彼の手紙
『名前も知らない貴女へ。
『この手紙を見ているということは、きっと今は雨が降っているのでしょうね。
『勝手にいなくなってすみません。俺は多分、もうすぐ死にます。実は、お医者さんに言われていたんです。余命はあと一年くらいだろう、って。
『それが去年――貴女と会った日の帰宅後でした。
『もともと体が弱かった俺は、ギリギリ生きているようなものでした。こんなことなら、死んでしまった方がいい。この苦しみから逃れられるなら、死んだ方がマシだ。そう思わされるほどの強い痛みが、時々襲ってきたのです。
『でも、貴女と出会ってから、その痛みはほとんど感じなくなりました。……正確には、貴女と一緒にいる時は、ですが。きっと、貴女と一緒にいる時はとても楽しかったから、痛みすら感じることなく……いえ、痛みを忘れていられたのでしょうね。
『余命があと一年だと伝えられてどん底に落ちていた俺の心は、貴女と会った瞬間に少しだけ晴れました。そして、何度も話すうちに余命のことなんてすっかり忘れてしまっていました。
『それくらいに、この一年間はとても楽しかったです。ありがとうございました。
『この傘は是非、貴女が使ってください。
『この傘を見て、少しでも俺を思い出してくれたら嬉しいです。
『俺と貴方を繋いでいた唯一の日、僕にとっては太陽以上キラキラと眩しい輝きを放つ雨の日を、俺と同じくらいに楽しんでください。いつか貴女が、雨の日を好きになるその時まで、俺はずっと貴女を見守っています。さようなら。
『
涙が溢れた。
目の前が滲んで、手紙が見えない。
キミがいなきゃ、雨の日を楽しむことなんて出来ない。雨の中、ひとり寂しく帰り道を歩かなくちゃいけないの?
キミがいたから、雨の日を楽しむことが出来てたのに。雨の中、私の隣にキミがいない世界でどう楽しめって言うの?
ゴロゴロ……と遠雷の音が聞こえた。もうじき大雨になるだろう。さっきまで無風だったのに、昇降口から急に吹き込んできた冷たく鋭い風が、それをよく表していた。
まるで私の心のように天気も荒れているなぁと嘲笑し、絶望に暮れていると、ふと彼の傘が目に入った。
薄い緑色の地に黄色のドット柄の入った、なんとも形容しがたい独特な傘。
でも、彼の存在はここにしかない。
私は、彼が生きていた証であるこの傘をそっと抱きしめ、涙をひとつこぼした。
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