第10話
「おのれ……あの業突く張り共め。 地獄に落ちろ!!」
街の中心部から少し奥まった場所にある、瀟洒な屋敷。
その一角にある部屋から、今日も憎憎しげな男の声が響き渡る。
辺境の街パトルオンネの領主には、二つの悩みがあった。
一つは妻の浪費癖、そして街の経済を牛耳る豪商たち。
どちらも領主の言うことに耳を傾けず、やりたい放題の毎日である。
そして先日、こともあろうか豪商の一人が食料品の大幅な値上げを言い出したのだ。
――そんな事をしたら、今も食うや食わずで赤貧に喘いでいる民衆が死んでしまうではないか!
街の住人たちのためにもなんとかして値上げは止めたいのだが、連中に対して借金がある彼にとって、それはとても難しい話である。
値上げが嫌なら、今すぐ借金を返せ……などと言われても、無い袖は振れないのだから。
なお、彼の借金の原因は、妻の浪費。
そして婿養子である彼に、趣味へと金を浪費し続ける妻をとめることはできない。
そのため、悪夢のような現状を知りながらも彼は何の手を打つこともできず、今では豪商の一部が特権を手に入れてこの領内を我が物顔で好き勝手している有様を、唇を噛み締めながら眺めているだけの状態だ。
これは由々しき事態である。
一体、どうすればこの地獄のような状況を抜け出す事ができるのだろう?
答えはいくら考えても出てこない。
ゆえに、社交界のシーズンだというのに、彼は一人領地に残って金策のために駈けずり回っている有様である。
ちなみに、すでに社交界では彼の借金についての情報が出回っており、当てになりそうなところは全て頼った後だ。
だが、その努力も焼け石に水。
こうしている間にも、あの妻は王都で湯水のように金を消費しているに違いない。
それを思うと、胃のあたりがシクシクと痛みを訴える。
いらだたしげに頭をかきむしると、指の先に何本も毛が絡み付いていた。
最近では、ストレスが多すぎたのか前髪が薄くなりはじめている。
――あぁ、なぜ自分だけがこんな目に?
いっそ、全ての元凶である妻をこっそりと殺してしまえば、楽になるのではないだろうか?
そもそも、政略結婚である彼らの間に愛情は無い。
幸いにも、世継ぎとなる子供はすでに3人もいる。
ならば……もうあの女は要らないな。
そろそろ消えてくれよ。
俺の幸せな人生のために。
そんな後ろ暗い妄想を始めたその時であった。
外からなにか大きなものが地面に激突するような音がして、地面が軽く揺れた。
庭のほうからだ。
空から何か落ちてきたのだろうか?
そう考えて領主が外に出ると、そこには想像もつかない代物が存在していた。
「赤いテントと……チューリップ?」
目の前にあるのは、真っ赤な布でできたテントようなもので、その天辺には赤いチューリップが一輪揺れており、その根元からは黒に近い土気色の三つ編みが幾つも垂れ下がっている。
おそらく空から落ちてきたのはコレだろうが、見れば見るほどわけがわからない。
屋敷を守る兵士たちもこれをどうしてよいかわからず、ただ困惑するばかりだ。
「お館様、これはどうしましょう?」
「……わからん。 とりあえず邪魔だからどこかに捨ててきてほしいところだが」
警備主任とそんな会話をした、その瞬間であった。
微かに何かボソリと低い男の声が聞こえたと思った瞬間、ボコボコッと音を立てて地面から一斉に何かが突き出してくる。
「これは……チューリップ!?」
地面から生えてきたのは、チューリップの蕾であった。
気がついたときにはすでに遅く、庭は赤白黄色の鮮やかな花で埋め尽くされ、ファンシーな世界が展開されてしまっている。
そして、突如として真っ赤なテントが割れて中身が飛び出してきた。
「ふふふふふふははははははははは! 私は愛と平和の使者、チューリップの妖精モンテスQぅぅぅ!!」
現れたのは、2m近い巨体を緑のタイツに包んだマッチョな怪人。
「ぎゃあぁぁぁぁぁ妖怪だぁぁぁぁぁ!!」
「失礼ですね。 妖精だと名乗ったでしょ」
余りのショックに腰を抜かした警備兵を見下ろし、怪人モンテスQは腰に手を当てて不満を漏らす。
だが、その姿はどう考えても妖精という言葉の持つ愛らしいイメージからはかけ離れていた。
その顔は白い道化師の仮面に覆われており、赤いリボンで毛先を束ねたドレッドヘアと、天辺に生えた赤いチューリップの花、そして鍛え上げられた筋肉が異様な不協和音をかもし出している。
それでもまぁ、ゴブリンも妖精の一種だと考えれば、コレもまた妖精の範疇に入れても良いのだろうか。
そんな現実逃避にも似たことを警備兵たちが考えていると、ふと後ろから鼻水をすする音が聞こえてくる。
「うぅっ……グズッ……おばけこあいよぉ……ぱぱぁ、ままぁ……」
振り返ると、そこには恐怖の余り幼児退行した領主が涙目で鼻をすすり上げていた。
「お館様、気を確かにぃぃぃ!!」
「おのれ、妖怪! よくもお館様を!!」
一瞬で主の精神を討ち取られ、警備兵たちが色めき立つ。
――いざ、弔い合戦!
と意気込んで刃物を抜いた彼らであるが、その動きが止まる。
なぜならば、咲き乱れるチューリップから伸びた触手が、いつの間にか彼らの足を縛り付けていたからだ。
しまった! この妖怪……できる!?
戦術において完全に遅れをとった警備兵たちの背に汗が滴り、その頭の中は悔しさと焦りで今にも焼ききれそうだった。
自らの足を縛る触手を懸命に刃物で切ろうとするものの、いったい何で出来ているのか傷一つ付きはしない。
敵ながら、あまりにも見事。 警備兵たちの、完全な敗北であった。
だが、一つ腑に落ちない。
これだけの力がありながら、奴はなぜ殺傷能力の無い方法で戦力の無効化をはかったのか?
「そう怖い顔をしないでください。 私はあなた方を傷つけに来たのではないのです。
ほら、愛と平和の使者だって言ったでしょ?」
そう告げながら、怪人モンテスQは腰を抜かしたまま動けない領主に近づき、その体をそっと抱きしめる。
「貴方の不遇な状況は街の方々から聞きました。 私が助けてあげましょう」
「……ほんとうに?」
その怪しすぎる外見にも関わらず、モンテスQの言葉には人の心を一瞬で惹きつける不思議な穏やかさがあった。
まるで魔術にでもかかったかのように、領主の顔から恐怖が拭い去られる。
「ええ、そのために大事なお話をします。 けっして忘れないように、よくお聞きなさい」
そして怪人は、幼子を諭すようにゆっくりと、優しい声で語りはじめた。
※なお、余談だがクーデルスの名前のつづりはQudelsである。
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