ウナギ絶滅作戦

モト

第一作戦 人類絶滅とタイムリーパー

 人類はウナギに絶滅させられた。俺と彼女だけを除いて。

 残された俺たちにも未来はない。だが俺は、この記録がいつの日にか必ず人類に読まれる日が来ると信じている。なぜならこの俺が諦めていないからだ。

 ウナギを滅ぼす。あらゆる海と川からウナギを消し去る。どんな手を使ってでも全てのウナギを絶滅させる。そしてウナギがいない平和な未来を作り出す。俺は必ずやり遂げてみせる。

 俺はタイムリーパー・ハルカ。時を超えて歴史を改変し、ウナギから人類を救う予定の最終戦士だ。


 ご存じのとおり、あの日突然に海から巨大魚獣マグラが現れた。マグロとクジラを合わせて巨大化したような姿の超進化生命体マグラは体長約三百メートル、超音速での飛行能力とあらゆる装甲を貫くビーム発射能力、砲弾を受け付けない力場を持ち、そして人類への憎しみに満ちていた。人類の使う兵器は全く通用せず、逆にマグラが口から発するマグラービームは地表とそこに住まう人類を焼きつくしていった。

 射撃、爆撃、化学兵器、細菌兵器、人類が考案したいかなる攻撃方法も、一時は効いたように見えても高速に進化していくマグラは無効化していった。衛星軌道上を飛びながら人工衛星を食らうマグラに対して実施された最終攻撃作戦、各国保有の核ミサイルによる大量同時攻撃が失敗に終わった時点で人類は戦闘を諦めた。どうやっても人類の攻撃手段では勝てない。マグラとの対決を回避する方法はないのか。

 ヒマラヤ山脈の地下千メートルに作られた最深基地にマグラ回避作戦の研究は託された。

 残された時間はわずかだった。マグラは地下深くに潜んだ人類であろうとも探知できる。人類軍は幾多の囮活動で目くらましを続けながら研究を進めていたが、とうとうマグラに最深基地を探知されてしまった。最深基地上空から照射されるマグラービームは大地を穿ち、着実に迫ってくる。

 マグラ回避作戦はぎりぎりまで検討が続けられた。

 マグラは魚類のマグロと哺乳類のクジラから謎の融合進化を遂げたと推測されている。マグラ研究チームに所属する女性研究者、アリシア博士によるとんでもない提案が、それでも唯一の可能性があるとして採用された。タイムリープして過去にさかのぼり、歴史を改変し、この融合が起きなかったことにすればマグラは出現できないというのだ。

 通常の物理学には不可能なタイムリープを実現するために、人工奇跡ともいうべき手段が採られた。人類の生命力を集め、絶対に諦めない強い意志を持つ特別な一人の人間に集中し、一種の超能力を発現させる。

 その対象者として選ばれたのがタイムリーパー・ハルカ、すなわちこの俺だ。では、どうやって生命力を集めたかも語らねばならない。

 対マグラ用に開発されたものの通用しなかった新兵器、エネルギー吸収ドローンが全世界に展開して吸収活動を開始した。対象は人類だ。ドローンは無差別に人類の精神力を吸収していったのだ。吸収されれば死ぬが、そのままでもマグラにいずれ殺される。であれば、人類の役に立って死ねるのだ。文句を言われる筋合いはない。アリシア博士たちはなにやら苦悩していたようだが、俺は一切気にしなかった。全ては打倒マグラが優先される。

 ドローンの集めた精神エネルギーは、エネルギー圧縮殻に注ぎ込まれていった。この殻の中に俺はひとり入って、エネルギーをひたすら受け止めねばならなかった。体が文字通りバラバラになる苦痛だ。身体が崩壊していき、だが俺は意志の力で自分をつなぎとめた。マグラ回避作戦をやり遂げるためだ、問題ない。

 地下を掘り進んでくるマグラービームは、まもなく最深基地に到達する。俺がタイムリープするためのエネルギーはまだ足りないのに、ドローンはもうほとんどの人類からエネルギーを絞りつくしてしまった。

 殻内の俺は、アリシア博士と特殊な精神リンクでつながっている。この精神リンクとは、俺は密封されており通常の会話ができるような環境ではないために用意された通信機能だ。

 アリシア博士から心の声が届いた。基地内の自分たち研究者をドローンのターゲットに設定するという。作戦オペレーションのためにアリシア博士だけは必要だ、そう答えると彼女はなぜか泣いていた。

 殻の外から断末魔の叫び声が次々に響いてくる。そのたびに俺の体にはエネルギーが注ぎ込まれていった。受け取った生命に代えて、必ず作戦は成功させてみせる。

 とうとう俺の身体は臨界を超えた。アリシア博士からゴーサインが出る。行ってくるぞと返事する。二度と戻ってはこれない旅だ。

 俺は身体の中にあふれる全人類の生命エネルギーを使い、人工奇跡を起こした。数十億人による祈りが量子をありえない確率で操作し、自然界では起きえない偶然が時空を超えるワームホールを形成する。俺は輝き崩壊しながらワームホールに吸い込まれていき、この人類が滅び去る未来から消失した。


 マグラ回避作戦とは、この世界の歴史をマグラが出現しないように改変するというものだ。

 どの時代にタイムリープしてどうすればそのような歴史改変が可能となるか、アリシア博士を中心に検討が重ねられてきた。

 マグラ出現間近な時空間にリープし、なんとかマグラへの進化を阻止するか。だが進化の原理は一切不明だ。もっと確実な方法を採らねばならない。

 慎重にタイムリープする時代と改変方法が選定された。江戸時代の日本、そこが俺の作戦エリアだ。

 

 俺はワームホールを抜けた。素粒子レベルまでバラバラになった身体を意志の力で再構成する。元の肉体を取り戻した俺は空中にいた。過去に出現したとき、そこに元からあった物体と重なり合わないよう空中に出現したのだ。

 俺は空中から落下し、水に落ちた。安全な出現座標として川の上空を俺は選んでいた、水に落ちるのは計算通りだ。俺はいったん深く水に沈んでから、力を込めて上へと泳ぎ、頭を水上に突き出して大きく息をした。マグラの攻撃による大気汚染がない、きれいな空気。水質もいい。自然に満ちた美しい世界が広がっている。菖蒲や猫柳など川端の植生から、間違わず日本に出現できたことを確認する。

 俺は泳いで川岸にたどり着いた。五百年もの遠い昔、下総国。将来、兵庫県と呼ばれる地方。ここで俺の作戦を開始する。

 俺の時代から物を持ってこれればなにかと話も早いのだが、タイムリープで再構成できるのは生身の身体だけ。つまり俺は全裸だった。

 だが物の代わりにアリシア博士との精神リンクは残されている。

 俺はアリシア博士と精神リンクしたままタイムリープした。リンクは今もアリシア博士とつながっている。過去と未来の時を隔てているのに奇妙な話だが、俺とアリシア博士の主観時間は同期している。未来のアリシア博士が基地の爆発に巻き込まれるまでは、精神リンクを維持できる。

 別に博士がどうこうではない。作戦を遂行する上で、立案者のアリシア博士ならではの知識が必要だっただけだ。作戦遂行に情は不要、俺はそう誓っている。

 川から上がって未舗装の細道を歩き始めた俺は、向いから歩いてくる江戸期の日本人女性を見つけた。情報を得るために声をかけようとしたら、その女性は目を丸く見開き、おかしな声を上げて逃げ出していった。なかなかの速度だ。

「アリシア、現地の人間と接触できないぞ、なぜだ」

『ハルカ、その恰好よ! 裸じゃないの、服をなんとかして!』

 博士の声ともいうべき精神メッセージが俺の心に響き渡る。

「問題ない。殻の中でもずっと裸だった」

『あなたね、女の子でしょ!』

 集落のある方向へと歩きながら言い争っていると、向こうからさっきの女性が数人の男性を連れて戻ってきた。男性たちは農具を持っている。農具は木の棒の先に木の板や棘のようなものが付いていて、俺の方へと向けられている。男性たちは険しい顔に威嚇するような怒鳴り声、農業をしに来たのではなさそうだ。

『ハルカ、あなた川に住む化け物と思われてる、退治するつもりよ!』

 今度は俺が逃げる番だった。


 この作戦に備えて俺は身体を鍛えぬいている。軽々と逃げきった俺は、夜になるとまた集落の近くに戻ってきていた。大豆畑と小麦畑が広がっている中に身を潜めながら接近していく。

 家々が立ち並ぶ栄えた集落だ。中央あたりには大きな屋敷と倉が並んでいる。タマリの香りがするのは、あの屋敷内で製造しているのだろう。

 タマリとは、大豆から作る調味料だ。コクのある味がして魚介類の調味に使うと美味だそうだ。歴史的には、タマリは高額すぎて広く普及しなかった。

『この日本は周囲を海に囲まれていたのに、日本人は魚をあまり好まかったの。魚の臭みが苦手だったのね。でも、魚向きの調味料が普及できれば』

「やるぞ、第一作戦開始だ」

 ご存じのとおり、この日本では魚といえば調味料は塩と味噌ぐらい、焼くか煮るしか調理方法がない。魚料理が発達せず、周囲を海に囲まれた島国でありながら魚をあまり食べない。しかし、だからこそ、もし魚の消費量が上がれば歴史に大きな変化を与えることが期待できる。

 俺は相変わらず全裸のままで、静かに集落へと近づいていった。夜の集落はほとんど明かりもなく寝静まっているようだ。

 月明りを頼りに集落に入り込み、家々を抜けて、中央の屋敷に迫る。屋敷の周囲は木で囲まれている。静かすぎて、少しでも音を立てれば集落中に響くような気がする。注意して木々を抜ける。

 屋敷の扉を慎重に開いた。この屋敷の造りからして、家人らは上の階で寝ていると思われる。反応は特にない。

 土間から炊事場に進む。炉の中に目当ての火種を見つけた。火箸を使って火種を椀に移し、そろそろと運ぶ。屋敷から出ようとしたところで気配がした。上の階から子供が覗いている。目を覚まして小用にでも行こうとしていたのか。まずい、上の階には他の者も寝ているだろう。口をふさぐに行くのは危険すぎる。

 扉をともかくそっと閉めて、俺は椀の中の火種に気を付けながら、屋敷の横に立ち並ぶ倉へと急いだ。大きな倉には頑丈な扉があり、鍵がかかっている。中からは大豆の匂いがする。

『原始的な鍵ね。開け方を指示するわ』

「頼む」

 俺は鍵穴に持ってきた火箸を突っ込み、アリシア博士の指示に従って奥の仕掛けを動かそうといじる。

 屋敷のほうが、ざわりとした。子供が家人たちを起こしてしまったのか。反応が早い。倉荒しの泥棒を警戒していたのかもしれない。

『急いで、ハルカ』

 鍵が開いた。体重をかけて、重い扉を引っ張る。自分ひとりが入り込めるぐらいの隙間ができたところで侵入する。

 暗くてよく見えないが、倉の中には俵がびっしりと積まれているようだった。中からは強い大豆の匂い。狙いどおり、大豆が保管されている。俺はこれを焼き尽くしに来た。

 椀に入れてきた火種を仕掛けようとして、手が止まる。大勢の怒声と足音がこちらに殺到してくる。今日の昼とは比べ物にならない殺気だ。

 扉が大きく開かれる。背の低い、しかし屈強な男たちが手に手に得物を掲げている。

 俺はじりじりと後ずさりして、俵にぶつかる。

 男たちの一人が明かりでこちらを照らしてきた。怒声を上げていた男たちの声が止まる。男たちは俺を凝視している。俺の全裸に驚いているのだ、作戦どおり!

『ふざけてないで、なんとか脱出しないと』

 アリシア博士の声があせっている。俺とて、男たちが正気に戻る前になんとかしないと捕まって、下手すれば殺されかねないことは分かっている。

 火種を使うか。ここで使っても燃え広がる前に消されてしまうだろう。

 タイムリープするか。だが、この場所、この時は計算して選び抜いた最適ポイントなのだ。何もせず去る訳には。

 俺の目的は、この大豆をタマリに使わせないこと。ならば、そうだ、彼らの恐れを利用させてもらう。

「この倉の豆は腐り豆じゃ、タマリに使ってはならぬ!」

 俺はできうる限り偉そうに大音声を張り上げた。身体の中のエネルギーを放出し始める。身体が輝き、空間が歪んでいく。

 男たちは叫び声をあげて後ろに下がる。へたり込む者もいる。

「麦を使うがよい! 富をもたらすであろう!」

 歪んだ空間に生まれたワームホールが俺を吸い込んでいく。

 分解する前の最後に見た光景では、男たちはひれ伏していた。


 準備無しにいきなりタイムリープしたので正確ではないが、約十年後に俺は出現した。貴重な残りエネルギーを早速消費してしまった、行動はもっと慎重にせねば。

 また川に落ちて這い上がり、今度は見つからないよう道を避けて慎重に集落へと向かう。

 集落近くの木に登って偵察する。

 商人が買い付けに来ているようだ。荷車に樽を積み込んでいるのが見える。

 美味そうな香りが鼻腔をくすぐる。タマリとはまた違う、新しい香りだ。かつて最深基地にて研究された発酵調味料、その香りと同じだった。肝は大豆と小麦を使うということだった。大豆が旨味をもたらし、小麦が発酵を飛躍的に速める。この調味料はタマリよりも早く量産でき、なによりも魚介類との相性が最高に良い。魚介の持つどうしようもない臭みを打ち消し、味を引き出す。

 大豆だけで長期間発酵させて作っていたタマリに代えて、大豆と小麦からなる新調味料を江戸時代で量産させ、魚介類の消費を増大させることが本作戦の第一目的だった。

 そのために、タマリ生産地であるこの集落を大豆不足に陥らせて小麦も使わせるという計画を立てた。。この時代、この集落には天才的なアイディアマンの名主がいたと歴史書に残されており、ピンチをチャンスに変えたという彼の能力に俺たちは賭けたのだ。この結果を見るとなんとか成功したようだった。

『うまくいったのね!』

 アリシア博士の声は喜びを抑えられないようだ。

「いや、そちらの状況が変わらないなら、まだ歴史改変には至っていない。作戦はまだこれからだ」

 遠くの声が流れてくる。しょうゆ毎度あり、か。そうか、あの調味料はしょうゆと呼ばれるようになったようだ。

 かすかに豆が腐ったような別の匂いも流れてくることに気付いた。後で知ったのだが、俺が腐り豆と呪った豆はタマリには使われずにそのまま本当に腐らされた。腹を空かせた労働者がこれを思い切って食べてみると意外な美味だったらしい。以降、これを量産する技術が確立され、納豆と呼ばれるこの集落の名産品になったそうだ。


 次の目的に俺たちは進まねばならない。魚介類の消費が増えたら、次はマグロが最も人気になるよう、そして食い尽くされていくように日本人を導く。最高のマグロ料理を生み出し、マグロを食材の頂点に立たせるのだ。マグロは滅びねばならない。

 だが、この時の俺はまだウナギの脅威を知らなかったのだ。

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