第84話

 明かりが消されて真っ暗になった会場に、低い男の声が響いた。


 ――昔々、五十年ほど前の事である。

 この国に、ひとりの宮廷魔術師がいた。


 その男の名は、残念ながら伝わっていない。

 だが、彼は治癒の術に優れた神官であり、同時に召喚の術にも長けてた魔術師でもあったという。


 必要な知識を得るために神や魔族を呼び出し、生命の深遠について問いただす日々。

 そんな研究三昧を続けたある日、彼は永遠の命の手がかりとなる悪魔の存在を知る。


 その悪魔の名前はクーデルス。

 三百年以上も前に誕生した悪魔で、あらゆる生命を自在に作り変える力を持つという。


 しかし、クーデルスは魔族の最高峰である四天王の一角、南の魔王の二つ名をいただきながらも争いを好まない性格であった。

 そのため魔族たちの間では快く思われてはおらず、興味が無い、あるいは全く知らない……知っていたとしても話題にしたくない、そんな変わった立ち位置の魔王だったのである。

 彼の事については、むしろ人間たちの方が詳しいほどだ。


 なぜなら、彼は過去に何度も人間たちと交渉を持った事があり、いくつもの昔話に登場するからである。


 ある時は母を助ける薬を求めた少年に試練と引き換えに薬草を与えた物語に。

 またある時は奴隷としての生活に疲れた人々の願いを叶えて彼らを永遠に鳥の姿に変えて空に放ったという物語に。

 いずれにしても、人間と明確に敵対的ではない悪魔として登場するのだ。

 

 ただし、彼に願いを叶えてもらうには、生贄が必要である。

 その生贄は若く美しい女性に限るのだが……なぜか物語の最後には魔王は女性を手放し、何も得られないという結末が待っているのだ。

 そんな話を聞いていた魔術師は、クーデルスを呼び出すために若く美しい奴隷の少女を用意した。


 ここでナレーションが終わり、舞台にスポットライトがあたる。

 すると、ひとりの少女の姿が闇の中に浮かび上がった。

 そう、物語の主人公は奴隷の少女を演じるアモエナである。

 さらには彼女の後ろにも明かりが灯り、真っ白なスクリーンに魔術師の影絵が映りこんだ。


「さぁ、奴隷の娘よ。 今からお前は魔王を召喚するための生贄になる。

 魔王が現れたならば、その命を差し出すがいい。

 さすれば、奴隷に落とされたほかの家族は平民に戻してやろう」


 すると、舞台の上の少女が立ち上がり、舞台が明るくなる。

 そこにはいつの間にか楽団と合唱団が控えており、彼らは作曲家ドルチェスの生み出した音楽を奏で出した。


 少女の悲哀を訴えるその音楽と共に、少女が微風のようなゆっくりとした動きで、やがて水が戯れるような滑らかな動きで踊り始める。

 それは今までの舞台で演じられてきたどんな踊りとも違う、だが目を引き寄せるような美しい動き。

 その周囲では人形による影絵の人物たちが物語を紡ぎ続ける。


 何もかもが新しいその芸術に、観客たちは息をするのも忘れた。


 すると今度は激しい打楽器の音と共に、今度は魔法陣の影絵が映し出される。

 聞こえてくる怪しげな呪文。

 背後のスクリーンが光り輝き、いよいよ悪魔が呼び出されると思った瞬間……背景は森の影絵に変わった。


 そして観客たちの目の前に、スクリーンに色とりどりの花に囲まれた大男の影絵が映る。

 ――魔王だ。


「ようこそ、お嬢さん。 南の魔王の城へ。

 用事があると言うのなら、そちらから出向くのが礼儀だと思いませんか?

 しかも、手紙も送らずにいきなり呼び出す呼び出すのはいただけない」


 魔王との肩書きにも関わらず、その声は真綿のように柔らかい。

 物語に登場するこの魔王は、いつだって恐ろしげな姿はとらないのだ。


 だが、そこがこの魔王の恐ろしさなのである。

 彼はその優しい声で人に語りかけ、人をあやまった道に引き寄せようとするのだから。


「だから、私を呼び出そうとした奴を、逆に呼びつけてやることにしたのです。

 本当はあの生意気な魔術師を呼び出したかったところですが、魔法陣の中にいたのは貴女だけでしたからね。

 なので、手紙がわりに事情を知っていそうな貴女を私のところへ呼び出すことにしました」


 そして魔王は、その低い声に甘さを混ぜながら、誰もがすがりたくなるような優しい口調で囁く。

 やがて囁く声は伸びやかなテノールへ。

 ドルチェスの作り出した鮮やかな旋律に彩られながら、少女の境遇を哀れみ、慈しむ心を歌い上げた。


「さぁ、あの魔術師は私に用があるのでしょう?

 言ってごらんなさい。

 必ず願いを聞いてあげるとは限りませんが、何を求めても貴女に危害を加える事は無いと誓いましょう」


 その言葉と共に、影絵の中のチューリップの花びらが一枚落ちる。


「魔王様、あの魔術師の願いは永遠の命です」


 すると、魔王の影絵は額に手を当てて嘆きを表現した。

 そして少女と魔王の影絵の踊りを彩るように、二人の歌い手がオペラのように会話となる歌を互いに歌いはじめる。


「なんとくだらない。

 美しい花は、いつか枯れる運命があるからこそ尊くあると言うのに。

 どんなに美しくても、たとえ同じ姿をしていても、そこに枯れゆく本物の花と永遠に咲く作り物の花があるならば、私は迷わず枯れゆく花を選ぶでしょう。

 永遠に美しい姿を留める女神の美貌も、いつか老いゆく人間の少女の一瞬の輝きの前には色褪せてしまうのです」


「あぁ、魔王様。

 貴方にはわからない。

 貴方に私達の気持ちはわからない。

 それは貴方が永遠に近い時を生きる事ができるからです。

 永遠と言う言葉は太陽のように輝かしくて、恋焦がれない人などいるはずがない。

 太陽の光はまぶしすぎて、目を閉じてもその光はまぶたの裏まで届いてしまう。

 手で顔を覆い隠しても、その熱を感じずにはいられない。

 だから、たとえ貴方がくだらないと思っていても、私達は永遠がほしくてたまらない。

 もしも私が永遠の命を持ち帰らなかったなら、私は隷属の呪いに焼かれて灰となるでしょう。

 怒り狂った魔術師は私の家族、病に苦しむたった一人の弟をも殺してしまうでしょう。

 手の上に降りた雪のように儚い私達を哀れむのなら、どうか私達にその力と叡智をお与えください」


「愚かなことを言うものではありません。

 死が恐ろしいというのならば、貴女だけでもこのまま留まって、ここで穏やかに暮らせばいい。

 呪いなど私が一息で消してしまいましょう。

 望むのならば、貴女に永遠の若さもさしあげましょう。

 飽きるほどの長い時間もさしあげましょう。

 人間の社会は、私から見ればとても辛く無残な物。

 貴女の大事な家族や友人も、いつかは死によって別れなければならない。

 それが早くなろうと、遅くなろうと、永遠の前ではどんな意味があるのでしょうか?

 くだらない世界の事など、忘れてしまいなさい」


「あぁ、魔王よ、優しい言葉で私を惑わさないでください。

 その人たちのことを忘れて穏やかな生活など、どうしてできるでしょうか?

 私は決して一人では生きていけない生き物なのです。

 それは永遠の後悔の始まりでしかないのです」


「悲しい事を言うのですね、美しい娘よ。

 ならば、時を留める果実を三つあげましょう。

 この果実を一つ食べるごとに十年、人は年を取らずに若いままでいられます。

 ですが、決して二つ目を食べないでください。

 それがこの果実を与えることへの代償です。

 もしその約束を破れば、私はその人から罰として死を取り上げるでしょう」


 その言葉と共に、影絵の中のチューリップが再び花びらを散らした。

 まるで、何かを暗示するかのように。


「魔王様、それは魔術師の求める不老不死そのものなのではないのですか?

 それは人にとって福音でしかないのではないですか?

 なぜ罰だなどというのです?」


「いいえ福音ではありません。 死なないのではなく、死ぬことができないのです。

 永遠に恋焦がれる人間にはわからないかもしれませんが、これは恐ろしいことなのです」


 そんな台詞と共に、場面を切り替えるための幕が降りてきた。

 そして幕に閉ざされた舞台から、魔王の最後の声が響きわたる。


「願わくば、貴女がその恐怖から永遠に無縁でありますように」


 再び幕が開くと、少女は赤い三つの果実を手にしていた。

 魔術師の影絵が映り、再び歌と音楽が始まる。


「おお、帰ってきたか、生贄の娘よ。

 その赤い果実はどうしたのだ?

 もしやそれが永遠の命か?

 すばらしい! これで私は死を恐れなくて済む。

 私は永遠を手に入れたのだ。

 私は神と等しくなるのだ!!

 その果実を渡してもらおう!!」


「その前に約束を果たしてください。

 私の家族を奴隷から解き放ち、十分な治療をお願いします」


「残念だが、お前の弟はすでに死んでしまった。

 戻ってくるのが遅すぎたのだ。

 お前がどこかへ消えてから、すでに二年の時が過ぎたのだから」


 何と言うことだろうか。

 南の魔王の居城で散ったチューリップの花弁は、そのまま時の流れをあらわしていたのだ。

 そして少女は悟る。


「あぁ、なんと言うこと! この男は私がいなくなったことを理由に、弟を見殺しにしたのだ。

 許さない。 絶対に許さない。

 あぁ、そうだ。 この男にもっとも酷い罰を与えよう。

 裁きの神たるユホリカよ、南の魔王よ、私にご加護を。

 隷属の呪いに打ち勝つ力を与えたまえ!」

 

 すると、アモエナの扮する少女は、手に持っていた果実を全て食べてしまったのであった。

 魔王との約束を忘れて。

 すぐさまその身に刻まれた呪いが彼女を灰にしようと力を解き放つが、不死となった彼女を殺す事はできない。


「何と言うことをしでかしたのだ、卑しき奴隷の分際で。

 お前を王に突き出して、処刑してくれる!」


 失望に怒り狂った魔術師は、怒りに満ちた声で叫ぶ。

 すると、左右から兵士役の役者たちが現れ、呪いに焼かれて苦しむ少女を舞台の袖へと連れ去っていった。

 続いて、後ろの幕が落ちて場面は処刑台へと一瞬で変貌する。


 そして、囚われの少女……(よく見れば、それは人形である事がわかる)が処刑台にすえられた。


「おのれ、卑しき娘よ。 その犯した罪を思い知りながら死ぬがいい!!」

 民衆の見守る中、少女の首にギロチンの刃が落ちる。


 だが……首だけになっても少女は死ななかった。

 それだけでは無い。

 首の無い少女が立ち上がると、自らの首を拾い上げて踊りだしたのである。


 観客席は騒然となった。

 いったいどういう仕掛けだというのだろうか?

 あの少女は人形だったはずでは?


 首の落ちた少女は、その踊りで訴える。

 切れた首の痛みを、息を吐き出す事が出来ない苦しみを。

 その悲痛な動きに、この舞台を見ていた観客は皆、クーデルスの忠告の意味を知った。


 やがて舞台では、魔術師の影絵が悲鳴を上げながら死なない少女に兵士をけしかけ、彼女を人の目の無いどこかに封印する。 


 そこで場面が暗転し、光の無い世界の中でナレーションの声が静かに語りだした。


 この少女は、今もなおどこかで生きているのだ。

 誰も知らない、閉ざされた真っ暗な場所で。


 再び舞台に明かりが灯る。

 すると、そこには細い足と天板のみで構成された簡素なテーブルがあり、その上に少女の生首が目を閉じて眠っていた。

 人形ではない。 少なくとも、そう思わせるだけのリアルな造形であった。

 だが、これが一体どんな意味があるというのか?


 突然、その少女……アモエナの生首が目を見開いた。

 そして、高く澄んだ声で語りだしたのである。


「今を生きる方々。 これが人の分を超えて不老不死を求めた物語の顛末です。

 もう、お分かりでしょう。

 分を超えた幸せなど望むべきでは無いのです。

 人は人としての幸せを望むべきなのです。

 ですが、それでもなお人々は永遠の命を求めるでしょう」


 そして少女は目を閉じると、このおぞましくも悪趣味な物語をこう締めくくった。


「ゆえに、私はそんな方々を引き止めるべくこの物語を語り続けるのです。

 皆様、くれぐれも永遠の若さと命など、お求めになりませんように」


 そして舞台は再び闇に包まれた。

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