第43話
「クーデルスさん、失礼して良いですか?」
「あぁ、どうぞ」
クーデルスが風呂を楽しんでいると、ふいに湯煙の向こうからドルチェスの声が聞こえてきた。
「クーデルス……さん? 前髪が無いとそういう顔してるんですね」
髪の毛がべたつくのを嫌ったクーデルスは、珍しく前髪をかきあげてオールバックにし、タオルを頭の上に乗せていた。
初めて見るクーデルスの素顔に、ドルチェスは軽く驚く。
色男である可能性はある程度予想していたのだが、予想以上の……まるで絵画から抜け出してきたかのような容姿であったからだ。
「あー、あまり見ないで下さると嬉しいのですが?」
恥ずかしいというより、タオルで隠している角を見られては困るのである。
そんなこととは露知らず、眉間に皺を寄せるクーデルスにドルチェスは首をかしげた。
「なぜです? その顔ならば、たいていの女性はほっとか無いと思うのですが」
しかし、その言葉を聞くなりクーデルスは渋い顔をする。
「幼馴染との約束で、できるだけ人目に素顔を晒してはいけないのです」
「それ、独占欲ってやつですか? 隅に置けない人ですねぇ」
だが、返ってきたのはため息だった。
なにせ、その幼馴染から呪いつきで国外追放を喰らっている身の上である。
「そうだといいんですけどねぇ。 なにぶん、呼吸をするように無茶振りをする人でしたから」
昔のことを思い出しても苦笑いしか出てこない。
はたして、彼女は自分の事をどう思っているのか?
幼馴染の話だというのに、いや、幼馴染だからこそ自分の願望が混じりすぎて、どうしても客観的な判断が出来ない。
そんなクーデルスの反応に、あまり踏み込んでいい話ではないことに気づいたのだろう。
ドルチェスは話題を変えることにした。
「それはそうと、この先の話なのですが……この先に進むとなると護衛がほしいところですね。
クーデルスさんが頼りないというわけではないのですが、どうしても無用な争いを生みやすいので」
いま進んでいる街道は、ここから山道や見通しの悪い場所が増えてくる。
そうなると、どうしても増えてくるのが山賊や魔物といった連中だ。
だが、連中も馬鹿では無い。
大勢の護衛を引き連れていれば無理をして襲い掛かろうとは思わないのだ。
逆に言うと、たった四人という少人で旅することは、襲ってくれと言っているようなものであった。
できれば、数人ほど護衛の人間がほしい。
本来ならば街を出る前にその手の人間を雇いたかったのだが、時間的に間に合わなかったのである。
「ふむ。 別にいくらでも返り討ちに出来るというか、馬車に乗っている間ならばミロンちゃんが走って振り切るだけで済む話なんですけどねぇ。
でも、アモエナさんが思ったより乗り物に弱いようですし……護衛に関しては私のほうで用意しましょう。
実は、手駒を近くまで呼んでありましてね」
「ほう、それは助かります」
「ただ、全員男性になります。 本当はアモエナさんとカッファーナさんの護衛をするには女性の護衛もいたほうがよいのでしょうけど、そっちはちょっと心当たりがありませんので」
「十分ですよ」
思いもよらないクーデルスの言葉に、ドルチェスは思わず顔をほころばせる。
だが、クーデルスの手駒がまともではない……少なくとも人間である可能性はほとんど無いということを失念していたことに彼が気づくのは、ほんの数分後の事である。
「さて、そろそろあがりますか。 女性陣が先に上がっていたら、待たせるのもかわいそうですからね」
「そうですね。 食事の準備はだいたい出来上がってますから、あとは待つだけでいいと思いますよ」
――男二人がそんな会話をしていた頃。
女風呂ではアモエナとカッファーナがシュワシュワとあわ立つ炭酸泉の湯を楽しんでいた。
「んー、きもちいい!! お風呂、さいこーです!!」
「ほんと、まさか野宿をしているのにお風呂に入る事ができるとか思ってませんでしたわね」
手のひらで湯の感触を確かめながら、カッファーナがしみじみと呟く。
「聞いてください、カッファーナさん。
私の住んでいた村ではお風呂なんてなかったから、みんな川で体を洗ってたんですよぉ。
こっちにきたら、お風呂屋さんとかたくさんあって、都会って贅沢な場所なんだなーって思いました。
……なぜかクーデルスの横にいると、もっと贅沢なことにしょっちゅう遭遇するんですけどね」
そう語りながら、なぜか遠い目をするアモエナ。
「あー、なんとなく分かる気がするわ。
この間のお茶とか、ほんと贅沢中の贅沢のはずだったのよねぇ。
今では普通に楽しんでいるけど」
アモエナの呟きに、カッファーナもまたしみじみと頷く。
なお、この世界、すでに古代ローマに近いレベルで水周りの機能が整っているため風呂自体はそこまで珍しいものではない。
とはいえ、庶民が湯をたしなむには公衆浴場にでも行く必要がある。
個人で風呂を楽しむ事が許されるのは、貴族か大金持ちぐらいのものだ。
「あ、カッファーナさん。 体と髪を洗うときはこれを使ってほしいんだって」
「何ですか、これ?」
アモエナが差し出した袋の中を覗き、カッファーナが首をかしげる。
中に入っていたのは、赤茶色の塊であった。
見た感じでは、ただの粘土の塊である。
「ただの土じゃないですよ。 ガスールっていう特別な土らしいです。
石鹸だと、周囲の植物が弱っちゃうから使わないでほしいんだってクーデルスが渡してきたの」
「へぇ、なるほど。 あの人らしいわね。 変なところで気遣いが細かいところが特に」
その気遣いをもうちょっと社会全体に向けてくれたならば良いのだが、クーデルスの場合……逆に視点が広すぎておかしなことになりそうである。
人類を全て首輪に繋いで理想的な管理社会を作るのだと笑顔で言いだす未来を想像し、カッファーナは軽い眩暈と共に妄想を打ち切った。
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