第2話
目が覚めると、目の前には陰気な大男がいた。
「きゃあぁぁぁぁ! ころされ……むぐっ」
悲鳴をあげた瞬間、男の手で口をふさがれる。
恐怖と混乱で涙目になりながら暴れる少女を捕らえたまま、男は穏やかな声で少女の耳に囁いた。
「誤解がないように言っておきますが、私はあなたをどうこうしようとは思いませんよ。
そもそも、私の好みはもうちょっと成熟した女性です。
あなた、体は大きいけど、せいぜい11歳か12歳といったところでしょう?
せめて18歳は越えていてほしいところですね」
その言い草になんとなくムッとするが、年齢に関してはその言葉通りである。
同時に、彼女は自分の気分が落ち着いたことに気づいた。
なんというか、この魔族……妙に迫力がないのだ。
大きな体に陰気な顔、物語にも聞いた事の無いような妙ちくりんな術まで使うくせに、なぜか害意は欠片も感じない。
だいたい、自分がどれだけ暴れてもこの魔族から逃げられないのは、先ほどの妙な触手を出して捕縛されたことで理解している。
そう思うと暴れるのが馬鹿らしくなって、少女はその動きをとめた。
少女が落ち着いたのを感じ取ると、男は安心したかのようにため息をついて、ゆっくりと手を離す。
すると、自由になった途端に少女は叫んだ。
「わ、私をどうするつもり!?」
男はおびえた目を向ける少女に苦笑すると、ゆっくりした口調で優しく彼女に告げる。
「だから何もしないと言っているでしょう。
でも、足の治療はしておいたほうがいいでしょうね。
あと、靴も必要です」
そう言いながら男は荷物から軟膏を取り出すと、逃げる暇も無く少女の傷ついた足に塗りはじめた。
軟膏は柔らかな緑の光を放ちながら傷に浸透し、瞬く間に少女の足の傷を癒す。
「すごい……これ、マジックポーション? はじめて見た」
冒険者たちが使うものの中にこんな薬があるとは聞いていたが、農村育ちの彼女に縁があるはずもない。
しかも、聞くところによればかなりの高級品であったはずだ。
そんな代物を、見ず知らずの……しかも異種族である自分に惜しげもなく使う。
噂に聞く魔族の冷酷非情な振る舞いからすれば、まずありえない行動だ。
だが、鹿や牛の獣人でもないのに角があるという事は、魔族以外に考えられない。
そもそも翡翠のような色をした半透明の角なんて、どんな獣人ももってはいないはずだ。
いったい……この変な男は何者だろうか?
「疲れているようですね。
靴のほうは少しかかるので、しばらくそこで休んでいなさい。
――
呆然とする少女の様子を疲れたものだと思ったのだろう。
男が古い魔法の言葉を唱えると、少女の周りに光り輝く花が咲き乱れた。
「なにこれ……気持ちいい」
その光を浴びた少女の体から、疲れが抜け落ちてゆく。
同時に、男に対する警戒までもが消えていった。
おかしい。 なんでこんな気持ちになるのだろうか?
もしかして、何か魔術でたぶらかされているのだろうか?
いや、こんな田舎の小娘など最初からたぶらかすだけの価値も無い。
だったら、なぜ?
「あの……もしかして、助けてくれるの?」
「そうですね。 あいにくと恋愛対象ではありませんが、可愛い少女は嫌いではありませんから。
はい、足を出して」
男は少女の足を濡れたタオルで丁寧にぬぐい取ると、今度は松脂のような臭いのする、半透明のドロドロとしたものが入った袋を開いた。
「なに、それ?」
「樹液ですよ。 これを固めて作った靴は、柔らかくて加工しやすくて弾力があるのです。
貴女の足の形に合わせて今から靴を作ります」
そう告げると、男は袋の中の樹液を少女の足の上に垂らす。
「ひゃっ!?」
「大丈夫ですから、そのまま動かないで」
ひんやりとした樹液の感触に少女が思わず声を上げると、男はなだめるように声をかけてから、囁くような声で複雑な呪文を唱え始めた。
すると、樹液が生き物のように形をかえ、気が付けば赤い半透明な靴が出来上がっていたではないか。
「はい、完成です。 履き心地はどうですか?」
「すごい! 面白い感触!! 靴が足にピッタリくっついてる!! ありがとう!!」
よほどその新鮮な感覚なのだろう。
少女は立ち上がると、軽やかなステップで踊りだした。
くるくると、楽しげに。
草藁を踏みしめる足音は心地よいリズムを刻み、祭囃子の幻聴ですら聞こえてくるようだ。
漏れ聞こえる鼻歌は、豊穣の祈りの歌。
咲き乱れる野の花のような少女の愛らしさに、男は目を細める。
「なかなか見事ですねぇ。 踊るのが好きなのですか?」
「うん! 私、大きな街で踊り子になるのが夢なの!!
……あ」
口に出してから彼女は気づく。
自分が奴隷で、しかも目の前にいるのが恐ろしい魔族だということを。
そんな状態で夢など語って、何になるというのだろうか。
少女は自らの愚かさに項垂れ、踊りをやめるとその場に座り込んだ。
すると、男は口元だけで柔らかく微笑み、少女に語りかける。
「改めて伺いますが、なぜこんなところにいるのです?」
その言葉に少女はしばし躊躇うが、やがて諦めたようにおずおずと話はじめた。
「あ、あの……わたし、村にも家にも食べ物がなくなって……村長に売られて……気持ち悪いおじさんがきて、奴隷にされて……せきしょっていうところを通らずに街を目指していたら、山道の途中で盗賊が来て、みんな死んじゃって」
「それで、なんとか隙を突いてここまで逃げてきたということですか?」
少女はその言葉に大きく頷く。
不謹慎な言い方をするならば、少女が生きている以外は実にありふれた話だった。
この世知辛い時代の中ではいくらでもありすぎて、たぶん涙一つ誘えない。
「運が良かったですねぇ。 でも、あなたこの先どうするつもりで?」
「……わからない」
男が尋ねると、少女は首を横に振る。
あたりまえだ。
村に帰っても、家には彼女を食わせてやる余裕は無い。
おそらくは再び奴隷として売られるのが関の山だ。
そして、そんな運命を唯々諾々として受け入れるほど彼女はお人よしでも狂っていなかった。
だが、だからこそどうして良いかわからない。
そもそも、選択枝どころかこのままでは山をさまよって野垂れ死にするしかなかった。
しかし、彼女が頼れるような存在は、目の前のおかしな魔族の男だけ。
良いのだろうか……彼を頼っても。
そんな言葉を心の中で呟きながら、すがるような目をして前を見る。
すると、目の前の魔族の男は笑みを深めてこう言ったのである。
「よろしい。 これも何かの縁です。
この私が、貴女を街につれて行き、なんとか生活できるようになるまで面倒を見ましょう」
「本当に……?」
耳にした言葉が信じられず、少女は思わずそう呟いた。
すると、男は彼女の頭をやさしく撫でながら、自らの名を告げたのである。
「ええ、嘘はつきません。 南の魔王の名にかけて。
私はクーデルス・タート。 貴女は?」
「……アモエナ」
平民である彼女に苗字は無い。
そして皮肉にも、それは古い言葉で『心地よさ』という意味の言葉であった。
優しい魔王と、夢見る踊り子の、長い旅がここから始まる。
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