34話

 翌日。

 アデリアとダーテンは何も成果を得られないまま、代官の到着を迎えた。

 いや、正しく言うならば、代官の訪問が突然すぎてそちらの対応に忙殺されていたというのが正解だろう。


 てっきり肥え太った豚野郎がくるのだと身構えていたアデリアたちであったが、やってきたのは、三十代半ばの引き締まった体つきの男であった。

 元は国境近くの警備をしていた騎士でもあったらしく、腰に刺した剣も妙に様になっている。

 だが、強欲そうで好色そうな顔はイメージどおりであった。


 闘神であるダーテン曰く、人間としてはそこそこできるが、鼻息で殺せる程度。

 この村の戦力を考えれば、戦闘力としては全く脅威にならないらしい。


「初めてお目にかかります。 わたくしはこの村の復興支援団の副団長で、アデリア。

 団長より、代官殿の案内をおおせつかりました」

「副団長? しかも、女……それも、奴隷市場の見せしめ悪女ではないか。

 この私を馬鹿にしているのか!」


 アデリアが挨拶をするなり、代官は鼻を鳴らして彼女を見下した。

 ……ように見えて、その視線はアデリアの胸や腰の辺りを無遠慮にさまよっている。


 それに気づいた彼女は、青い炎のような気迫を纏いつつニッコリと笑ってスカートのすそをつまむと、まるで優雅な舞のような動きで挨拶をしてみせた。


 それは代官ごときでは一生お目にかかれないような、最高位の淑女の礼。

 美しく、そして隙の無いその仕草だが、おなじレベルの礼を返せなければ、周囲から格下として判断されてしまう危険をはらんでいる。

 つまり社交界においては人が殺せる武器のひとつだ。


 その意味は分からなくとも毒蛾のはねに触れてしまったような錯覚を覚え、代官は思わず一歩後ろへとのけぞる。


「団長は主にこの領地で新たに栽培する作物の研究をしているので、運営はわたくしが担当させていただいております。

 ですので、視察の同伴者としてはわたくしが適切との判断ですわ」

「そ、そうか」

 代官の顔から冷や汗が一滴したたり落ちた。

 そして彼は理由もわからず、アデリアの気迫に飲み込まれる。


 堕ちたといえども、アデリアは女王になるべく育てられた者。

 本質的に、たかが代官ごときが尊大に振舞える相手ではないのである。

 居心地悪そうにする代官を尻目に、他の団員たちは心の中でこっそりと拍手を送るのであった。


 そしてアデリアが様々な説明をしながら、殺意のこもった視線の飛び交う村の中を案内し始めたのだが……とある畑で問題が起きた。

 そこに生えている背の高い作物を見るなり、代官は目を見開き、全身に汗をかきながら叫んだのである。


「き、きき、貴様ら! これが何だとわかっているのか!?」

 彼が震える指で指し示したものは、土壌改良用に栽培している麻であった。


「はい、麻でございますわ。 品種改良により、麻薬としては使えませんが」

「麻薬ではない?」

「はい。 お疑いでしたら、お試しになりますか?」

「い、いや……結構だ」

 アデリアがニッコリと微笑みながら説明を加えると、代官はまるで悪い夢でも見たかのようにかぶりをふって会話を終わらせる。


 だが、そこでふとアデリアはあることに気が付いた。


「それにしてもすばらしい慧眼ですわね。

 稀に自生しているとはいえ、神殿以外では所持も栽培も資料の閲覧も禁止されている植物を、麻だとひと目おわかりになるとは」

 それができるのは、前に麻を見た事がある者だけである。

 この代官はどこで麻を見たというのだろうか?


「まぁ、以前に見た事があってな」

「参考までに、どこでお見かけになったのかお伺いしても?」

 神殿の人間以外で麻を見た事があるとすれば、それは4つに分かれる。


 ひとつは言うまでもなく麻の栽培に関わる神官たち。

 ふたつ目はクーデルスのような得体の知れない学者連中。


 そして残り二つは、違法に麻を栽培して麻薬を作る犯罪者。

 最後はそれを取り締まる専門の人間である。

 代官がどれに当てはまるかといわれたら、最後のどちらかになるのは必然であるが……。


「さて、ずいぶんと前のことだから忘れてしまったようだ」

 代官はアデリアから目をそらすと、あまり上手くない嘘をついた。


 ――あぁ、こいつ麻薬に手を出した事があるのか。

 アデリアは心の中のメモにそっと情報を書き込む。


「では、一通り農地の視察も終わったと思いますので、モラル様のおわす聖堂へとご案内いたしましょう」

「い、いや。 まだ農地はこの先にもあるだろう。 この際だから全部見ておきたい」


 なお、この先はクーデルスが色々と実験的な作物を育てているエリアであり、代官に見せたくはないものだらけである。

 別に見せてもかまわないのだが、かなりまともなものでも人間そっくりなスイカサンディアであったり、蛇のようにのたうつ蔓を生やして人に絡みついてくるサツマイモボニアトだったりと、遭遇したが最後……夜中にうなされそうなものばかりなのだ。

 なによりも、この先の畑はクーデルスが農地の管理用に撒き散らしたダニだらけなので、アデリア自身が近づきたくない。


「わかりました。 別に不味いものがあるわけではないのですが、少々刺激の強いものがあります。

 後悔なさらぬように」

 アデリアの冷ややかな声に、代官一行はゴクリとツバを飲み干す。


 その後、村の片隅で代官とその従者の悲鳴が何度も響き渡った。

 宿泊場所である村長の屋敷へと帰ってくる頃には、アデリア以外の全員が青褪めて、ゲッソリとした表情になっていたのは言うまでも無い。

 そして、代官は自分の部屋に入った後で、吐き出すようにしてこう語ったという。


「お、恐ろしいものを見た。 戦場で死人の山を見たときですら、あんなに恐ろしいと思ったことは無い」


 そんなわけで、つつが無くどころか恙だらけの視察の一日目が終わりを告げた。

 だが、二日目の視察が行われる事は無かったのである。

 ……ある痛ましい事件によって。

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