第95話
その日も、うだるような夏の暑さであった。
昼を過ぎれば気温もみるみる上昇し、大人たちは日向を避けて午睡に勤しむ。
子供のいない船の中はとても静かで、鳥の歌と蝉の声だけが元気に鳴り響く中でときおりチャポンと魚の跳ねる音が聞こえるのみだ。
そんなまどろむような空気の中を打ち消すように、甲板の上ではリズミカルな三拍子が流れていた。
「精が出ますね、アモエナさん」
「そりゃそうよ。 モラル様にもらった技術に、まだ体がついてこないんだもの」
先日、クーデルスへの報酬としてモラルから踊りの技術を与えられたアモエナだが、モラルのレッスンとは彼女が過去の踊り子の魂から抽出してコレクションしていた踊りに対する莫大な記憶を直接脳に流し込むというものだった。
アモエナが短期間で王立舞踏団を凌駕するような踊り子になったのにはそんなカラクリがあったのである。
おかげでアモエナは一瞬で一流の動きを手に入れる事ができたものの、まだその能力の全てを使いこなせているわけではない。
記憶の主たちとは当然ながら体格も手足の長さも違うため、動きにズレが生じてしまうからだ。
祝勝会の舞台にはなんとか最低限の調整が間に合ったものの、まだまだすりあわせが必要なのである。
もっとも、素人目にはどこがズレているのかサッパリわからないレベルではあるが。
「まぁ、それは良いのですが……そろそろ船旅は終わりのようですよ。
汗をふいて荷物をまとめたほうがよろしいかと」
「もうそんな時間なのね。 わかったわ」
クーデルスの言葉に素直に従うと、アモエナは客室へと戻っていった。
そして、アモエナが荷物をまとめ終わるのとほぼ同じぐらいに、船はドゥロペラの船着場へと到着する。
「じゃあ、ここからは別行動ね」
「危険ですよ? やはり私がついていたほうが……」
「ご心配なく!」
アモエナの肩に手をかけたクーデルスだが、すぐにピシャリと手ではたかれてしまった。
そしてアモエナは振り返ることなくドゥロペラの雑踏の中に消えてゆく。
彼女の行く手には、普通の人間では見る事のできない桃色に輝く蝶がヒラヒラと舞っていた。
察するに、おそらくはモラルの作り出した眷属だろう。
先日クーデルスの作り出した白い蝶の使い魔を参考にした代物だ。
モラルの加護があるならば、アモエナの身は安全だろう。
少なくとも、彼女に向けられる人の悪意は全て食い尽くされるに違いない。
「やれやれ、行ってしまいましたか。
どうも妙な感じなんですよねぇ。
探ろうと思えばいくらでも探れますが、色々と邪魔してきそうな方もいらつしゃるようですし、覗き見がバレた時の反応も怖いんですよねぇ」
ここにきてクーデルスは、アモエナが自分を頼り依存するという目論見が大きく外れだしていることに気が付く。
「少しヒントを残しすぎましたか。
ですが、まだまだ修整は可能です」
そう告げると、クーデルスはその足で街からでる方向へと足を向けた。
そしてそのまま彼は郊外の広い野原にたどりつく。
すると、周囲に誰もいないことを確認してからクーデルスはローブを一枚脱ぎ、その下に隠れていたエメラルドグリーンの翼を広げた。
そして野原の遥か上空に場所を構えると、こんな独り言を呟いたのである。
「さて、たまにはモラルさんの真似でもしてみますか。
上手くゆけばよいのですが……研究中の魔術をこうも早く使うことになるとは思ってもいませんでしたよ。
――
クーデルスの魔力が、緑の野原に放たれる。
次の瞬間、広い野原に生えた草は全てが白に染まり、さらにそこから芽吹いた赤と黄色と青……そして黒い花に覆いつくされた。
さらにその一部の花が蕾を閉じると……そこには街の様子を記した一枚の絵が浮かび上がったではないか。
しかも、花が素早く開閉を繰り返すことでその絵は魔法の水晶玉のように遠い景色を映し出す。
そして、その花で作られた絵の真ん中には、アモエナの姿が描かれていた。
「ふふふ、この私を出し抜こうなど、二百年早いのです。
え? 人間はそこまで生きられない?
それはまた失礼しましたね。
ふふふふふふ、はーっはっはっは!!」
だが、クーデルスが一人突っ込みという寂しい遊びをして興入っていたその時である。
「むっ、この魔力はモラルさん?
あっ、ああっ! 花が! 私の咲かせた花が!!」
クーデルスの目の前で、水分を抜かれた花々は見事なドライフラワーとなり果てた。
当然画像の動きも止まり、アモエナが今何をしているかもわからなくなる。
「なんて酷いことを! うぬぬぬぬ、このままでは済ませませんよ!
……って、なんですかコレは。 まるで三流悪役の台詞ではありませんか!」
クーデルスは空中でしばらくジタバタと地団駄をふむと、突如としてその動きをとめ、そのままどこかへと向かって飛び去っていった。
なお、残されたドライフラワーによって描かれた絵は、偶然その構図がよかった事もあって雨が降るまでの間ドゥロペラの住人たちの目を楽しませたという。
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