第112話
雨雲の上に翼を広げたクーデルスは、誰にも見られることなくアモエナの故郷……王都ドゥラペアの北東にある農村地帯にやってきた。
とはいえ、雲の海に多い尽くされた今の状態では何も見えない。
「
クーデルスはその手に青いアネモネの花を生み出すと、分厚い雲の上に落とした。
次の瞬間に花は砕け、その周囲の空気が爆発し、生み出された風によって白い雲は瞬きするほどの間に散らされる。
そして眼下に広がったのは、どこなくうらぶれた雰囲気のある穀倉地帯であった。
ロクな水路も整っておらず、やせ細った穀物が先ほどまでの雨に打ちひしがれてぐったりと地面に横たわっている。
しかも手入れがほとんどされなくて雑草が生えるままになっているのか、見るからに植生がまだらになっている畑も多い。
「さぁ、着きましたよアモエナさん。 懐かしい景色でしょう?」
「……こんな形で帰りたくはなかったわ」
クーデルスにしがみついたまま、アモエナは恨みがましい声で呟く。
だが、その言葉にクーデルスは花がほころぶように笑った。
「そうでしょう、そうでしょう、アモエナさんに酷いことをした人たちが今もなおのうのうと暮らしている場所ですもんねぇ」
「ち、ちがうの! そういう意味じゃなくて」
慌てて訂正しようとするアモエナだが、クーデルスはまるで聞いていない。
「あぁ、汚らわしい。 なんて醜い。 どうしようもなく忌まわしい。
しかもこんな低俗な代物が、くだらない踊りと感傷で私からアモエナさんを取り上げようとしたんです。
これは罰を与えなくてはなりませんね。
とてもとてもキツいヤツをですよ。
フラクタ君。 私の可愛いニワトリさんたちを呼んでください」
目に悪意を、口元に
一瞬、破滅の予感を覚えて身震いしたアモエナだが、呼び出すのがニワトリと聞いて胸をなでおろす。
だが、クーデルスの広げたローブの中から出てきた"ニワトリ"を見た瞬間、アモエナは絶句した。
「な、なにこれ!? 大きすぎる! おまけに尻尾が蛇だし……」
彼女の目の前で悠々と空に羽ばたくそれは、雄牛よりも巨大であり、アモエナなど嘴の一突きで殺せそうな存在であった。
なによりも、その嘴の隙間からは不安を覚えるような濃い灰色の煙が漏れている。
――こんなの、私の知っているニワトリじゃない!
まるでそんな心の叫びが聞こえたかのように、クーデルスは笑いながらコレが何であるかを語った。
「かわったニワトリさんでしょう?
コカトリスと言うのですよ、アモエナさん。
このニワトリさんたちにつつかれたり口から吐き出す煙に触れると、生きている者はみんな石になってしまうのですよ」
「なんてものを……」
どう考えても災害クラスの魔物である。
しかも、コカトリスは一羽だけではなかった。
クーデルスのローブからはそんな化け物が次から次へと飛び出してくる。
周囲にはばたくコカトリスの数がおよそ百羽を越えたであろうあたりから、アモエナは数えるのをやめた。
ふと気が付くと、下にいる村人たちがこの異変に気づいたようで、あわただしく動いている。
人が豆粒ぐらいの大きさにしか見えないので詳しい事はわからないが、この異常事態をどこかに知らせようとしているのだろう。
「……邪魔ですね。 ちょっと誰か行ってきておとなしくさせてください」
クーデルスがそう呟くと、即座に一羽のコカトリスがすかさず地上に舞い降り、その口から灰色の煙を吐きちらした。
すると、その煙を浴びた場所が全て灰色に変わる。
おそらく数分もかからなかったに違いない。
目の前に動いているものは一つもなくなった。
村人たちはおろか草も木も虫でさえも、すべてが石になってしまったのである。
あまりの事に、アモエナは恐怖で震えていることしか出来なかった。
もっとも、しがみついているのがその大惨事を呼び起こした張本人なのだから行動がかなり矛盾しているのだが、混乱している彼女にそこまでの理性を求めるのも酷であろう。
「さぁ、コカトリスさんたち。 貴方たちは二手に分かれて行動してください。
片方のグループは風上から石化の吐息を吐いて住人たちを追い込む役です。
逃げてきた住人たちを一箇所にまとめてくださいますか?」
クーデルスの言葉に反応して、一斉に飛び立つコカトリスたち。
だが、まだ終わりではなかった。
「さて、コカトリスさんたちのお手伝いをする方々もお呼びしましょう。
フレスベルグさん、風を起こして石化ガスの流動制御をお願いします」
すると、今度はクーデルスの懐から巨大な鷲の頭が顔を出した。
その大きな目がギョロリとアモエナを見た瞬間、彼女はそのまま卒倒しそうになる。
……アレはダメだ。
前に下級神であるロザリスがクーデルスに戦いを仕掛けてきたときですら、まるで比較にならないプレッシャーである。
クーデルスが魔王である事は知っていたが、まさかこんなものを顎で使えるとは思ってもいなかった。
その巨大な鷲はあっさりとアモエナから視線を外すと、クーデルスの懐からすり抜けてこちら側に翼を広げる。
次の瞬間、その巨体がさらに大きくなり、文字通り空を埋め尽くした。
その大きさは街一つを翼の下に包めるほどだろう。
もはや比較対象となる生物はアモエナが知る限り存在しない。
「さてと、そろそろ下に下りましょうか。
……ミロンちゃん」
クーデルスが声をかけると、突如として真下に黒いサソリが現れた。
しかも、文字通り雲の上の高みから見下ろしてもはっきりとかわるほどの大きさである。
「ミロンちゃん、また大きくなったようですね。
そろそろ若手のドラゴンでは歯が立たないんじゃないでしょうか?」
そんな台詞を吐きながら、クーデルスは急速に高度を下げた。
そして巨大サソリの上に降り立つと、そのサソリはゴゴゴと重い音を立てながら鋏を振り上げる。
「ふふふ、久しぶりの出番でご機嫌ですねぇ」
クーデルスの語るところによると、喜んでいるらしいのだが、アモエナにはサッパリわからない。
ただ一つわかる事は、クーデルスの呼び出した軍勢が国を滅ぼしてもまだお釣りが来るほどの戦力だということだけである。
「さぁ、始めましょう。 この地に愛の巣を作るために」
そしてクーデルスの宣言と共に、悪夢がこの世界で踊りだした。
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