと悲痛な声と共に唐突に途絶えた。

 同時に気づく。


「なにこれ、壁の隙間からなんか煙が入ってきているんだけど」

「まさか、近所で火事でもおきたのか!?」

 娘の呟きに、その親が驚いた顔で振り返る。


「一度……外の様子を確かめたほうがいいのかな」

「お前はここで待ってろ。 父ちゃんが見てるから」

 農民の親子がそんな会話をしつつ、外の様子を確かめようと玄関の扉を開こうとしたその時である。


 ゴウッ……と大きな音を立てて巨人が殴りつけてきたかのような突風が吹き荒れた。

 哀れ、粗末な家はあっけなくバラバラになる。


 そして瞬きをするほどの時間で出来上がった廃墟に、コツンと音を立てて人の形をした石の塊が転がった。


 同じような悲劇は、現在この領地のあちこちで起きている。

 中には運よく異変を察知して逃げ出した民もいたが、彼らの逃げる先が誘導されたものであることを彼らは気づかない。


 むろんこの領地にも守護神やその眷属、人間の兵士なども少なからず存在していたが、下級神の手にはあまるような化け物が数百羽。

 しかも中級神に匹敵するような大鷲の化け物に率いられているのである。

 彼らになすすべはなく、逃げようとした神々ですらどこからともなく忍び寄ってきた蔓草に足を囚われて身動きが取れなくなっていた。


 数時間後。

 その地域一帯で動いている存在はクーデルスの手勢とアモエナだけになってしまった。

 しかも、逃げ出せた領民が一人もいないという凄まじい徹底っぷりである。


 アモエナは真っ白になった麦畑の前にへたりこみ、泣くことすらできずにぼんやりとその光景を眺めていた。

 そしておもむろに立ち上がり、キッと眦を吊り上げてクーデルスを睨む。


「なにも……なにも皆殺しにする事ないじゃない! どうしてこんな酷いことが出来るの!!」

 だが、クーデルスは困ったように首をかしげ、心外だといわんばかりの口調でアモエナの問いに答えた。


「死んではいませんよ。 意識はありませんが」

「死んで……ない?」

 きょとんとするアモエナに、クーデルスは涼しげな声で説明を加える。


「まぁ、いわば仮死状態というヤツです。

 特にヒビや欠けのない状態ならば、石化を解くだけで元通りにはなりますね。

 ……もっとも、そんな予定はありませんが」


「で、でも一方的に石にするなんてあんまりよ! どうしてこんな酷いことをするのよ!」

 するとクーデルスは眉をひそめ、若干悪意のこもった笑みを浮かべる。


「どうして? 決まっているじゃないですか。

 私のアモエナさんに酷いことをしたからですよ」

「私、こんなこと望んでない!」


 だが、そんなアモエナの抗議を聞くなりクーデルスは笑い出した。

 体をのけ反らせて、さも面白い冗談だといわんばかりに。


「貴女が望んでなくても、私が望むからです。

 とてもすっきりしました」


 やがて笑いが収まると、クーデルスはにこやかな声でそう告白する。

 清々しいまでに自分本位。

 まさに魔族だ。


「とはいえ、本当に酷いことをした方々はまだ手付かずなんですよねぇ」

「……どういうこと?」


 アモエナの問いかけに、聞きたいでしょうといわんばかりの顔でクーデルスは語り始める。


「おかしいと思いませんでしたか?

 なぜ、この土地だけがこんなに貧しいのか。

 神々の加護のあるこの世界で、これはとても不自然です」


 確かに、守護神がいるにもかかわらずこの土地はいつまでも痩せており、人々は貧しい暮らしを続けている。

 まるで人々の祈りが無意味だといわんばかりに。

 そして、クーデルスはその答えを……人々が目をそらし続けてきた真実を口に出す。


「神々によって祝福が制限されているんですよ。

 自分より悲惨なものを用意することで王都の民衆の不満を和らげるため、そして奴隷としての労働力を作り出すためにも都合がいい。

 お分かりですか? アモエナさん。

 神々が貴方達に与えた生存理由は……惨めで利用される事なのです」


 そしてクーデルスは、この世界の神々を否定するかのような結論を口にした。


「つまり、彼らは貴女たちを愛していない。 最初から……ね」


 そう考えれば、全てがしっくりとくる。

 だが、それは同時にこの土地に生まれ育った者を絶望に追い込む真実であった。


 これが真実と言うのならば、自分は何のために生まれてきたのだろう?

 何のためにこの土地を耕し、笑い、泣き、怒り、辛い別れを繰り返してきたのだろう?


 この地に生まれたというだけで、なぜ道具として生きなければならない?

 なぜ、われわれは幸せになってはいけない?


 認めてはいけない。

 認めれば、今までの自分の人生が砕ける。

 こんな悲惨な現実を受け入れてしまったら、生きる気力すら失ってしまうではないか。


 必死で否定しようとするも次々と理論が現実に敗北する。

 やがて彼女は、真実には勝てないということを知った。


「い……嫌……嫌ぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁっ! あぁっ、あぁぁぁぁぁぁぁぁぁっ!!」

 アモエナの口から、怒りと恐怖と絶望の混じった声が尽きることなく吐き散らかされる。

 壊れたように頭を振り、瞼がなくなったかのように目を見開き、屠殺されるために引きずられてゆく家畜のような悲壮感を漂わせながら、彼女は叫び続けた。

 もはや泣くほどの理性もそこには存在しない。

 ただただ深い絶望と狂気だけがそこにあった。


 だが、クーデルスはそれにすら満足しなかった。

 魂が砕けようとしているアモエナの耳に唇をよせ、さらにおぞましい真実をそこに吹き込む。


「なんと無様で滑稽なことでしょう?

 貴女たちを自分たちの私欲のために不幸にし続けた神々。

 そんな神々に感謝と祈りを捧げるための踊りに、貴女は固執し続けたのですよ」


 その瞬間、アモエナはゲゴッと乙女の口からでるにはふさわしくない声を上げ、地面に倒れた。

 どうやら現実と絶望を受け入れきれず、自らの理性を狂気にゆだねてしまったらしい。


 感情を失った瞳は現実を映すことをやめ、緩んだ口元からは涎がこぼれる。

 そんな痴人と化したアモエナを、クーデルスはさも愛しげに抱き上げた。

 そしてそのだらしなく開かれた唇に優しく接吻を施すと、夢見るかのような声で囁く。


「さぁ、アモエナさん。

 愛し合いましょう。

 不実な故郷や愛の無い神々など忘れ、私と一緒に甘い妄執で出来た世界に生きるのです」

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