12話 聴取

 清掃が行き届いている病院の真っ白な廊下。そこをスーツを着た二人の厳めしい男が歩いていた。前を行くのは鼠色のスーツを着ている中年の男。耳は潰れ、身体は筋肉質でがっちりとしている。後ろをついていくのは身長180センチ近い眼鏡をかけた男だ。黒いスーツをぴっちりと着込み、姿勢よく歩いている。


「っと、確か病室は……」と中年の男。

「508号室、突き当たりの部屋です」眼鏡の男が言下に答える。

「おー、そうだったな。この頃、物忘れがひどくてな。身体もあちこちガタがきてやがる。かぁ、歳は取りたくねぇなあ。もう引退どきかぁ?」

「……鬼の村山が何をおっしゃいますか」


 廊下の突き当たりにある病室の前で、男たちは立ち止まる。中年の男はごつい拳で、扉を力強くノックした。


「ご連絡した捜査一課の村山です。入っても?」


 部屋の中から返事はなかった。村山はドアを横に引く。清潔感が漂う病院の個室。中央に置かれているベッドの上で、女が身体を起こしていた。部屋に入ってきた村山たちを一瞥すらせず、窓の外を眺めている。外はどんよりと曇り、灰色だ。


 村山は、ベッドの横にある丸椅子に腰かけた。村山は県警の捜査一課に所属している。顔は四角く、耳は柔道で潰れ、一睨みすればそこらの不良でも逃げ出してしまうほど強面だ。幾つもの残忍残悪な事件を解決してきたベテランの刑事である。


「真鍋さん。具合のほうはどうですか?」

「……」


 ようやくこちらを向いた女を見て、村山は驚く。二十一歳という実年齢よりも、目の前の女はずっと幼く思えた。中学生と言われても信じてしまうかもしれない。にきびのあと一つない白い顔は、剥いたゆで卵のようだ。――ただ、目だけがどんよりと濁っている。女の瞳には生気が感じられない。村山は捜査の中で、何度もこの目を見てきた。大切な人を失い、現状が未だに信じられず、人生に絶望している者の瞳だ。


 真鍋まなべ雪花せっか――それがこの女の名前だ。


 一週間前、市の外れにる山中で事件は起こった。山を散策していた学生二人が猟銃を持った男に襲われたのだ。大学院生である釧路くしろりょうは、頭部を打ち抜かれて死亡。真鍋雪花も腹部に重傷を負ったが、幸い命に別状はなかった。犯人は未だに特定されていない。村山たちは被害者である真鍋の話を聞きにやって来たのだが――。


 真鍋が、小さな口を開く。


「……帰ってください。言うことなんて、なにもない」

「はぁ」


 村山は溜息を吐いた。つい二日前も村山たちはこの病室にやって来ていた。そのときの真鍋の様相はすさまじかった。釧路が死んだことを受け入れられず、狂乱した様子で大暴れし、看護師たちに取り押さえられていた。今は冷静に話せるまで落ち着いたようだが――。後ろに立つ部下の田角たすみに目をやる。田角は目配せに頷くと、直立したまま訥々と話し始めた。


「真鍋雪花さん。あなたたちを襲った犯人はまだ捕まっていません。幾つか登山客から目撃証言があるだけで、どこの誰かもわかっていないのです。大切な人を失ったその心中、お察しします。しかし事実を思い出し正確にお伝えいただくのが、一刻も早い犯人の特定へと繋がり、被害者である釧路涼さんのためにも――」

「……それで先輩が帰って来るの?」

「……それは」田角が言葉に詰まる。

「先輩は死んだ。帰って来ないんだ。じゃあ全部無駄。私が何を言っても先輩が帰って来ないなら、全部無駄だもん。無駄、無駄、無駄なんだよぅ……」


 真鍋は布団に顔をうずめた。そのまま、声を押し殺してむせび泣く。


「そうだな。確かに死んだ被害者は帰って来ない」田角に代わり、村山が言う。「だがよ、あんた犯人をこのまま野放しにしてていいのか? 大切な先輩を奪ったやつはまだのうのうと生きてんだぞ。捕まえて問いただしたいこともあるだろう。こっちは捜査のプロだ。わずかな情報でも教えてくれりゃあ手掛かりになる」


 真鍋は布団に顔をうずめたまま、ぼそりと呟いた。


「それも無駄……。だって多分その男はもう、死んでるもん……」

「……。なぜそう思う?」

「私たちと同じで、ヨウセイに襲われてた」

「……ヨウセイに、か」村山は訝しんで尋ねる。

「たくさんの矢で身体を刺されてた。最後は絶叫して逃げてったけど、助かってない。全身、血だらけだった。だから全部、無駄。捕まえることなんでできない……」

「おい、田角ぃ」

「はい」と後ろの田角がメモ帳を捲りながら答える。「真鍋さん、未だかつてヨウセイが人を襲ったという事例は確認できていません。葛城くずき大学の真瀬まなせ教授いわく道具を作成するヨウセイもいますが、それだって石でできた簡単なナイフのようなものらしいです。弓矢というのは少し考えられない。現場に残されていた大量の小さな弓矢ですが、中国製の手のひらサイズのボウガンの類だと推測しています」

「だそうだ」と村山。「どうしてまたそんなすぐバレるような嘘を吐く。ヨウセイに襲われただなんて子供でも言わんぞ。そうでもして隠したいことがあるのか?」

「ヨウセイに襲われたの、私たちは……。私と、先輩は、幸福を……」

「嬢ちゃん、落ち着いてくれ」

「私たちは、あ、あ、うううぅ……」


 真鍋は顔を手で押さえて、ぶつぶつと呟いている。村山と田角は顔を見合わせた。村山は溜息を吐いて、椅子から立ち上がる。


「また来る。少しでも話す気になったら連絡をくれ」






 病院の外へ出ると雨がぽつぽつと降り始めた。村山と田角の二人は傘をさす。ふぅ、と田角が息を吐く。


「結局、何も情報は得られませんでしたね」

「いや、そんなことはないぜ」

「え?」と驚く田角。

「やっぱりあいつは何かを知っている。随所で発言に迷いが見て取れた。言うべきか言うまいべきかってな。それでも言わねえのは多分、自分らにとって不利益になることを隠してるからだ」

「……釧路の入金も関与しているのでしょうか?」

「ちげえねえだろうな」


 釧路は銀行口座に、3年ほど前から大量の入金をしていた。特にここ数か月で数十万もの金を貯めこんでいる。しかし、その金をどこから得ているのかは不明だ。始めは薬の売買でもやっていたのかと思ったが、家宅捜索しても何も見つからない。家にあるのは農学部の学生らしく生物関係の本、また動植物の採取道具など。メール等にも不審なものは残されていない。


 だが真鍋の反応を見て、村山は確信に近いものを抱いていた。あの二人は何かを隠している。二人を襲撃した男もその金銭絡みのトラブルなのではないか。このまま真鍋の周囲を洗っていけば何か出るはずだ。当分、様子見した方がいいだろう。


「しかし……ヨウセイに襲われたというのはなんだったのでしょう」田角が訝しんで言う。「なんというか、子供じみているというか。いったい、何がしたかったのでしょう。あんな嘘で我々を煙に巻けるとでも思っているのでしょうか」

「さあな。ま、所詮まだ社会人経験もねえ大学生のガキだからな……。ん?」


 そう言った直後に村山は既視感を覚える。つい最近、似たような場面に遭遇した気がした。ヨウセイに襲われた。そんなバカげた嘘を熱弁していた被害者が――。


(確か、あれは――)


 そのとき村山の横を、黒い傘を差した女が通り過ぎる。ブレザーを着て、紺色のバッグを肩から下げている女子高生だ。瞬間、村山の脳裏にパルスが走る。


「オイ、お前!」


 村山は勢いよく振り向いて、女に声をかけた。女は振り向かない。降りしきる雨の中を静かに歩き、病院へと向かっていく。


「村山さん、どうかしたんですか?」

「……いや。何でもない」


 村山はばつが悪そうに呟いた。高校の制服を見て反射的に声をかけてしまったが同一人物であるはずがない。数か月前、とある事件が起こった。容疑者は自分の家族三人を殺害し、依然として逃亡を続けている。事件にはヨウセイが関与していると主張した、被害者の女子高生がいた。その名は――。






 ベッドから立ち上がった雪花は、窓枠から身体を出していた。ここの階層は五階。下に広がっているのは、固そうな灰色のコンクリ―ト。


(ここから落ちれば、死ねるのかな……)


 それもいいかもしれないな、と雪花は思う。


 雪花にとって釧路とは世界の全てだった。この世でただ一人自分を必要としてくれた人物。孤独であった雪花がただ一人、頼ることのできた人物。その釧路がいなくなったこんな世界で生きる意味が、雪花には見出だせない。


 もし仮にあの犯人――木槌きづちが生きていればまだ希望を見出せたかもしれない。釧路を殺した人物を追うことに人生を捧げられたかもしれない。でもそれも無駄だ。あの男はヨウセイに襲われて死んだ。無様な悲鳴をあげて惨めに死んだ。山中で死体が見つからないのは身体がばらばらに分解されて運搬されたからだろう。


 頼れる人物はおらず。

 執着できる物もない。

 真鍋雪花はどこまでも孤独だ。

 でもここから飛び降りて、自由落下に身を任せれば――。


(釧路先輩のいる場所に、近づけるかな……)


 天国も地獄も来世もまるで信じていないのに、今はそんな幻想にすら縋りたい。

 雪花は窓枠から身を乗り出した。

 目を閉じ、そして――。


「執着するものなら、あると思うわよ?」

「……!」


 突然、後ろから声をかけられた。振り返ると、いつの間にか病室に一人の少女が立っていた。長い黒髪をした端麗な容姿。ブレザーを着ており、近くの高校指定のバッグを肩から提げている。彼女は雪花を見て静かに微笑んでいる。


「なに……。誰なの、あなた」

安曇あずみ琴子ことこ。お会いするのはこれで三度目ね」

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