第二作戦 マグロ絶滅作戦

 江戸時代後期にタイムリープした俺は、新たな作戦に着手していた。

 今度は服も着ている。都会は親切だ。裸で歩いていれば、それだけで市民たちが保護を買って出て、服に住居に仕事まで用意してくれた。江戸っ子気質というものらしい。

 第一作戦で生み出した調味料は今や醤油と呼ばれ、魚の消費増進に貢献している。生の魚に醤油をつけて食べる刺身なる料理が普及しているのは大きな成果だ。醤油がなければ、生のマグロなど食べる気にはなれなかったろう。

 更にマグロの消費を増やすべく、俺は魚のファーストフード化に着手した。屋台で魚料理を提供するのだ。


 俺がもらった仕事は、屋台を引いて蕎麦を売ること。

 いきなり裸で現れたという俺が物珍しいのか、男の客がよく来てくれて繁盛している。しかし蕎麦をいくら売ってもマグロは滅びない。

「アリシア、どうすれば屋台で魚が売れるようになる」

『そうね、立ち食いでも食べやすいサイズにして、味はつけておくとか。でも味が濃すぎると飲み物や白飯も欲しくなって屋台では食べにくくなるかしら』

 俺は魚を薄味で煮てから屋台で売ることにしてみた。

 常連客の武士、又八郎に出してみる。

「うむ、これはいい。土産としよう」

 又八郎は自宅でのオカズに買って帰り、その場では食べてもらえなかった。

 蕎麦に載せてみたりもした。

「うむ、蕎麦と合う」

 それなりに受けはしたものの、大した量は食べてくれない。

 俺は文献を漁り、この当時の幕府には受けが悪い蘭学にまで手を出した。危険分子扱いされる危険もあるが、やむを得ない。

 そして見つけた。南蛮料理テンプロ。大量の油を使うため高級料理とされる。だが、今の江戸なら胡麻油は大量に供給されて値段も下がっている。

 俺は屋台を改造して、油料理が作れるようにした。屋台を作る大工には今までにない注文だったようで不思議がられた。

 そして初日、屋台には例によって又八郎がまず現れた。

「うむ、蕎麦をくれ…… う、うむ? それはなんだ」

 俺は魚の切り身を各種用意してきた。これに溶いたうどん粉をまぶし、高温の油に投入する。騒がしい音と胡麻油の良い匂いが立つ。すぐに香ばしい料理ができあがった。うどん粉には味がつけてあるので、そのまま食べられる。

「食ってくれ」

「うう、これは、あ、熱い、う、う、美味いぞ! 中から熱くて美味い汁があふれてくる」

 又八郎は驚いた顔をしながらも夢中になって料理をほおばる。

「これはなんという料理だ!」

 興奮した口調で聞いてくる又八郎に俺は答えた。

「テンプロ」

「てんぷら? てんぷらか! これは流行るぞ。もうひとつくれ!」

 アリシア博士が未来から声を送ってくる。

『ハルカ、大成功ね!』

 又八郎の言葉どおり、てんぷらは江戸中で流行るようになった。調理温度が高くて屋外調理でも衛生的、食べやすいサイズにカットして提供するので屋台でも食べやすい。ここまでは作戦どおりだ。

 だが、アリシア博士の言葉どおりとはいかず、これは失敗だった。てんぷらは白身魚などあっさりした食材と合う。肝心のマグロとは相性が悪く、マグロてんぷらはどうにも受け入れられなかった。


 気を取り直して次に考えたのは、日本人の好きな白飯と魚をセットにする料理だ。マグロは味が濃いので単独だと食べにくい。だから白飯とセットにすればよいはずだ。江戸にはすでにそんな料理があった。

 俺はまた屋台を改造して箱すし屋を開店、数日かけて作った箱すしを並べた。やってきた又八郎は美味い美味いと平らげてしまう。在庫はすぐに切れた。

 やはり、このままではだめだ。箱すしは美味いが、ファーストフードとしては調理に時間がかかりすぎる。

「アリシア、どうすればいい」

『そうね、私は料理をするの苦手だから、いちいち箱に詰めてなんて面倒で。ハルカみたいにがんばれないわ。もっと簡単にならないのかしら』

「そうか! まとめて箱に詰めるから調理が楽なのかと思っていたが、逆だ、そこが手間だったのか。だったら」

 俺は白飯を握って、その上に醤油漬けのマグロ切り身を載せてみた。すぐにできた。食べてみる。白飯がぎゅうぎゅうに押しつぶされておらず、普通に食べるときのようにふわりとした美味さがある。上に乗せるから切り身も大きくできて食べ応えがある。これだ。

 翌日、屋台にやってきた又八郎は、俺の握るすしを腹いっぱいになるまで食べて帰った。まだ在庫はある。次の客、次の客と押し寄せる。料理の名前を聞かれて答えたのは、握って作ることから握りすし。アリシア博士による単純なネーミングだ。

『単純? 分かりやすいと言ってよ。みんなこの名前で呼ぶようになったでしょ』

 アリシア博士の言うとおり、この料理は握りすしの名で江戸中に広まり、真似されるようになった。

 マグロを醤油漬けにした握りすしは好評、今回はまずまずの成功だ。しかし今一歩足りない。脂質が多いマグロ腹身を実験してみたところ、これこそが至上の美味、ついに見つけたマグロを滅ぼす最上のマグロ料理とばかり思ったのだが、江戸の市民にはまるで受けない。猫も食べないと言われるほどだ。

 脂質になれていないのもあろうが、冷蔵しないと脂質はすぐに劣化する。保存が効く醤油漬けにしようにも脂質には浸みこまない。冷蔵技術なしではトロの美味を提供できないのだ。

「アリシア、冷蔵庫をこの時代で製造販売するには」

『さすがに無理よ、確かにガス圧縮液化で氷を製造する方法はこの時代のヨーロッパで既に実用化されている。でも今の幕府は慎重すぎて、本格的な技術導入にはまだ何十年もかかるでしょう。それに、倹約重視の幕府が冷蔵庫のような贅沢を市民に許すとは思えない」

「そうか、つまり幕府が障害なんだな」

「え、ハルカ、まさか!」

 ご存じのとおり、この日本を導き続けて第一世界大戦や第二次世界大戦での戦禍も回避した偉大な政府として世界的にも評価が高いのが幕府だ。だが、そこに至る前の江戸時代末期、開国派と攘夷派の争いで幕府は混乱し、長い停滞の時を過ごした。幕府があるから、こんなことになる。

「幕府を潰して、欧米に日本進出させる。アメリカが要求しているのは捕鯨船の基地提供だったな。一石二鳥だ」

 そう、忘れてはならない。俺たち人類を滅ぼしたマグラは、マグロとクジラから生まれた。これまでは手近なマグロから滅ぼそうとしてきた俺だが、そろそろクジラ絶滅作戦も視野に入れるべきだ。俺は決意した。


 雪が降る中、江戸城を出た行列が桜田門へと進んでいく。日米修好通商条約を結んだことで政争を引き起こした大老、井伊直弼の行列だ。条約締結に反対した者たちを徹底的に弾圧しているが、かえって政争は激しくなり、暴発の危険が近づいていた。歴史に詳しい者ならずとも、この桜田門外で暗殺未遂事件が起き、自ら刀を振るって成敗したことで名声を高めた井伊直弼がついに反対派の排除に成功したことは知っているだろう。

 暗殺者たちは行列を狙ってこの先に待ち伏せしているはずだ。

 行列の警護隊は顔色が悪い。特に又八郎の顔色はひどかった。

 それもそうだ、俺が昨日、土産に持たせた握りすしには毒薬を仕込んでおいた。優しい又八郎は皆に分けたのであろう。死ぬような毒ではないが、腹を下し、力を奪う。名誉を重んじる武士がそのような理由で役目を下りることはない。警護隊はひどい体調のまま任務に就いている。

 俺は遠くから又八郎たちの様子を伺っていた。

 又八郎が井伊直弼の警護役であることは聞いていた。これまで客として俺の商売を支えてくれたことは恩義に思っている。しかし、人類を滅亡から救うためだ。

 進む行列の前に、ぱらぱらと襲撃者たちが姿を現した。警護隊の動きは鈍い。鍛えぬいたはずの技を振るうこともできず、あっさりと井伊直弼を運ぶ籠にとりつかれた。血しぶきが上がる。暗殺が成功したのだ。

 警護隊は、逃げていく襲撃者たちを止めることもできなかった。無様だ。俺のせいだ。すまないと思いそうになる心を殺す。彼らは残らず処罰されるだろう。謝っても遅すぎる。俺にできることはただマグラを歴史から消し去り、人類の未来を取り返すことだけだ。


 井伊直弼の死は幕府を弱体化した。どんな幕府の権力者であろうとも殺せばよいだけと分かってしまったのだ。

 弱腰となった幕府は間違いを重ね、ついに政権を返上するまでに至った。世界に冠たる長期政権だったはずの幕府が消えてしまった。代わりに革新は進み、その歪みによって次々に戦争が起きた。アメリカの捕鯨船団を受け入れたことで、鯨の数も激減していった。俺の狙いどおりだ。問題ない。


 俺は冷蔵庫が普及する時代までタイムリープした。普及には予想外に時間がかかっていた。歴史を大きく変化させようとすると揺り戻しが起きるというのか、世界大戦に参加した日本は料理どころではなくなり、あげくに国中を焼かれる始末だ。

 エネルギーをほとんど使いつくし、俺は百年後に到達した。ようやく戦争の傷も癒え、冷蔵庫は家庭に普及し始めている。結局こんなに時間がかかるのなら幕府を滅ぼす必要もなかったのでは、という思いを俺は打ち消す。大事なことは結果だ。最終的にマグラが消え去ればよい。

 屋台ですら冷蔵庫を装備できるようになった。いよいよだ。

 俺は冷蔵マグロを積んで、寿司屋台を引いた。客が来る。景気が良いのか、ずいぶんとにこやかだ。こうした客であれば、新しい味も分かってくれるかもしれない。俺は又八郎を思い出しかけて、ぎゅっと心の奥に押し込んだ。

 トロで寿司を握る。脂質たっぷりの新鮮な大トロだ。客の前に置く。不思議そうな顔をする客に、

「最高のマグロが入ったんで、どうぞ」

「ほう、いただこうかね」

 客はトロ寿司をほおばり、噛みしめ、驚いた顔になった。

「マグロが舌の上でとろける、なんという旨さだ。これはいったい」

「はい、マグロの大トロで。マグロで一番美味いのはこの大トロなんですよ」

「トロは人の食べるものではないとばかり思っていたが、こいつは美味い! もうひとつくれ!」

 成功だ。俺は確信した。マグロの歴史が今、遂に変わる。

 時が見える。トロの美味さにとりつかれた日本人たちは世界中にマグロ漁船団を派遣するようになる。マグロを獲って獲って獲りつくす。美味さのためにはマグロが減りすぎようともお構いなし、マグロの寿司を効率的に食べるため、寿司を機械式回転レーンに乗せて工場のように供給する手段まで発明される。マグロを滅びるまで食べつくす。未来でマグラが生まれることはもうできなくなる。マグロがいなくなるのだから。

 歴史のレールが分岐したのをタイムリーパー能力で感知した。人類の進む未来は確かに変わったのだ。

「アリシア、アリシア博士、成功だ、どうだ、マグラは消えたか!」

 俺は間抜けな質問だと分かっていても聞いてしまった。未来にマグラがいなければ、アリシア博士が作戦任務に就くこともない。そうなれば精神リンクは存在せず、俺はひとりこの時代に取り残される。だが、それでいい、彼女さえ幸せに生きていてくれれば。そのために俺は……

『タイムリーパー…… 聞こえますか……』

 思わぬメッセージだった。二度と聞けないと思った声だった。うれしくなかったといえば嘘になる。しかし。

『私たち人類は、ウナギ類によって滅びようとしています……』

「ウナギ? あの細長くてベタベタした、人気がない魚のことか? 醤油をつけても食べようがない」

『別の歴史線から来たあなたにお願いです…… ウナギを滅ぼして…… 人類を救って……』

「なぜだ、マグラは消し去ったのに人類は救われないのか!」

『まぐらとはなんのことか分かりませんが…… あなたのことはまるで昔から知っているような気がします…… ごめんなさい、ハルカだけが希望』

 そこで精神リンクは途絶えた。未来のアリシア博士はきっと、もう。俺はその先を考えるのは止めた。代わりに新たなターゲットを心に置いた。

 マグラが消えた歴史では、ウナギが人類を滅ぼすのだ。だが問題ない。この俺、タイムリーパー・ハルカがその前にウナギを滅ぼす。ありとあらゆる手段を使い、断固として、この世界からウナギを消し去る。

 ウナギは滅びねばならない。

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