第26話

「はじめまして、わたくし、フェイフェイと申します。

 まぁ、もちろん私の事はご存知ですよねぇ?」


 その男は、クーデルスが部屋に入ってきたにもかかわらず、椅子から立ち上がろうともせずにそう挨拶した。

 完全にクーデルスを下に見た対応である。


「はぁ、始めまして。 残念ながら、商人としてはあまり活動しておりませんでしたので、貴方の事は存じ上げませんね」

 まるで関心が無い……と言わんばかりの態度でそう言い放つと、クーデルスは椅子を引いて勝手に座り込んだ。


 むろん、それが無礼な態度であることは百も承知の行動だ。

 お前なんか上だとは思っていないという意思表示でもある。


「ふはははは、この国一番の商人である私を知らないとは、ずいぶんと愉快な御仁だ」

 寛大に笑っては見せているものの、その額にうっすらと青筋が浮いているのを、クーデルスは見逃さなかった。


 この時点で、彼はフェイフェイと名乗る商人を『小物で俗物』と判断する。

 もっとも、かつてクーデルスの上司であった悪辣極まりない先代の魔帝王と比較すれば、大概の人物は小物と判断されてしまうのではあるが。


「さて、時間も無いので早速用件に入りましょう。

 先日、パトルオンネの街で胡椒が暴落したのは貴方もご存知ですよねぇ」


 フェイフェイの言葉に、クーデルスは素直に頷く。

 どうせ、クーデルスたちがどの方向から来たかについては調査済みだ。


「まぁ、先日までその街にいましたからね。 なかなか賑やかでした。

 ただし、商業ギルド以外は」


 そう、謎の妖精の出現から巨大な胡椒の樹の登場、さらには領主の演説と煽動によって、街の経済は文字通りひっくり返り、街の住人たちは連日のお祭り騒ぎ。

 だが、その賑やかさとは真逆に、商業ギルドはほとんど通夜の状態であった。


 なぜなら、胡椒の相場が暴落し、借金のなくなった領主が胡椒の専売権を商人たちから没収。

 さらには商業ギルドの上層部に対して敵対行動ともとれる態度を取り出したからである。


 領主の曰く、この街は豪商たちの悪事のせいで呪われてしまった。

 この宣言に、民衆たちは激怒したのは言うまでも無い。


 しかも、怒り狂った民衆は、豪商たちの店に対して不買運動どころか暴動じみた行動をとり始め、店の運営が全く出来なくなってしまったのだ。

 挙句の果てには火付けや強盗が妖精モンテスクの名の下に半ば公然として行われ、領主はそれを防ぐどころか街が呪われてしまった責任として莫大な賠償金を請求する始末。


 結果、ギルドの底辺や中堅だった商人が急速に力をつけはじめ、パトルオンネの街では商業的な下克上が頻発し始めた。

 そしてさらに、今まで豪商の圧力に苦しんできた中堅や若手の商人たちは、パトルオンネの街を中心に新たな勢力を作り始めているのである。


「そう、大変な騒ぎでした。

 挙句の果てには、我々がいるだけで土地が呪われるという誹謗中傷が、他の街まで飛び交う始末。

 今もまだ、この国で豪商と呼ばれる者達は皆、その対応に追われ続けているのです」


 具体的には、各地方を治める貴族たちに賄賂を贈り、彼らの後ろ盾によって風評被害を抑えるといった感じだ。

 今のところこの試みはおおむね成功しているが、中にはかなり足元を見てくる貴族もおり、金銭的な被害は計り知れない。


「だが、そんな大変な状態で、貴方だけがちがう。

 ゴールドメンバーという商業ギルドの重鎮であるにも関わらず、まったく風評被害を受けていない。

 そもそも、この国には店すら持っていない」


 しかも、クーデルスが現れたとたんにこの騒ぎである。

 何か関係があるのではないか?

 確たる根拠は無いが、フェイフェイは疑うような視線をクーデルスにむけた。

 だが、クーデルスはそ知らぬ顔で肩を竦める。


「それはそうですよ。 私はまだこの国にきたばかりですからね。

 あと、この国で本格的に商売をするかどうかはまだ決めかねてます。

 この国で商売をするのは色々と・・・難しそうですから」


 遠まわしに『お前等の存在が邪魔だ』と言い放つクーデルスに、フェイフェイの目が一瞬殺意を帯びる。


「ほう? 商売をする気は無いと?

 そのわりには色々と妙な行動を取ってらっしゃるようですが」

「はて、そんな変わったことをしたつもりはありませんが?」


 自分が目立つことをしている自覚が無いわけでは無いが、それでもクーデルスは飄々と嘘をつく。


「貴方……あの商業ギルド始まって依頼の大異変の中まるで騒ぎもせず、しかも大量に服を買っていったじゃないですか。

 しかも、ご自身のものでは無い、女性の衣装を。

 それだけではない。 数日前はその衣装を買う金を即金で用意できず、いくつかは取り置きをしてもらっていたそうですね?」


 あの騒動のあった数日の間に、お前は何をどうやってそんな金を用意できた?

 フェイフェイの本当に知りたいのは、つまりそこなのだろう。

 そして、自分以外の者が利益を独占した事が許せないのだ。


 ……馬鹿な事を。

 クーデルスはその前髪の隠された顔の奥でひそかに笑う。


「おや、人に稼ぎのネタを聞きだすのはマナー違反ではないのですか?」


 ――知ったところで人の身ではどうしようもないことなのに。

 だが、欲深いフェイフェイは決して諦めはしないだろう。

 少なくとも、クーデルスから何か甘い蜜を吸いだせるまでは。


「これは失礼。 ただ、一つお伺いしたいのですが、先ほど資料室で何か調べものをしてらっしゃったご様子。

 なにかお始めになるのですか?」

「いえいえ、ほんの暇つぶしのようなものですよ。

 本格的な商売をする予定はありませんが、何もしないのもつまらないので、屋台でも出してみようかと」

「ほう? よろしければ、どのような商いをされるのかお伺いしても?

 何かお手伝いできるかもしれませんよ」


 つまり、美味い話があるなら自分にも一枚かませろということだろう。

 だが、その一言がクーデルスを苛立たせたことに彼は気づかない。


 ――せっかく、普通に、つつましく、ささやかに、屋台の雰囲気を味わおうと思っていたんですけどねぇ。

 なんで関わろうとするのですか? 私は一人遊びがしたかったのですよ。

 一緒に遊んでほしいなら、それなりの覚悟はしてもらいましょう。


 クーデルスの心の中にある魔王様スイッチが、カチリと音を立てた。


「いえいえ、儲けはあまり考えていないのです。

 本当に趣味でやることなんですよ。

 なので、この国一番という貴方ほどの商人を煩わせるようなことではありません。

 お疑いかもしれませんが、そもそも屋台を一つ出したところでどうやって大きな儲けを出すというのです?」


 それでも何か手があるのではないかと考えたフェイフェイだが、しばらく考えてからそれは不可能だと判断する。


「ふむ……たしかにそれもそうですな。

 では、何か大きな儲け話があればぜひ私に相談を。

 なに、決して損はさせませんよ?」

「ええ、そんな事があるなら、ぜひお願いいたします」


 そんな欲にまみれた、何の捻りも無いつまらない台詞で二人の会話は終了した。


 だが、この国一番の商人は気づかない。

 クーデルスの事を商人だと誤解したが故に、痛恨のミスをしでかしてしまったことを。

 そう、商人であるフェイフェイと政治屋であるクーデルスでは、その利益の基準が全く異なるのだ。


 やがて、夕日が沈む頃。

 クーデルスが店を出す場所として届けを出したのは、街の中央を流れる大きな河の河川敷であった。

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