40話
僅かに明るさを残す藍色の空を、夏の渡り鳥がゆっりと飛んでいる。
星がまたたき始めた田舎道を歩きながら、アデリア少し後悔していた。
「何か……食べてくればよかったですわね」
そんな台詞を呟いても後の祭り。
話しを聞くのに夢中で料理を食べるのを忘れてしまったのは、他の誰でもない自分のせいである。
「もう一度食堂に戻って何か持ち帰りの料理を作ってもらおうかしら」
自宅に戻って食事をしようとも思ったが、生憎と家には買い置きのパンと飲みかけのワインのボトルしかない。
もっとも、他に何かあったところでろくに料理など作れないのだが。
かといって、今すぐ食堂に戻るのもなんだか気恥ずかしい。
幸いなことに食堂は遅くまで開いているし、少し時間を潰してからのほうが良いだろう。
「とりあえず、食堂で聞いたことをダーテンさんに報告しますか。
あ、そうですわ! 食堂に戻ってダーテンさんの所にもってゆくお土産を買うのです」
――彼はたくさん食べそうですから、そこに私の分を追加してもたぶん誰にもバレないでしょう!
そんな事を思いつくと、アデリアはいそいそと食堂へと戻り、少し顔を赤らめつつダーテンへのお土産となる料理の注文を出した。
素焼きの大きな鍋に入ったアオウオの煮付けを抱え、真っ赤な顔でいそいそと出てゆく姿に、その場にいた連中がどんな感想を持ったかは推して知るべし。
さて、アデリアが向かったダーテンの家だが、彼の家は仮設住宅と言う名の立派な新築住宅が立ち並ぶ一角にあった。
二階には金網が張ってあり、そこで鶏を飼っているため、間違える事はますないだろう。
一人暮らしの若い男だから、さぞや部屋の中は汚いのだろうと覚悟しつつ玄関の前に立ったアデリアだが、そんな彼女の鼻を掠めたのは……おいしそうな夕餉の匂い。
まさか、彼女が!?
言動が軽くてお調子者ではあるが、黙って立っていれば絵本から抜け出てきた王子様である。
そんな女性がいても決しておかしくは無い。
なお、初対面の時にパンツ一枚で地上に降臨した事は、クーデルスの記憶操作によってなかったことになっている。
いったいどんな女性だろう?
やってはいけないことだとはわかっていても、疼きだした好奇心は止められない。
アデリアは鍵穴からそっと中を覗いて……。
「えぇっ!?」
衝撃のあまり、彼女は思わず持っていた鍋を取りこぼして床にぶちまけた。
ガシャンと大きな音が響き渡り、当然ながら家の中にいる人間の耳にも届く。
「おぉっ、何だ何だぁ?」
ドアの向こうからダーテンの声が響き、ノブが回された。
そして家の中から出てきたのは……。
きわどいパンツ一枚にエプロン姿のダーテン。 しかも、左手にはオタマを構えている。
「こ……こんばんは」
「……なんでここにいんの?」
「夕食差し入れを……もってきましたの」
アデリアがショックを受けているのは仕方ないとして、ダーテンもこの姿をアデリアに見られたくなかったらしい。
どちらも言葉の切れ味がひじょうに悪かった。
なお、その差し入れは彼女の足元で非業の最後を遂げていて、もはやどうがんばっても復活は望めない。
「とりあえず……入る?」
「……えぇ」
幸いなことに、近隣の家から人が出てくる気配は無い。
とりあえず、このダーテンの姿を人に見られる前にドアは閉じたほうがいいだろう。
そのまま立ち去るという選択肢もあったはずだが、頭が混乱していたアデリアはダーテンに誘われるまま彼の家に足を踏み入れた。
――意外と綺麗ですわね。
ダーテンの家はさほど大きくはなかったが、予想とは裏腹に綺麗に整頓されていた。
ところどころよくわからない機材がおいてあるが、それを除けば特に独身男性特有の臭いが立ち込めているわけでもなく、むしろ下手な女性の一人暮らしより整えられている。
「あの、つかぬ事を伺いますが、何をしてらっしゃるの?」
「え、あ、うん。 見ての通り、料理」
なぜエプロンとパンツしか身につけていないかについては追求しない。
誰だって、自宅の中で好きな格好をする権利ぐらいはあるはずだ。
「料理……できますの?」
「そりゃ当然だって。 筋肉を養わなきゃなんねーんだから。
筋肉を維持するってのは、パネェんだぞ?
食べるものに気を使わなきゃ、すぐにダメになっちまう」
オタマを突きつけて馬鹿にするなといわんばかりの口調で答えたあと、ダーテンはいそいそと服を身につける。
いくら本人が気に入っていても、さすがに人前でパンツ一枚では変態扱いされるということを彼も学んだらしい。
「はぁ、わたくしの知らない世界ですわ」
簡素なズボンの中に消えてゆくダーテンの逞しい尻から目をそらしつつ、アデリアは理解を拒絶するかのように小さくため息をつく。
だがその瞬間、彼女の腹がクゥと小さな自己主張を告げた。
「あ……」
淑女にあるまじき失態に、アデリアの顔が真っ赤に染まる。
そんな彼女に、服を着おわったダーテンが苦笑いを浮かべた。
「とりあえずさ、今日ところはお互いの恥ずかしい姿は忘れるってことにしようぜ。 ……飯、食ってく?」
「も、もし、よろしければ……」
ダーテンがリビングの椅子を引くと、アデリアは顔を赤くしたまま腰をかける。
なお、彼女は知らなかった。
このあたりの村では、未婚の女性が日が沈んでから意中の独身男性に差し入れを持ってゆくという求愛行為があることを。
彼女がそれを知ったのは、翌日の職場で村の女性からからかわれた時のことである。
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