58話

 しかし、突如としてそこに異を唱える者がいた。

 アデリアである。


「ちょっとお待ちになって。

 少し話がおかしいですわね。 今日も試験場を見に行きましたけど、特に変わった事はありませんでしたわよ?」


 クーデルスの研究を行っている農場は村の外れにあり、ボディーガードとしてダーテンを伴いながら毎朝見回りに行くのが彼女の日課であった。

 そこは戦場の猛者であった代官が顔を真っ青にして帰って来る様な人外魔境であるが、放置すればさらに酷くなるのが目に見えているからである。

 それに、一緒に見てきたはずのダーテン……上級神である彼もまた、隣でうんうんと頷いているのだから、いつもの妙な研究成果以外に異常がなかったことは間違い無いはずだ。


 では、クーデルスが嘘をついた?

 いや、違うのだ。

 なぜなら……。


「嫌ですねぇ、アデリアさん。 私が本当の実験場を人目につくような場所へ作るはず無いじゃないですか」

「……はぁ?」

 アデリアの口から、嫌悪と現実逃避がない交ぜになったような声が漏れる。

 言っている事は理解できる。

 だが、全く理解したくない。

 そんな感情を顔にありったけ貼り付けた彼女に、クーデルスは事も無げにロクでもない台詞を告げた。


「異変があったのは、秘密基地のほうですよ」

 しかも、ドヤ顔である。


 ――よし、殺そう。

 必殺の蹴りを放つために体を半身に構えて腰を落とした彼女だが、彼女の行動をさえぎるものがいた。


「なにぃ! お前、そんなもの作っていたのか!!」

「もちろんじゃないですか、サナトさん。 秘密基地は男の浪漫ですから」

「貴様……なんてうらやましい!!」

 エルデルもまた横目で睨みつけながら嫉妬の炎を燃やし、ダーテンですらうんうんと頷いている。

 そして彼らとはちょっと距離をとってはいるものの、ガンナードがちょっぴり羨ましげな目をしていたのを、アデリアは見逃さなかった。


 ――この、男という生き物は!!


「何を……考えているんですか、このスットコドッコイ!

 わたくしがなぜ毎日見回りをしているか、お分かりにならないの!?」

「美容と健康のためのウォーキングでしょうか? そういうば、こっちにきてから足が筋肉質になりましたね、アデリアさん」

 なんということだろうか、これがほぼ素の答えなのだから恐ろしい話である。


 アデリアの全身全霊をこめた恫喝も、このバケモノの前ではまさにカエルの面になんとやら。

 およそ糠や暖簾を引き合いに出すのは、ちょいと躊躇われる高尚さであった。


「えぇい、自分が危険人物だって自覚がございませんの!?」

「え? 私、危険人物なんですか?」

 思わず周囲を見渡すクーデルスだが、そこにあったのは凍りついた笑みの群。

 別の言い方をすれば、答えようが無くて硬直しているとも言う。


「ほら、やっぱりみんな頷かないじゃないですか。 やだなぁ、人聞きの悪いことを言わないで……」

「キエェェェェェェェエエエェェェッ!!」

 なんという無駄なポジティブさ。 周囲の胃の負担を考えない前向き精神。

 その瞬間、忍耐の限界を超えたアデリアの蹴りが、裂帛の気合と共にクーデルスの股間に迫る。

 だが、クーデルスはすんでのところでその一撃を交わしきると、さらに異次元からの電波を口にした。


「おっとぉ! ……ふふふ、アデリアさんってば、ダメな子ですねぇ。

 自分の勘違いが恥ずかしいからと言って、暴力はいけませんよ?

 照れ隠しは可愛いと思いますが、暴力ヒロインなんてもはや時代遅れで需要は無いのです」

 もはや会話のキャッチボールは消える魔球のオンパレードで意味を成さず、クーデルスとアデリア以外の面子は痛ましげな顔で現実から目をそらしている。


「とにかく! そのスイカ農民については早急に対処してくださいませ!

 もうすぐ王太子が直々に視察に来ると先日申し上げたはずです!!」


 そう……ほんの数日前のことである。

 ライカーネル領で起きた連日の騒動や常識を超えた成果が、王太子に報告されたのだ。

 結果、報告書の信憑性が大きく疑われたのは言うまでも無い。


 しかし、その全てを嘘と決め付ければ、これも問題だ。

 今ハンプレット村で何が起きているか、誰も知らないということになるからである。


 そこでは愚連隊に等しき冒険者が主体で復興が行われ、第一級神が降臨し、代官が死に、何か予想もつかない事が起きていることだけは間違い無いというのに……だ。

 この不気味さがお分かりになるだろうか?


 なれば、次にやるべき事は決まっている。

 信頼できる人間を調査に向かわせることだ。

 そして……王太子が自分の目で確かめるというより確かな方法は存在しない。

 ゆえに、多くの護衛を伴って数日中にこの村を訪れるという通達を、つい先日に受けたのである。


「つまり、王太子が来る前にスイカ農民の武装勢力を制圧せよと?」

 クーデルスの言葉に、アデリアが大きく頷いた。


「大至急にやってくださいまし。

 あの男は、予告よりも早く現れて、『装った姿ではなく、素の君達の姿を見たかったのだ』なんてほざくのが大好きな迷惑男でしてよ。

 わたくしが招いた時も、約束よりもかなり早く……化粧も衣装も整わないうちに来訪された時は、さすがにキレるかと思いましたわ」

「あぁ、それの話は前に何度も伺いましたねぇ。 そもそも……無能の視察なんて、現場からすると酷く迷惑な話です」


 一見して経営者が現状を正しく把握するために不意打ちで視察を行うのは良いことに思われるが、それはあくまでもその人物がそれなりに有能であった場合の話である。

 なぜなら、素の状態を見てその経営者が正しく現場を理解できるとは限らない……という事も考えなければならないからだ。


 勝手に見て、勝手に誤解するまでなら仕方が無いが、そこから偏見に満ちた業務を思いついて言い出されたらたまらない。

 そもそも、個人の身勝手な都合と謎理論を展開し、準備に追われていた人の苦労を台無しにするのは、恐ろしく無礼な話である。


「……となると、本気で早急な対応が必要ですね」

「面白いことになってきたじゃねぇか。 先日のトカゲだけじゃ少々物足りないと思っていたところだぜ」

 そんな剣呑な台詞を上機嫌な声と共に吐き出したのは、サナトリア。

 クーデルスの広い肩に腕を回すと、彼は吐息が頬に触れるほどの距離で犬歯をむき出しにする。


「……で、我々がその対処に当たるのはほぼ決定事項としてだ。

 その魔窟で拾ったものについてだが、所有権はどのぐらい認められるのかな?」

 サナトリアの反対側から、舌なめずりの聞こえてきそうな声で囁く人物が居た。

 ガンナードである。


 クーデルスの秘密研究所ともなれば、金になりそうなものが山ほど転がっていてもおかしくは無い。

 性格も常識も破綻しているが、希代の天才魔術師である事もまた間違いは無いからだ。


「必要な物資については押収と使用を認めますが、残りは要相談と言うところでお願いできませんかねぇ、ガンナードさん。

 あまり欲をかきすぎると痛い目にあうかもしれませんよ?」

「……そいつは無理な相談だな。 うちのギルドマスターはお金儲けが大好きで、金庫で金貨の枚数を何度も数えて悦に入るタイプだぞ」

「他人のプライベートを覗くのが趣味のお前に言われたくないぞ、エルデル。 この、ド変態が」


 トラブルがきっかけで、次々に暴露される男共の下種っぷり。

 その全てを聞き終えたアデリアは大きく息を吐き出すと、おもむろに腰をかがめ、冷たい光を宿す目すっと細めながらスリッパを脱ぐ。

 そしてダーテンが耳栓をした事を確認すると、力いっぱいテーブルにスリッパを叩き付けた。


 スパァァァァァン。

 その音に男達の会話が止まり、アデリアへと視線が集まる。


「まぁ、皆さん……上品な趣味をお持ちですこと。

 無駄口を叩く前に、キリキリと仕事しなさいっ!!」

 そして再び彼女のスリッパがテーブルに打ち下ろされた。

 彼女の前に、さっと横からダーテンが胃薬を差し出したのはごく自然な流れであるといえよう。


 かくして……性能だけは抜群なのに、性格的に不安がぬぐいきれない男たち(筆頭はクーデルス)が事件の解決に向けて動き出しのであった。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る