98話

『いえ、まだです。 サナトリアさんが構えを解いていない』

 クーデルスの静かな声に、拳を握り締めて絶叫していたガンナードが動きを止める。

 そして、不可解だといわんばかりに首をかしげた。


『まだ、終わっていないと?』

『はい。 むしろここからでしょう』

 その言葉を裏付けるように、ダンジョンの中の映像が切り替わる。

 赤い霧が消えると、そこには体の半分ほどを赤く染めたダーテンが刷毛を握り締めたまま立っていた。


『モラル神よ、今シーンをスロー再生で』

 クーデルスの要望に従い、モラル神の奇跡の力がさらに画面を切り替える。

 すると、水幕に過去の映像がゆっくりとした速度で映りはじめた。


『おっと、これは……ダーテン選手、とっさに自分の塗料を前に放出し、それを魔術で固定する事で盾にしていますね』

『地の魔術を使い……おそらく凝固点を操作するか何かで、ぶちまけた液体を一瞬で固体に変化させたのでしょう。

 ダンジョンを構成する床や壁は地の魔術の触媒にはならないようにしてありますから、これは仕方が無い選択肢です。

 もっとも、とっさの事で強度や形状までは操作しきれず、半分しかカバーできなかったようですけどね』

 本来の力があれば余裕で受け止める事もできたのだろうが、バビニクの実の効果を受けている状態ではこれが限界と言うことだろう。


 そして映像がダンジョンの中に戻ると、ダーテンとサナトリアは、お互いに刷毛を構えたまま微動だにしていなかった。


「おいおい、これでまだ仕留められないのかよ……楽しすぎるぜ」

「正直、今のはヤバかった。 けど、二度は通じない」

 盾代わりにした染料を魔術で回収しつつ、ダーテンがきっぱりと宣言する。

 その言葉に嘘は無い。

 少なくとも、そう思わせるだけの実力が彼にはあった。


「上等だ! そうじゃなきゃ面白く無ぇ!」

「この……戦闘狂が!!」

 互いに獣のような笑みを浮かべながら、二人の影が再び交差する。

 その激しい戦いに、水幕の向こうでは観衆が大きな歓声を上げていた。


 だが、そこに水をさすどころか氷の塊を投げつける輩が一人いたのである。


『さて、盛り上がってまいりましたが、ここで同時に別の場所で起きている映像を見ていただきたいと思います』

 クーデルスが指示を出すと、水幕の画面の半分が切り替わり、別の場所が映し出された。

 その無粋な行動に観衆は大きく不満の声を上げたが、新しい画面に何が映っているかを理解した瞬間、その声は悲鳴に変わる。


『おや、これは……まさかの展開ですね』

 驚いた声を上げるガンナードだが、実を言うと、こうなるであろうことを彼は最初から知っていた。

 実に白々しい態度である。


『さて、ダーテン選手とサナトリア選手のどちらかが優勝するかとおもいきや、まだまだ優勝の行方はわかりません。

 しかし、そう時間はかからないでしょう。

 視聴者のみなさん。 このイベントの結末がどうなるかは、最後まで貴方たちの目で確かめてください!!』


 画面の中では、相変わらずダーテンとサナトリアがお互いの体を染料に染めつつ激しい戦いを繰り広げている。

 だが、観衆たちはその隣に移されている画面からも目が離せないでいた。


 隣の画面を見ている観衆たちの顔に張り付いた表情をあえて言葉にするならば、困惑、怒り、そして失望。


 ――早く、早く決着をつけてくれ!

 このままでは、この楽しかったイベントが最悪な形で終わりを迎えてしまう。

 観衆たちがそう願う中、ダーテンとサナトリアの戦いに変化が訪れた。


「あぁっ、ダーテン! お前、それは無いだろ!!」

「俺の目的はお前と戦うことじゃねーよ!」

 なんと、サナトリアの隙を突いたダーテンが、彼の横をすり抜けて階段めがけて走り出したのである。

 だが、彼は忘れていた。

 ここを作ったのが、どんな人物であるかと言うことを。


「へっ、いただきぃ!」

 余裕げな声と共にダーテンが階段に脚を踏み入れた瞬間、突如として足元で何かが弾けた。


『はい、引っかかりましたね』

『チュッチュー!!』

 解説のクーデルスの台詞に、いつのまにか解説席に乱入していたドワーフの雄たけびが重なる。


「なっ、なんだこりゃあ! 嘘だろ! ここに来てトラップとかマジでありえねぇぇぇぇぇ!!」

 画面の向こうでは、悲鳴をあげるダーテンの体を、地面から伸びた無数の蔓草が捕縛していた。

 そして身動きの取れなくなったダーテンの姿を、サナトリアが嘲笑う。


「バーカ。 ここはあのクーデルスの作った迷宮だぞ?

 トラップぐらい仕掛けてあるに決まっているだろ」

「う、嘘だ!? だって、今までトラップなんて一つも……」

「それも含めての罠だったんだよ。

 トラップが無いと思わせておいて、油断させるためのな。

 お前の兄貴分の考えることぐらいわからなかったのか?」

「ちくしょぉぉぉぉぉぉぉっ!!」

 歯軋りをするダーテンに、とどめをさそうと近づくサナトリア。

 だが、彼もまた……クーデルスと言う男の性格を把握しきってはいなかった。


『サナトリアさん、実にお見事。

 最後の最後に一つだけ仕掛けておいたトラップを良くぞ見破りましたね。

 ですが……』

 クーデルスの声に、喜色が混じる。


『私が一石二鳥を好む性格だということはお忘れだったようです』

 その台詞が放たれた瞬間、ダーテンの体を縛る蔓が何の前触れもなく解けた。

 さらに、その蔓がそのままダーテンとサナトリアを囲む壁のように展開したのである。


「く、クーデルス! テメェ!! 二重に罠を仕込みやがったなぁぁ!!」

 すでにサナトリアとダーテンの距離は三歩ほどで、互いに必殺の間合いだ。

 ダーテンは急いで地面に転がった刷毛を拾い、サナトリアもまた一歩さがって刷毛を構えなおした。

 そしてスクリーンの前の観衆たちの耳に、クーデルスの自慢げな声が響く。


『はい、罠に引っかかった人にとどめをさそうと近づくと、蔓に縛られていた人が解放され、さらにその蔓が壁とって周囲を隔てるようにしておきました。

 やはりエンターテイメントとして、こういう演出は大事ですよねぇ? そう思いませんか、ドワーフの皆さん』

『チュッチュー!』

 楽しそうに解説をするクーデルスとドワーフたちの声に重なって、音声がサナトリアとダーテンの罵声で埋め尽くされたのは言うまでもない。

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