第48話
翌日。
ティンファの街を目指すクーデルス一行は、湖と区別が突かないほど大きな川のすぐそばにある船着場までたどり着いていた。
実はティンファには直接入る事ができず、この場所から船に乗って川の西側に移動する必要があるのである。
だが、それにはちゃんとした理由があった。
ティンファの東に広がる山々には大規模な盗賊団が住み着いたり、かつての戦乱で敗れた勢力の残党が住み着いたりと面倒な歴史が存在したのである。
そのため、ティンファの街はこちら側の地域からたびたび襲撃を受けてきたのだ。
「アモエナさん、見てください。 ムアール河ですよ」
馬車が止まると、窓から顔をだしたドルチェスがアモエナを呼ぶ。
「うわぁ、大きな川」
「ティンファの街は、このムアール河によって王都とともつながっていましてね。
防衛の要であり、かつ水運によって多くの富をもたらすこの川は、このあたりの民にとっては母なる川と呼ばれております。
昔からいろんな芸術のモチーフにもされていましてね。 こんな有名な曲もあるんですよ」
そんな台詞と共に、ドルチェスはビオロンという楽器を取り出し、美しい旋律を奏で始める。
すると、アモエナは素足でトントンとリズムを取りながらその演奏に耳を傾けた。
おそらくこの曲ならどんな振り付けをしようかと、頭の中で想像をしているのだろう。
「……とはいえ、この川はけっこうな暴れ川なのよね。
しかも、普段からかなり水の流れが速いから、昔からこの川に溺れて恋人を失うというエピソードがいくつもあるの。
昔は船で行き来するのもけっこう大変だったそうよ?」
後ろから解説を入れてきたのは、カッファーナだった。
戯曲の台本を書く事が多い彼女は、この国の地理や歴史に造詣が深い。
「その言い方だと、今は違うみたいね」
「ええ。 けっこう前になってしまったけど、ティンファの街に格の高いベラトール様と言う水神が降りてきてね。
このムアール河の治水工事をしたの。
私はよく知らないけど、かなり便利になったそうよ?」
そこまで説明を聞いてから、アモエナはふと御者台のほうに目を向ける。
「……ところで、さっきからクーデルスが機嫌悪そうなんだけど?」
「ほっときなさい。 ただの悪い病気だから」
心配そうな視線を向けるアモエナに、カッファーナは冷たくそう言い放った。
そんなやり取りを聞きながら、クーデルスはひっそりと呟く。
「どうせ……私はこのあたりには詳しくありませんよ。
ベラトールさんの陰謀です。
あの、陰険眼鏡……次に会ったら頭にチューリップを咲かせてやりますよ」
ようするに、ティンファの街に召喚されたことの無いクーデルスはいつものように
なかなかに面倒な男である。
ドルチェスは処置なしとばかりに肩を竦め、カッファーナはため息をつきながら髪をかきあげた。
すると、何を思ったのかアモエナは御者台のほうに足を向け、クーデルスの広い背中に抱きついたのである。
「そっか、クーデルスも初めて行く街なのね。
じゃあ、きっと新しくて楽しい事が一杯あるよ! 一緒にいろんなところ見てまわろう?」
無邪気な顔でそういわれると、クーデルスも苦笑するしかない。
「いい子ですねぇ、アモエナさん。
でも、私以外の男にむやみにそれをやると、襲われちゃいますよ?」
「え? なんで?」
苦笑するクーデルスに、アモエナはどうしてといわんばかりの表情になる。
だが、ドルチェスとカッファーナまでもがウンウンと頷いているので詳しく意味を問いただす事はしなかった。
「おや、どうやら船が来たようですね」
「船? ……って、うわぁぁぁぁぁぁ!?」
ドルチェスの声に川の上流へと目をやれば、何か巨大な生き物が水面から水しぶきを上げつつ顔を出した。
あまりにも巨大すぎて、その全容はうかがい知れない。
おそらくそれは、クジラのような姿をした生き物なのだろう。
ただし、その頭から背中には大きな船に似た形の構造物が取り付けられており、中に入る事ができるようだ。
「ベラトール神の使い、聖獣フォルンヨートです。 すばらしい姿でしょう? この壮大な姿を歌にしようとして何人の音楽家が挫折したことか」
ドルチェスがうっとりとした表情で呟く。
だが、アモエナは恐怖と混乱を顔に貼り付けたままクーデルスにしがみついていた。
「こ、これ……どうするの? この聖獣が乗り物って事は、まさか、馬車とミロンちゃんとはここでお別れ?」
「いえいえ、ご心配なく。
この船には馬車ごと入る事ができるんじゃないですかね。
でなければ、交易都市としては成り立たないでしょうし」
涙目のアモエナの頭を撫でながら、クーデルスは落ち着いた声でそう分析する。
周囲には他にもいくつかの隊商が同じように船を待っていて、彼らもまたいくつもの馬車を抱えていた。
すると、聖獣フォルンヨートは岸に近づき、その背中に乗った構造物を器用に波止場へと寄せる。
そして、バタンと大きな音と共にその構造物の扉が開くと、中から大量の人が吐き出されてきた。
その様子に、クーデルスはなぜか怪訝な顔をする。
「どうしたの? クーデルス」
「いえ、ちょっと気になった事が……気のせいだと良いのですが」
やがて人々が全て吐き出されると、神官服を身にまとった女性たちが現れた。
「皆様、ようこそティンファの街へ。
今から聖獣フォルンヨートの中へとご案内しますので、係員の指示に従い順番にお乗り込みください」
女神官たちの代表がそう挨拶をすると、その後ろから現れた係員が整理券の販売を始める。
クーデルスたちもまた整理券を購入すると、馬車ごと聖獣フォルンヨートの中に乗り込んだ。
「それでは、出航いたします。 どなた様もよい船旅を。
全員が乗り込んだことを確認すると、女神官の掛け声と共に聖獣フォルンヨートが動き出す。
多くの乗客たちはその構造物の上にある展望台に上り、流れ行く景色を楽しんでいた。
「うわぁ! すごい景色! 水と空の間がまっすぐな線になってる!?」
「あぁ、あれは水平線というのです。 アモエナさんは見たことありませんでしたか」
「うん、私の故郷にこんな大きな川はなかったし。 ねぇ、クーデルス。 あっちのほうから景色を眺めてきてもいい?」
「はしゃぎすぎて船から落ちないようにしてくださいね?」
そしてはしゃぎまわるアモエナに手を焼きながら船旅をすること1時間ほど。
「見えてきましたよ。 あれがティンファの街です」
ドルチェスの声に顔を上げると、目の前に石造りの街が見えてきた。
尖塔が多く立ち並ぶその街並みは独特の風情があり、再びアモエナは目を輝かせる。
「ねぇ、なんか街自体が動いてない?」
「あぁ、そういう見方もできますね。 おそらく水圧を利用してエレベーターなどの移動手段にしているのでしょう。
そういうの好きですからね、ベラトールさん」
「……知り合いなの?」
「まぁ、昔にちょっとだけ関わった事があります。
あまり仲が良いという感じではありませんが」
なにやら思わせぶりな台詞を吐くクーデルスに、アモエナは多少の不安を覚えるのであった。
そして午前中のうちにティンファにたどり着いた一行であるが、街を見渡してカッファーナがボソリと呟く。
「街の様子がおかしいわね。 前はもっと賑やかな感じだったはずなんだけど」
彼女の言葉通り、街の中は人通りが少なく、どこか閑散とした雰囲気があった。
しかも、窓や扉に板を打ち付ける男たちの姿がいくつも見られ、どこか物々しい雰囲気が漂っている。
「やはりですか」
そんな光景を見据え、クーデルスが呟く。
「先ほども不思議に思ったのですが、街に入ろうとする者の数に比べて、街からやってきた人間のほうが多すぎたんですよね。
ドルチェスさんからも、こちら側の街道はすっかり寂れていると聞いていたのに」
確かにそれは妙な話だった。
「しかも、明らかに旅なれていない人間や子供たちの数が多すぎました。
これは、何かあったのかもしれません」
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