51話
代官の死からおよそ二週間。
調査官による取調べも事故と言うことで決着がつき、村には平穏が訪れていた。
……と思いきや、どうやら人と言うのは楽になればなるほどに不満を見つけるのが上手くなるようで、このライカーネル領では新たな問題が発生していたのである。
「いくらあんたがお偉い人でもよ、こればっかりは聞けねぇだよ!」
「じゃあ、別にいいですよ? 聞いてくれる人だけでかまいませんから」
自宅に押しかけてきた農民を前に、クーデルスは涼しい顔でそんな台詞を言ってのける。
彼らが押しかけてきたのは、クーデルスが彼らの仕事……農業のやり方に口を出したからであった。
曰く、指示があるまで小麦の耕作を禁ずる。
だが、農民たちにとってのこの時期は、冬小麦を育てるために畑を何度も掘り返さなくてはならない時期なのだ。
おいそれとそんな指示に従う事はできない。
「ほ、本当にええだか? じゃ、じゃあオラはコレまでどおりにすっかんな! 後で文句を言ってきても知らねぇど!!」
フンと鼻息を大きく吐き出すと、詰め掛けた農民共は意気揚々と引き返していった。
きっと、自分の村に帰ってから『新しくやってきた代官の代理を怒鳴りつけてへこませた』とでも自慢げに語るつもりなのだろう。
だが、帰ってゆく彼らの背中を見送りながら、クーデルスはボソリと呟く。
「命に関わるレベルの貧乏がお好きとは、奇特な方たちですねぇ」
「そ、それはどういう意味だか、団長どん」
クーデルスの呟きを聞き取り、近くにいた村人が顔色を変える。
すると、その村人の台詞を耳にした他の村人たちまでもが、血相を変えてクーデルスの言葉を聴こうと詰め寄ってきた。
なぜなら、彼らはクーデルスと言う男の知性と能力が、無能という言葉から月の裏側ぐらいの距離にいることを、身をもって理解しているからである。
「まぁ、いいでしょう。 誰かアデリアさんを呼んできてください。
彼女への授業を横で聞くぐらいの事は許しますから、しっかりと聞き耳を立ててくださいね」
すると、農民たちの何人かがあわててアデリアを呼びに走り出した。
この世界、この時代において、知識とはまさに財産である。
それを無料で与えるというのは、かなりの大盤振る舞いなのだ。
ましてや、語るのは王都育ちの公爵令嬢が教えを請うほどの知識人である。
その言葉を理解できるかどうかは別にして、こんな貴重な機会を逃す手は無い。
ほどなくして、アデリアが村人に呼ばれてやってくると、クーデルスは彼女に筆記用具を渡し、前置きもせずに授業を開始する事にした。
「さて、アデリアさん。 私が冬小麦を作ることを禁止した事は知っているでしょうが、その理由について何か思い当たる事はありますか?」
「詳しい事はわかりませんわ。 でも、冬小麦が実らず、大飢饉が発生することは予想していましてよ」
その答えに、クーデルスは拍手と共に破顔する。
どうやら、弟子の成長が心から嬉しくてしょうがないらしい。
「すばらしいですよ、アデリアさん。 では、貴女がそう予想した理由を教えてくださいますか?」
クーデルスが続けて彼女に言葉を求めると、まるでそれを予想していたかのようにアデリアはするするとよどみなく答えを口にした。
「前にも同じ事があったからですわ。 先日の騒ぎがあったせいで、村の古い資料に多く触れることになりましたのですけど、その記述の中には何度もこんな記述がありましたの。
初夏に大規模な洪水のあった年に、冬小麦が育たず大きな飢饉が訪れた……と」
その言葉に、聞き耳を立てていた村人たちがざわつく。
彼らの表情は、例外なく険しい。
「その通りです。 今のこの領地の状態は、冬小麦を育てるにはまったく向いていません。
今日はその理由を説明しましょう」
穏やかに微笑みながらそう告げると、クーデルスはアデリアを伴って農地へと歩き出した。
その後ろを、村人たちがゾロゾロとついてゆく。
「ん? 何してんの兄貴」
「おや、ダーテンさん。 言いつけておいた仕事はもう終わったようですね。
では、次は私の授業の助手をお願いします」
「うぇー、マジかよ」
農地に行く途中、家路をたどるダーテンを見つけると、クーデルスは素早く彼の肩を捕まえた。
おそらく一仕事終えて、ビールでも……と思っていたのだろうか。 クーデルスの後ろを歩くダーテンの表情は渋い。
「さて、今回の授業も土を見るところから始めましょう。
前回のおさらいで、この領地の土がとても痩せていて、小麦の生育には向いていないことは憶えていますね?」
農地にたどりつくと、クーデルスは前回の授業内容の確認から入りだした。
「ええ。 小麦に向いた土地は、あまり酸っぱくなくて、色の黒い土でしたわね」
「その通りです。 では、なぜ今までこの村は麦を育てる事ができたのでしょうか?」
アデリアが問題なく答えを口にすると、クーデルスはその知識から得られるものが何かを考えるよう、彼女に求める。
「黒い土は、植物の亡骸が積み重なったものでしたわね。 ですので、作物を育ててゆく過程で、黒い土はそこに出来上がってゆくもの。
つまり、ここにも洪水が起きる前は肥えた土が存在していた?」
首を捻りながら答えたアデリアに、クーデルスは大きく頷いた。
「その通りです。 ですが、そこに大雨や洪水が襲い掛かったらどうなるでしょう?」
「せっかく出来上がった土が、流されていってしまう」
アデリアの言葉に、村人達の間から悔しげな声がいくつもこぼれた。
あの洪水で失ったものは、彼らが思っていた以上に大きかった事を理解したからである。
「それだけではありません。 このような洪水が起きると、川の上流から小麦の育成にむいていない土がやってきてしまうのです」
そう告げると、クーデルスは畑の土をひとつかみする。
「御覧なさい、この粒の大きな、まるで砂利のような土を。
小麦に向くのは、もっと細やかな粘度に近い土なのです」
クーデルスの広げた手の中を、アデリアや村人たちが真剣な目で覗き込む。
たしかにその粒は大きく、土というより砂と言ったほうがシックリとくる代物だった。
だが、この村の土が抱える問題は、それだけでなかったのである。
「この村の土を知るためには、もうひとつ説明しまければなりません。
村の上流には廃鉱寸前の銅山がありますね?
そこから流れてくる銅などの金属を含んだ水と土は、全ての作物にとって有害なのです。
――もっとも、この村の土に含まれていた銅に関しては、私が前に村を守護する障壁の材料として全て使ってしまいましたからご安心を」
あぁ、あれか。
その場にいる全員が思い浮かべたのは、この村を囲む金属で出来た薔薇の壁であった。
たしか、あの薔薇の花の部分は全て銅だったはずである。
つまり、最初からクーデルスはこの地にある土を誰よりも詳しく調べていたのだ。
この村に代々住んでいた農民たちですら、とうてい及びつかないほど深く。
そして彼らは考えた。
ならば、その言葉に逆らった農民たちは、いったいどんな目に合うのだろうか?
まるで天罰に怯える罪人のように、村人たちは小さく身震いするのであった。
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