72話
その巨大な竜を一言で言い表すならば、【極彩色】の一言に尽きるだろう。
尻尾の先まで入れたならばおよそ100mをこえる巨体は、全身が明るい若草色。
その頭に生えている角は、一番大きなものこそ透明な翡翠色であるが、まるで髪の毛のように無数に生えた小さな角は赤や薔薇色、黄色や紫といった派手な色彩である。
およそ、春を彩る芥子畑をそのままドラゴンにしたならばこんな色合いになるだろうか?
その巨大なドラゴンは、赤から緑にかけての派手なグラディエーションの翼をはばたかせ、ガンナードたちの見る向こう……スイカ農民の占拠する施設のどまんなかに降り立った。
そしてそのドラゴンの降り立った現場では……。
「さぁ、つきましたよアデリアさん」
巨大なドラゴンは、その口を開くと穏やかな男性の声でそう告げる。
同時に、その背中に乗せた女性――荷物を背負ったアデリアに向かってその長い尻尾の先端を近づけた。
そしてアデリアが恐る恐るその尻尾の上に跨ると、ドラゴンは彼女をそっと地面に降ろす。
すると、ドラゴンの体がやおら輝きだし、光に包まれた。
やがて光が収まると、そこには鍛え上げられた肉体を惜しげもなく晒した中年男性……クーデルスが姿を現す。
だが、一糸纏わぬその体には、いくつもの痣や切り傷があった。
「大丈夫ですの? その傷」
クーデルスの傷の具合に顔をしかめながら、アデリアは背負い袋を外しつつぼそりと声をかける。
連日の騒動でいつの間にか神経が太くなったのか、クーデルスの裸にはもはやほとんど反応を示していない。
「ええ、特に問題はありません。 痛いのは確かですけどね。
流石にダーテンさんが相手では、無傷と言うわけにはいきませんでしたねぇ」
「……というより、あれだけの事をやらかしていて、その程度の怪我ですんでいるほうが驚きですわ。
普通、死にますわよ」
「まぁ、それはそれ。 私も彼も人間の常識とは違う世界で生きておりますので」
クーデルスは肩をすくめると、アデリアから荷物を受け取り、その中から自分の服を取り出した。
「では、王子様を探しにゆきますか」
「……ええ」
身なりを整えたクーデルスがそう呼びかけるが、アデリアの表情はどことなく暗い。
「おや、あまり楽しそうではありませんね。
もしかして、他の誰かをお待ちですか?」
「そんな事はございませんわ」
クーデルスがからかうようにそう問いかけると、アデリアは拗ねたようにツンと顔をそらす。
「ダーテンさんなら、多分来ますよ。 手加減無しで殴ったので地面にめり込んで見えなくなってしまいましたが、あの程度の攻撃じゃせいぜい痣が出来るぐらいにしかならないでしょう。
たぶん、そろそろ地面から這い出してくるでしょうね。
決着をつけずに逃げてきましたから、きっと怒ってるんじゃないでしょうか」
「そ、そんなの、別に知りたくもないわ!」
ムキになって声を荒げるアデリア。
だが、その雑な言い回しは、まったくもって彼女らしくない。
クーデルスを蹴るときですら丁寧な言葉遣いをする彼女がこんな台詞を放つとは……よほど動揺しているとしか思えなかった。
「ち、ちなみに、なぜ最後までダーテンさんとの殴りあいに付き合ってさしあげなかったのかしら?」
反撃とばかりにアデリアがそう問いかけると、クーデルスは眼鏡を外した端整な顔に気まずそうな表情を浮かべる。
「意地悪なことを言いますね。 そりゃ……負けるのが嫌だからですよ。
しいて言うならば、兄貴分としての意地です。
いくら私でも、第二級の闘神と武力でやり合えば、最後には負けますよ。
なので、向こうが私の動きを見切る前に不意を衝いて勝ち逃げの状況を作るのが限界なのです」
「ま、ずるい方ね」
アデリアの軽い批難に、クーデルスは無言で肩をすくめた。
「それよりも、貴女がそんな感じだと、私もダーテンさんも殴られ損ですね」
「それはどういう意味かしら」
肩をすくめるクーデルスに、アデリアはつい強めの視線を向ける。
すると、クーデルスはその反応を待っていたとばかりにニヤッと笑った。
「おや、お言葉ですね。 彼、貴女の事が好きですよ? 気づいていないほど鈍いわけでもないでしょうに」
すると、アデリアの顔は朱を水に落としたように赤くなり、続いて白蝋のように青褪めた。
そして、まるで自分に言い訳をするかのような言葉を口にしはじめる。
「そ、そんなの……わたくしには関係ございませんわ。
だって、そういうものでしょう? 恋という感情は。
どれだけ一方的に想いを募らせても、相手が必ず振り返るという保証はございませんのよ」
かなり後ろ向きな台詞であるが、初恋である王太子から婚約破棄をされた彼女の口から語られると実に深い。
だが、それをダーテンの想いを振り切るために使う彼女を、クーデルスは心の中で卑怯者と罵った。
そんな内心を作り笑顔で覆い隠し、クーデルスは再び悪魔の仮面を被る。
彼の真意がどこにあるのかは、未だに誰にもわからなかった。
「まぁ、その不条理を、吊り橋効果という反則技で今から覆そうとしているのが私達ですけどね。
今更ですが、確実に効果があるという保証はありませんよ?」
まるでアデリアの心を揺さぶるような台詞だが、彼女はそんな呪いの言葉を鼻で笑う。
「そうね。 でも、最悪あの男に何らかの後悔を植え付けられるならそれだけでもいいわ。
せっかくすべてを取り戻すチャンスがあるのに、それをただじっと眺めているだけで、何もしないのが嫌なの。
もしそんな未来を選べば、私はきっとそれを理由にいつまでも自分の境遇に愚痴をこぼし続けるのよ」
それは、たとえ貴族として生まれ育った者であったとしても、女である限り許されない考え方であった。
おそらくこの世界の価値観でいえば、それは罪と呼べるほど傲慢な考え方かもしれない。
だが、クーデルスの目にはまるで彼女の体がキラキラと光を放っているように見えた。
「たとえ本当に悪女に堕ちてでも、それを望むのですか?」
まるで太陽を覗き込むように目を細めながら、クーデルスは優しく問いかける。
「悪女の称号ならいまさらよ。 すでに腐るほどあるわ。
いまさら本物の悪女になったところで、何か変わることがございまして?」
胸を張ってそんな台詞をかえすアデリアに、クーデルスは苦笑を浮かべた。
「それなりに名誉は回復して差し上げたつもりなんですけどねぇ」
「じょうずごかしはおよしになって。
今の私の名誉……そんなもの、せいぜい一部の限られた庶民の間での話ですわ。
この国を牛耳る貴族共から名誉を勝ち取るなら、圧倒的な権力でひっぱたくしかありませんのよ。
わたくしが望むものが何かぐらい、わからない貴方ではありませんでしょ?」
すこし拗ねたようなフリをするクーデルスに、アデリアは挑みかかるような目で微笑んだ。
「そここまで言うならもはや何も言う事はありませんね。 では、囚われの王子に悪い魔法をかけに行きましょうか、我が魔女殿」
「ええ、よろしくてよ。 せいぜいうまく行くことを祈っていてちょうだい。 私の悪魔」
クーデルスが手を差し伸べると、アデリアはその大きな手を握り締めた。
まるで自分らしく生きるための勇気を奮い立たせるように、そして自らの中の不安をかき消そうとするように強く。
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