12話

「なんだ、もう帰ってきたのか。 ずいぶんと早いな 奴の試験ちゃんと見届けたのか?」

「酒をくれ! 出来るだけ強い奴だ!!」

 ドアをあけてギルドに入るなり、彼はギルドマスターの呼びかけを無視して強めの酒を注文した。

 かなり怯えた様子で、部屋に転がり込むとすぐにテーブルでうずくまり、良く見ればガタガタと小刻みに震えている。

 どう見ても、尋常な様子ではない。


 注文した酒が来ると、彼はそれを一気に口の中に流し込んだ。

 口の端から琥珀色のしずくがこぼれ、薄汚れた服にさらなる染みを作る。


 ずいぶんと酒にも周囲にも失礼な飲み方だが、それを指摘する人間は一人もいない。

 男の鬼気迫る様子に、誰もが遠巻きに見守ることしか出来なかった。


 いや、それよりも気になるのはだ。

 いったい何がこのベテラン冒険者をして、ここまで心理的に追い詰めたというのか?

 その理由を尋ねるべく、ギルドマスターが彼の目の前の椅子に腰をかけた。


「――いったい何があったんだ? 天耳のエルデル。 怯えてないで報告の義務を果たせ!」

 すると、試験官役だった男……天耳のエルデルは、俯いたまま視線も合わせずにこう答えたのである。


「お、恐ろしいものを見た。 あれはBランクAランクなんて代物じゃない」

 なんと、あの冴えない風貌の新人は、そこまでの実力者であったのか?

 驚くべき報告に、周囲の耳目じもくがさらに集まる。


「おいおい、実力者がギルドに参入するのは喜ばしいことだろう?

 いったい、何をそんなに怯えている」

 エルデルにむかって慰めるように語り掛けつつも、ギルドマスターであるガンナードは様々な思索をしつつ、この状況で一人だけヘラヘラと笑っているサナトリアへと目を向けた。


 ――おいおい、さすがに法に触れるような事はしていないと思うぜ?

 ニンジンのような色の髪を短く刈り込んだ偉丈夫は、ニッと笑って視線に答える。


「違う! 違うんだ! 奴は……奴は……確かに実力もあるのだが……それ以上に……」

 まさか、魔族との契約で手に入れるという暗黒魔術の使い手であったり、邪神に祈りを捧げて得られる呪われし力の持ち主か?


 そんなガンナードの心配を他所に、カッと目を見開いたエルデルは、囁くように、そして地獄の底から搾り出すようにしてこう告げた。

「……変態なんだ」


 今、一体何と言った?

 周囲がその言葉の意味を理解できずざわめく中、天耳のエルデルは空になったジョッキをテーブルに叩き付け、今度は地の果てまで届けといわんばかりに叫んだ。

「……奴はSランクの変態なんだ!!」


 その瞬間、その場にいる全員の顔が埴輪になった。

 ――Sクラスの変態って、どんなんだよ!?


 冒険者ギルドの中が音もなく静まり返る中、突如としてサナトリアが腹を抱え爆笑し、椅子から転げ落ちる音で皆が我に返る。


「あぁ、何があったか知りたいんだろう? そんなに知りたければ教えてやる。

 そして、聞いてから後悔しろ!!」


 ジョッキを掲げておかわりを催促すると、天耳のエルデルは低くかすれた声で語りだした。



 ――最初からおかしいと思ったんだよ。

 あいつ、猫を探しに行くはずなのに、人の寄り付かない西の廃墟区域に歩いていきやがった。

 知っていると思うが、人に飼われていた猫ってのは人間の残飯を頼るから、そんな場所には住み着かない。


 あぁ、こりゃ失格だな。

 そう思った矢先だった。

 奴は突然廃墟の広場で足を止めると、見た事もない魔術……おそらく地の魔術を使って奇妙で巨大な花を呼び出しやがった。


 その瞬間、あたりに凄まじい異臭が広がって、俺は思わず戻しそうになって声を上げちまったんだが、奴は俺の存在に気づいたにも関わらず……まるで相手をする必要も無いといわんばかりに無視しやがったんだ。

 あぁ、クソ生意気な奴だよ。


 そう思った次の瞬間だった……。

 出たんだよ。

 最近話題のアレが。 このあたりで何人もの冒険者を返り討ちにしている、デス・スコーピオンだよ!


 俺とした事が、あの新人の奇妙奇天烈な振る舞いに毒されて、すっかり見落としていたよ。

 このあたりが奴の潜伏先だって事は聞いていたのにな。


 奴に見つかったら、俺ごときの腕前じゃ確実に死ぬ。

 だが、助けを呼ぼうにもここからじゃ距離がありすぎる。


 いっそ、新人を見捨ててそのまま逃げようか?

 正直そう考えなくも無かったが、なけなしのプライドが俺をその場にとどめた。


 だが、俺が決心を決めて何かするよりも早く、デス・スコーピオンは新人に襲い掛かったんだ。

 二階建ての建物ほどもある奴が、猿みたいな身のこなしで動くんだぜ?

 あんなの、何をどうやっても助からねぇよ!


 だが、新人はそのデス・スコーピオンの一撃をあっさりと避けやがった。

 しかも、顔には余裕の笑みすら浮かべてだ。


 そしてそのまま嵐のように襲い掛かる鋏とシッポの連撃を飄々とかわすと、奴は……奴はデス・スコーピオンに向かって一歩踏み出し、触ったんだよ。


 女の胸でも揉むような、いやらしい手つきで!

 デス・スコーピオンの脇腹を!!


「よーしゃよしゃよしゃ。 いい子ですねー 可愛いですねー。

 ふふふ、先代の魔獣王ゴロームツから手ほどきを受け、お前に教えるものはもう何も無いといわれた"生き物と仲良くなる方法”の技の冴え、とくと味わうとよいのです!」


 奴はそう言いながら、デス・スコーピオンの脚や背中を次々に撫で回し始めた。

 もう、俺はその時点で奴が何をしているのか理解できなかったよ。


 あのヨーシャヨシャヨシャという謎の掛け声の意味は分からない。

 だが、デス・スコーピオンは明らかに嫌がっていて、もしも毛が生えていたら全て逆立っていただろう。


「シャアァァァァァァァァッ! シャッ! シャッ!」

 そんな威嚇の音を立てながら、デス・スコーピオンはたまらずに奴から距離をとった。

 だが、その時……デス・スコーピオンの奴はうっかり奴のローブを引っ掛けてしまったんだ。

 あぁ、最初からネタとして仕込んでおいたんじゃないかと思うぐらい勢い良くローブがすっぽ抜けたよ。


 しかもな、信じられるか? 奴は……ローブの下に何も身につけていなかったんだ!

 おまけに、奴は全裸になったのに何の躊躇もせずにデス・スコーピオンに掴みかかった。

 ご立派なものを揺らしながら、嫌がるデス・スコーピオンに向かってにじる寄る裸のオッサンの姿を想像してみてくれ!


 ははは、いまさら話しを聞いたことを後悔しても遅い。

 少なくとも、その場にいた俺よりはマシだ。

 なんだったら、詳細にその場の描写をかたってやってもいいぞ?

 ……絶対に嫌だ? まぁ、そうだろうな。


 もはや勝負はついた。

 デス・スコーピオンは、せめて命だけはと全力で逃げにかかったが、奴は即座になにやら呪文を唱えると、突然地面から大量の蔓草が生えてデス・スコーピオンを絡めとったんだ。

 もう、逃げることすら出来ない。

 恐怖に震えるデス・スコーピオンの姿からは、もはやAランク上位の災害級モンスターの威厳は感じられなかった。


 哀れなデス・スコーピオンはキィキィとか細い悲鳴を上げながら慈悲を請い、お固い役人みたいな顔をした全裸のオッサンに抱きつかれ……。


 その後の事はちょっと思い出すのも辛いから、勘弁してくれ。

 予想もつくだろうし、もう十分だろ?

 


「ただいま戻りました! いやぁ、なかなか大変でしたよ!」

 ――バタン。

 その時だった。

 まるで通夜のように沈痛な表情が並ぶ冒険者ギルドのドアが、音を立てて開いたのは。


 現れたのは、ボロボロになったローブを腰に巻いただけと言う恥ずかしい姿をしたクーデルス。

 そして、その後ろにぐったりとしたままほとんど動かないデス・スコーピオンがいる。


 そう、生きたままの……だ。


「ぎゃあぁぁぁぁぁ! こいつ、生きたデス・スコーピオンをつれたまま街の中をつっきってきやがった!?」

 マスター・ガンナードの悲鳴がギルドの建物中に響き渡った。

 弱っているとはいえ、生きた災害級の魔物である。

 街の中が大混乱になっているのは、想像に難くない。


 そして、彼らの波乱に満ちた日常は、こうして始まったのである。

 なお、このあと自警団のお兄さんたちにめちゃくちゃ怒られたのは言うまでもなかった。

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