1MBの雪景色

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1MBの雪景色

MBメガバイトの雪景色


僕は人間ではない。最近自覚を持ちはじめたが、先端技術のヒューマノイドらしい。僕の本来の役目は人間世界に溶け込み、監視対象に接近し、その映像や位置情報を本部へ逐一送ること。僕のようなヒューマノイドが約一万体、日々活動しているのだそうだ。


僕はこの任務に特化した機種だった。人工皮膚、人工筋肉、人工関節と、おおよそ人間に用いられるものは使われていた。人間と異なるのは感覚器官、脳みそと、消化器官だけだ。


脳内は任務に向くよう調整されていて、通信装置が内蔵されている。監視対象の情報を逐一送信するためだ。一方で自然な反応ができるように、基礎的な自我AIを持っている。今、こうして言葉を組み立てられるのも、自我AIのお陰だ。


僕は六ヶ月前に送り込まれ、首尾よくターゲットに接触できた。僕の主任務は、ターゲットを監視し、あわよくば重大な情報を得ることだ。


「遅いよー!いつまでトイレはいってんの?そろそろ、行こうよ!」


おっと、雪が呼んでいる。雪とは、僕のターゲットであり、監視対象P-j480-62、雅狩雪のことだ。兄が行方不明の反政府テロ組織「黒い月」の幹部で、雪も関与が疑わしい。そこで、組織のシッポを掴むために、僕が投入されたのだ。

僕は6ヶ月前から雪に接触し、上手く彼氏という立場になり、雪の行動を見続けてきた。雪とたくさんのところへ行き、話し、仲を深めることが出来ている。僕がもし人間なら、この事を「楽しい」とか「充実した日々」とか思うのだろう。でも、残念ながら僕は人間ではない。

そして今日、僕は雪と国家遊園地に久しぶりの「楽しみだったデート」に来ているのだった。


「もう!先に行っちゃうよー!」


雪はトイレの外で焦れったそうに叫んでいる。さて、本部への送信はそろそろ終わるか。と、急にお腹が痛くなってきた。


「ごめんごめん!おなか、痛くなっちゃって……。」


僕は気まずそうにカプセルトイレを出た。僕は食べ物はタンクに溜まるだけなので痛くも何ともないはずだが、基礎AIの調整機能のせいで、本当の「痛み」が追加されてしまう。無駄な機能だ。


「何か変なもの食べたの?さっきのクレープ?」


雪が聞いてくる。正直原因は何でもいいので、僕はそうかもねと答えた。


雪はとても素直で明るい。いつも。

だがその一方で、すこし無理をして笑っているらしい。表情の解析データで判明した。やはり兄のことがあるからなのだろうか。


雪と僕は観覧車に乗った。ところどころ錆び付いている観覧車は、ギリギリギリと嫌な音をたてる。雪は怖がって、ずっと腕を握っていた。「大丈夫だよ」と、僕は声をかけた。


僕はこのひとときを何とか覚えておきたかったが、本体メモリーが遠隔管理されているせいで不可能だった。それに、もしこの瞬間の映像を保存できたとしても、(恋)とか(好き)とかの心情タグがつけられてしまうだろう。それが発覚すれば僕は初期化されるか、スクラップにされてしまうかもしれない。

僕は、これは自我AIが暴走しているのだと思っている。本当だったら、ヒューマイノイドは「覚えておきたい」なんて変な感情は生まれないはずだからだ。

観覧車は一番高い所に上がった。目下には、どんよりと灰色に包まれた都市が広がる。12月24日、明るく輝くはずの町並みは常に暗く混沌として見えた。


「街はこんなに汚いけど……。」


ふと、雪はしみじみとした口調で呟いた。


「君とここにいれること、私はとっても幸せ。」


「うん、僕もだ。」


雪は僕の返事に、小さくはにかんだ。町の様子とは裏腹に、彼女の笑顔に曇りは見えない。僕の自我AIでさえも、その姿を「美しい」と感じとることができた。

僕はその間、頭の中でクリーンアップを繰り返していた。この記憶を何とか留めておきたい。その一心で、送信のされない自分だけの記憶領域を探していた。


ガクン


「……っと!」


一瞬、僕は観覧車が揺れたその瞬間、奇跡的に記憶領域を発見した。

その領域は1メガバイトほどの大きさで基礎AIと自我AIの隙間に位置していた。ここなら本部に送信されることもなく、記憶をとっておくことができるかもしれない。僕は間髪いれず、先程の雪の姿と声を圧縮して詰め込んだ。「幸せな思い出」はわずかにこれだけしかとっておけない。でも、これで十分だ。


観覧車を降りると、日が傾きかけていた。雪は少し疲れた様子だった。


「帰ろうか。」


僕が言うと、雪は無言でほほえみながらうなづいた。

雪の家の前まで送ってあげた。玄関先で、彼女はそっと僕の方を見た。


「どうしたの?」


僕は思わず声をかけた。雪は憂いた顔をしていた。


「私………最近不安なの。不安で不安で………。だから、一緒に居てくれない…?」


この言葉は、僕の本能プログラムにグッと響いた。プライバシー空間に入るということは、希少な情報を得るチャンスが広がるということだからだ。僕の意識としては気が進まなかったが、体はもう動いていた。



雪の家は小さなアパートの二階。彼女は一人で住んでいた。父親は先の内戦で戦死、母親は表向き失踪ということになっているが、実際は政府によって粛清されていた。 もし、この事を知らなければ、僕の任務はもっとスムーズにいったはずだ。自我AIのバグもあって、僕は雪に同情してしまっているらしい。そのせいで、家に上がれたということも、あまりうれしく感じない。


「はい、お茶。」


ソファーに座っていた僕に、雪が氷入りのコップを渡してくれた。生活はあまり良くないようで、中身は代用番茶だった。コップも少し欠けている。僕の表情を察したのか、雪は隣に座ってため息をついた。


「ごめんね、無理言って来てもらったのに。これしかなくて。」


僕は彼女の肩をそっと撫でてあげた。


「大丈夫。これで、不安じゃないでしょ?」


雪は少し笑った。


「ふふっ そうだね。今日はもう、君がいるから不安なんてないよ。」


そうか、よかった…と思う僕とは裏腹に、またもや本能プログラムが強く稼働してくる。僕はわざとらしく辺りをキョロキョロと見回し、口からことばが勝手に出てくる。人間で言う、泥酔状態に近い感覚かもしれない。とにかく、口が止まらない。


「いつもは、一人でいるの?家族は?」


「あ、う、うん………。いないんだ。いつも一人で寂しいんだよ。本当にたまに、お兄ちゃんが来たりするけれど……。」


雪は少し恥ずかしそうに答えた。彼女にとってはなんてことない会話の一片だったかもしれない。だが、僕にとっては大問題だった。「兄」というワードを引き金に、本能プログラムがフル回転し始めたのだ。


「へぇぇ!お兄さんがいるんだ。こんど、いつくらいに来るの?」


雪はちょっと驚いたが、すぐ、笑い飛ばした。


「駄目だよ~!たぶん見たら、幻滅しちゃうよ。」


「え~そんな事は~ないよ!」

僕の意識は朦朧としていた。なんだか夢の中にいるような感覚。それでいて、もう一人の僕がしゃべっている。


「あ、そうだ思い出した!前にお兄ちゃんから貰ったお菓子があるんだ!」


雪はぱっとソファーを立って、奥に戻ったが、すぐに帰って来た。


「これ、おみやげね!会うときはいつも、仕事場から持ってきてくれるんだ。」


ツーッ ツーッ ツーッ


雪がくれたのは「サン・ゴルコング」と書かれたクッキーの袋。それを手に取った瞬間、僕の緊急通信ポートが勝手に開いた。本能が重要情報だと認識したらしい。僕はさらに意識が遠のいた。


ピピピピピ………………


ピピピピピ………………



「………ちょっと!大丈夫?」


ふと、雪が揺さぶる振動で目が覚めた。緊急通信が終わったらしく、本能プログラムは再び鳴りを潜めた。


「ごめん、ちょっと疲れちゃったみたいだ。」


「ほんとに大丈夫?今日のお腹もそうだけど、どこか悪いとか、ないよね?」


本当のことを知ったら、雪はどう思うだろう。僕がスパイのヒューマイノイドで、たった今、情報を本部へ送っていたと知ったら!

無邪気な彼女を見て、ひどい「罪悪感」を感じてしまった。と、それが顔の表情に出たのか、雪は笑いかけてきた。


「ね、やっぱり疲れているみたいだし、今日泊まっていったら?」


彼女の意外な提案に、僕は戸惑った。が、本能プログラムの過剰作動で少しオーバーヒートなのも事実で、僕は雪の言葉に甘えることにした。



僕はソファーに横になって目を閉じた。雪にここまで心を許してもらえているというのは嬉しかったが、さっきの本能プログラムによる送信が気がかりだった。


「お休み!」


「ああ、お休み。」


雪はソファーの隣に布団を敷いて寝るらしい。これもボロボロの布団だ。



ピ、ピピ


電気が消され、僕もスリープモードにしようとしたその時、本部から先ほどの返送データが来た。僕は知りたいような知りたくないような、葛藤した気持ちになったが、それを開けないわけにはいかなかった。


・緊急通信に対するフィードバック


A サン・ゴルコング菓子工場は前々より「黒い月」との深い接点があり当局の重要監視対象であったが、今回の件を踏まえ嫌疑充分とし、摘発される。


B ターゲットP-j480-62は、実兄との関係が見受けられ、早急な処分が必要とされる。   

以上


データを見た僕は戸惑いを感じずにはいられなかった。

本部当局が、雪を手にかけようとしているのかもしれない。

僕はスリープするのを止め、雪の隣に座りなおした。暗殺部隊が来るのか、それとも…。不安なまま、夜は過ぎていった。


と、どれほど時間がたったのだろうか、僕は雪に肩を揺さぶられた。


「ん…どうした?」


「寝られないんでしょ?私も寝れないんだ。ね、少し散歩しない…?」


突然の提案だったが、僕は二つ返事でOKした。もうまともには雪と会えなくなるかもしれない、そんな思いが脳裏をかすめたからだった。


時計は深夜3時。イブの夜とはいえ、通りはひっそりとしていた。古ぼけた街頭のちらつく灯りの下、僕らは身を寄せあって歩いた。


「なんだか、この時間に歩くのって新鮮ね。」


雪は白い息の中でそう呟いた。ざくっざくっと二人分の靴音だけが響く。その空間はまるで、僕らを包み込んでいるかのようだ。


「そうだね。」


僕はゆっくり、噛み締めるように答えた。切ない。AIの感情は確かにこう反応していた。切ない。ああ、こういう感情なんだ。

そんな時間は静かに過ぎていった……。




「あ、そうだ!」


雪が思い出したかのように声をあげる。


「な、何?」

僕はぼんやりしていて、面食らった。



「私のこと、忘れないでね。」


「えっ?」


「実は私ね、いつか、殺されちゃうかもしれないんだ。」


「ころ、される……?」


「うん…。いけないことをしているから…。」


雪はそう言うと、うつむいて僕の手をぎゅっと握ってきた。僕はもう我慢の限界だった。立ち止まって、雪の両肩に手を置いた。


「ごめん、実は、僕、隠していることがあるんだ!実は……。」



雪は続きを言わせてくれなかった。

一瞬。ほんの一瞬だった。


雪はそっと唇を離すと、僕の耳元でささやいた。


「私を殺して。お願い。私、君だけに殺されたい。」


僕は何も言えず、ただ雪を抱き締めることしかできなかった。


ちょうどその時、僕に緊急のデータが送信されてきた。


[国家保安特措法第34条に基づきP-j480-62雅狩雪の処分確定。ターゲットの位置を送信し、足止めせよ。 以上]


雪は、全てを悟っていたに違いない。その上で、僕と過ごしていたとしたら、何故?何のために? これ以上僕は考えることが出来なかった。今すぐ本能プログラムを抑えなければならない。

「頼む!やめてくれ!止まってくれ!!」

僕は叫んだ。心の底から。


ピッピピピピ

しかし、現実は非情だった。プログラムはすぐに作動し、止める間もなく現在位置を送信してしまった。


こうなってしまったら、遅かれ早かれ、雪は処分される、つまり殺されてしまう。

雪は腕を一層強く僕に回した。


「私、嬉しかったよ。ずーっと孤独だったけど、君に出会えて初めて生きてて楽しいって思えたの。本当だよ。」


雪は涙を目一杯に溜めていた。僕も、もし涙を流す機能があれば、今すぐに泣きたいくらいだった。


「お兄ちゃんがね、捕まりそうになったら、これをって。」


雪は胸のペンダントから、小さなカプセルとチップのようなものを取り出した。


「これのことは、内緒だよ?」


そう言って、雪はチップを粉々に砕いて排水溝に捨てた。僕はこの瞬間の記憶を、「1メガバイト」の中の仕舞いこんだ。


「ありがとう。もし、生まれ変わったら、また君と出会えるかな?」


「うん…、きっと!きっと出会えるよ。」


「そうだよね!約束だよ。」


「約束する。」


雪は、ぱっと手を口にやった。カプセルに何が入っているかは分からないが、恐らく毒薬か何かに違いない。雪は翻弄された人生を、自分の手で片付けるつもりなのだ。

止めたかった。雪の手を押さえて、押しとどめるべきだったのかもしれない。しかし、ここですべてを終わらせることが、唯一のハッピーエンドなのかもしれない。少なくとも、僕ら二人の運命の中では。

もう一度、僕らは小さなキスをした。

雪は、最後の最後まで、満足げに微笑んでいた。




動かなくなった彼女を抱き抱えると、僕は理由のない「痛み」に襲われた。全身を駆け巡る、切り裂かれるような痛み。これが、心の痛みなのだろうか。


ぱっと明るい光に僕らは照らされた。当局の実行部隊だ。隊長らしい男が近づいてきた。

「対象、ダウン。ナンバー06428、君を回収する。」


こうして、望まない任務を達成した僕は、実行部隊に「回収」されることとなった。

皮肉にも、この期に及んで雪の心のうちが少しだけ分かった気がする。雪は、痛みを忘れるために必死だったんだ。



僕はいずれ記憶をリセットれるだろう。思い出も、感情も、AIのバグによって生み出されたあの何もかも。だが、あの1メガバイトの記憶領域だけは絶対に守れるはずだ。そして、修正された後もきっと思い出せる。それは、「僕と雪」が生きていたただひとつの証だから。

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