第86話
「あぁー、もぅ! 狭っ苦しい!」
カポンと音を立ててアモエナの首が上にあがった。
いや、彼女は立ち上がっただけである。
……箱の中で。
そう、舞台の最後に登場する生首は、仕掛けのついた箱の中にアモエナが入っているという古典的な奇術であった。
簡単に言えば、天板の下に鏡を仕込み、床を映すことで何も無いように見せているのである。
こんな単純なものでも、奇術の知識が一般的では無いこの世界においては魔術や奇跡でまかりとおってしまうのだ。
「クーデルスさぁ、この箱の中すごく狭いんだけど? どうにかならない?」
「流石にそれ以上台座を大きくすると、不自然に思う人がいるでしょうからねぇ」
原因はアモエナの体が女性にしては少し大きすぎるせいなのだが、さすがにそれを口にするほど無神経ではない。
「ぶぅー。 なんかこの箱だけじゃなくて、全体的にこの舞台って私の負担がすごいんだけど?」
「仕方がありませんよ。 アモエナさんは主役なんですから」
不満を漏らすアモエナに、クーデルスは苦笑いを浮かべるしかなかった。
なお、生首の状態で現れる終わりの場面以外にも、人形の生首を抱えたまま踊る場面もまたかなり負担が大きなシーンである。
あの場面、彼女は服の中に顔を隠したまま踊るため、ほとんど何も見えないような状態なのだ。
一般的に言えば、ほぼ自殺行為。
これを踊れる度胸とセンスをもっている踊り子は、少なくともクーデルスが知る限りアモエナだけである。
「でも、おかげさまで舞台は好評ですよ?」
「悪評もすごいけどね!」
慰めるようなクーデルスの言葉にも、アモエナはべーっと舌を出す。
どうやら、かなりストレスがたまっているようだ。
どう機嫌を取るべきかクーデルスが悩んでいると、助け舟は思わぬところからやってくる。
「舞台も終わりましたし、クーデルスさんとアモエナちゃんの二人で外をぶらついてきてはどうですか?
まだ屋台もかなり残っているようですし」
「おや、ドルチェスさん。 デートですか?」
小奇麗な衣装に身をつつんだドルチェスの後ろには、これまた小洒落た服装に着替えたカッファーナがニコニコとしていた。
なるほど、これならば思考回路がお花畑なクーデルスでなくともデートを連想するに違いない。
「残念ながら、私達はこれから営業です。
明日でこの祝勝祭も終わりますし、劇場との契約が切れますからね」
ドルチェスの語るところによると、今回の舞台があまりにも反響が大きかったため、パトロンの申し出が殺到しているらしい。
「ふふふ、いっぱい仕事取ってくるから、楽しみにしていてね?」
ご機嫌な口調でそんな台詞を残すと、二人は腕を組んで歩き出した。
営業だとは口にしたものの、半分ぐらいはデートを兼ねているに違いない。
「しかし、今日はみんなお出かけですか。 少し寂しいですね」
「フラクタ君とドワーフさんたちは?」
言われてみれば確かに、いつもこまごまと動いている人外組の姿が見えなかった。
すると、クーデルスは少し寂しげな口調で彼らの行方を口にする。
「フラクタ君は本業である南の魔王領の経理に戻ってます。
ドワーフさんたちは、フラクタ君に雑用としてつれて行かれました」
なるほど、確かに言われてみれば彼らにはもともとの仕事があのだ。
むしろこんなところで演劇に関わっているほうがおかしいのである。
そして、そこでふとアモエナが気づく。
周囲の面子に比べて陰が薄いので気づかなかったが、ロザリスの姿も今日は見えない。
「そういえば、ロザリスさんはどこ行ったの? ぜんぜん見かけないけど」
「ロザリーさんはアイドルとしての営業に行くため、相方の女騎士を呼びに行ったようですよ」
モラルによって行われた対オーク用の訓練以来なにかが吹っ切れてしまったのだろう。
ロザリスは女性の姿に抵抗がなくなってしまつたようで、今ではクーデルスにロザリーちゃんと呼ばれても普通に返事をするようになってしまった。
寂しいからそろそろ解毒薬を飲ませて男に戻そうかと言う話も出ているが、おそらく全力で嫌がるだろう。
「そっか。 クーデルスと二人っきりなんだ」
ガランとした楽屋を見渡し、アモエナは感慨深げに呟く。
そして、クーデルスを振り向くと、どこか狂気を感じる笑みを浮かべた。
「ねぇ、クーデルス。 お願いがあるの。
聞いてくれる?」
だが、クーデルスはすぐに言葉を返さなかった。
まるで、彼女が何を話そうとしているのかを知っているかのように。
「改まってどうしたというのですか?」
どこか乾いた声で答えたクーデルスに、アモエナは光を失った目で、囁くように問いかけた。
「あの劇に出てきた
ギリッと、クーデルスの口から歯軋りの音が響く。
この物語を舞台でやると話を出されたとき、クーデルスがもっとも懸念したのがこの展開であった。
「馬鹿な事を考えるのはおやめなさい、アモエナさん」
だが、アモエナは闇に堕ちた者特有の浅ましい笑みを浮かべる。
「でも、時を止めるその実があれば、これ以上背が伸びなくてすむよね?」
「人をやめることになりますよ?」
そう、歳もとらず、死ぬことも無い。
そんなものは、もはや人間ではなかった。
だが、そんなクーデルスの忠告も、彼女には届かない。
まるで泣く寸前の幼子のような笑顔を浮かべたまま、彼女は吐き出すように叫んだ。
「それでもなりたいのよ! ラインダンスの踊り子に!!」
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