第88話

「きゃあぁぁぁ! ちょっと、酷いじゃない!!」

「痛っ、痛いですよ、クーデルスさん! 少し手加減を……」

 そんな悲鳴と共に、物陰から引きずり出されたのはドルチェスとカッファーナである。

 彼らの体はクーデルスが作り出した茨のつるに巻かれており、見ているだけで痛々しい。


「痛くしているんだから当然です。 盗み聞きした罰ですよ。

 ちゃんと手加減してあげいるんですから、文句は受け付けません」


 いつもなら手加減の上手いフラクタ君に任せる作業だが、忙しいから呼び出すなと威嚇されていた。

 そのため、今日は手加減の下手糞なクーデルスが自前の魔術でやっている。

 だが、手で殴るよりも魔術のほうが手加減しやすいことに気づき、クーデルスは内心喝采をあげていた。


「忘れ物を取りに来たら、偶然こんな場面に出くわしちゃったのよ」

「そうそう。 故意ではありません」

 そんな言い訳を口にする二人だが、クーデルスは疑いの目を向ける。

 野次馬根性でずっと潜んでいたのはほぼ間違いない。


「やれやれ、どこまで本当だか」

 そんな台詞を吐くクーデルスだが、ドルチェスとカッファーナのほうも信じてもらえるとはあまり期待していないのか、それ以上なにも喋らない。

 実に賢明な振る舞いである。


「それで、本当に彼女を不老不死に?」

「するかもしれませんねぇ。 全ては彼女次第です」

 話題を変えようとドルチェスがそんな疑問を口にすると、クーデルスはやや面倒くさそうにそう答えた。


「つまり、王立舞踏団の入団試験の結果次第ということかしら?」

 だが、カッファーナがそう質問した途端、クーデルスは腹を抱えて笑い出した。


「ぷっ、くくく、はははははは! 面白い冗談ですね、カッファーナさん!!

 まさか! 彼女が受かるはずないじゃないですか」

「ちょっとクーデルス。 それは聞き捨てならないわね。

 彼女の振り付けとダンスの才能は本物よ?」


 普段の彼らしからぬ反応にどこか不気味さを感じつつも、カッファーナがムッとした顔でそう口にする。

 すると、クーデルスは長い前髪の奥から悪意にも似た感情を滲ませつつカッファーナと視線を合わせた。


「だからこそですよ。 わかるでしょう?

 王立舞踏団の公演も見たからこそ断言できます。

 ――受かるはず無いじゃないですか」


 なんとも矛盾した返答。

 その言葉の意味を先に理解したのはドルチェスだった。


「あぁ、なるほど。 そういうことですね。

 たしかに彼女は落ちるでしょう。 ……実力を発揮したならば」


 夫の言葉に、カッファーナもようやくその意味を理解する。

 そして、忌々しげに顔をしかめた。


「ったく、これだから嫌なのよ。 芸術家気取りの俗物は」

「ふふふ、確実に嫉妬するでしょうねぇ。 彼女の才能に。

 自分を越える才能に出会ったとき、人は大きく分けて二種類の行動に走ります。

 そして、自尊心の高い王立舞踏団の振り付け師や踊り子たちは、まずアモエナさんに良い感情を抱かない。

 心の底からわきあがる悪徳の囁きに、彼らと彼女らはあらがわないでしょう。

 多少なにかの才能があったところで、聖人でも無いただの人間なんてそんなものです」


 そしてアモエナは、不当な評価によって迫害される。

 クーデルスのそんな予想に、ドルチェスもカッファーナも異論を唱えなかった。

 なぜなら、この二人もまた同じようなことを経験しているからだ。


「そういたら、彼女はどんな顔で帰ってくるでしょう?

 泣いているでしょうか? それとも諦めて笑っているでしょうか?」


 暗い笑みを浮かべながら、クーデルスは徐々に感情を高ぶらせてゆく。


「私は……絶望のあまり人形のように虚ろになっていて欲しいんです。

 あぁ、なんて罪深いことでしょう! ええ、いけないことは わかっているのです。

 けれど、もう私は私の中の想いを我慢できないのです!」


 クーデルスの緑の目が、ギラギラとした見たことも無いような光を放っていた。

 胡散臭くも、だがそれでも常に穏やかな笑みを浮かべているクーデルスだが、この飢えたケモノのような魔族としての顔も常に持っているのである。


「今の彼女を見ていると、私の中の魔族の部分がどうしようもなく疼くんですよ!

 そして想像してしまうんです!

 絶望に身も心も打ち砕かれて。なおも夢を諦めきれない彼女の姿を!

 そして私にすがるんです。 夢の続きを見たいがために。

 だったらどうなるでしょうか? そう、彼女は、私しか見なくなるんです!」


 不意に台詞を止めると、クーデルスはすっかり沈黙していたドルチェスとカッファーナを振り返った。

 そして悪魔の顔で笑う。


「すばらしいと思いませんか?

 私しか見ないんですよ! 他の誰も必要としない。

 そうなれば、私もきっと彼女以外は必要なくなります。

 世界にたった二人だけでかまわない。

 これが愛じゃなくてなんだというのです?

 そうしたら、私は時非の実を与え、永遠の愛と共に彼女を人の定めから解放するのです!

 彼女は三つの実を食べて、不老不死と引き換えに人の世界では住めなくなって、私だけが彼女の居場所になるでしょう!

 しかも、永遠に、尽きることなく!

 すばらしい! なんとすばらしい!!

 あはは、あははははははははは!! はやく、早く帰ってきてください、アモエナさん。

 何もかも、私以外の何もかもをなくした貴女を、私が優しく迎え入れてあげましょう!

 あぁ、どうか早く……早く! 早く! 早く! アモエナさん!!」


 その翡翠のような美しい目を見開き、歓喜と苦痛を顔に貼り付け、天を仰いで踊るように両腕を広げながら、魔王は激情を解き放った。


 これが後に、捩花の見た夢と呼ばれる物語の最終章……そのはじまりを飾る序曲の元となった場面である。


 作曲家ドルチェスは劇作家カッファーナの書いた闇と快楽に満ちた歌詞に対し、夏の日差しのように明るく爽やかで、雄大で力強い旋律を与えた。

 まるで強い光の中でこそ、より闇の暗さと深さが際立つことを表現するかのように。


 物語はここから狂気と闇を深めながら、賑やかに、そして華々しくフィナーレへと向かってゆく。

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