最終話 絶滅戦線
「
「三度目……?」
「覚えてないかしら。一度目は
「……あ」
ようやく雪花は思い出した。釧路が木槌に撃たれた後、誰かが燻煙剤を投げ込みヨウセイを追っ払ってくれたのだ。記憶は朦朧としていて夢なのかとも思っていたけれど、確かにこの少女と同じ声を聞いた。
「それじゃあ……警察と救急車に電話してくれたのも……」
「ええ、そうよ」
雪花は麓近くの登山道に倒れていたところを救急隊に発見された。電話は雪花のスマホからされていた。通報した人物は発見されておらず警察も追っているという話だったが――それが目の前の少女だったとは。
「そして、山中に放置されていた電撃捕漁機を始末したのも私」
「……え?」
電撃捕漁機の存在を、雪花はすっかり忘れていた。しかし、確かにあれがそのまま山中に放置されていれば釧路と雪花が密猟目的で山に入っていたことが警察にバレていただろう。そうなれば釧路の罪が露見し、辱めてしまうことになる。しかし、どうしてこの少女がそんなことをする義理があるのか――。
「なんなのあなた……? 何が目的なの? 全然、わかんない……」
雪花の問いに、安曇は微笑みを返す。
「真鍋雪花さん――あなたを勧誘しに来たの」
「……勧誘? 私を?」
「そうよ。私たちって気が合うと思うの」
少女はカバンの中に手を突っ込み、中から円筒形の容器を取り出した。蓋を開けて逆さにし、とんとんと底を叩く。中から滑り落ちてきたのは一匹のヨウセイ。
「……そ、それ」
雪花はヨウセイを指さす。その手はぶるぶると震えていた。全長は15センチほど。身体は筋肉質で肌は茶色い。あの日の夜、雪花たちを襲ってきたヨウセイと同じだ。安曇は手の上にヨウセイを横たえ、不敵に笑っている。
「あのあと山中に戻って何匹か回収したの。形態を見るにシバヤマヨウセイの亜種でしょうね。発達した筋肉といい、より狩猟に特化した種と見るべきかしら」
「……」
ヨウセイ――その姿を見ると、雪花の胸中に「何か」が湧き上がってきた。はっきりとは言葉にできないもやもやとした不快感。なんだかすごく気分が悪い。
「ねえ、憎くないの?」
「……憎い?」
「ええ。ねえ、どうしてあなたの先輩は亡くなったと思う? 責任は誰にあった?」
「責任? そんなの……あの男のせいだよ」雪花は手を握りしめる。「あの男が、木槌が私たちを襲ってきたから……。そうでなければ、私たちは、先輩は……」
「違うでしょう」
「……え?」
「元をただせば全ての原因は、ヨウセイが存在していたからじゃない? ヨウセイなんていなければ、あなたたちが襲われることはなかったんじゃない? 先輩が死ぬことはなかったんじゃない? 彼女は今もあなたの横で笑っていた――そうは思わない?」
「それは……」
「私はそう思ってる。ヨウセイなんていなければ、あの子は、今も私の横で笑ってた……。こいつらのせいで、私は……」
安曇は手を閉じ、ヨウセイを握った。腕の中でヨウセイが覚醒し、じたばたと暴れ始めた。彼女は一向に力を緩めず、万力のようにヨウセイを締め上げそのまま――握りつぶした。「グギ」という悲鳴がほとばしる。ホウセンカの種のように、ヨウセイの顔面から眼球が弾け飛んだ。二つの眼球は地面を転がり、ベッドの足元まで転がってきた。
「……」
眼球にはヨーヨーの紐のように細長い視神経が付着している。ヨウセイの丸い瞳が床から雪花を見上げていた。これ以上なくグロテスクな光景なのに、不思議と不快感はない。それどころかなぜか、胸の中がすっとする。
「こいつらは、害悪よ」ヨウセイの死骸を握りつぶしたまま安曇が言う。「幸福の象徴だなんて言われてるけど実際はその逆。幻覚成分を振りまき、多くの人を惑わして、しまいには集団で人を襲う。放置しておけば私たちは大切な人を失う。だったらそれを防ぐために私が、いえ、私たちがすべきことは――」
安曇はヨウセイの死骸を病室の床に投げ捨てた。べちゃりと音を立てて、内臓がはみ出る。さらに上から足を乗せ、死骸を踏みつける。
「ヨウセイを一刻も早く絶滅させること」
「……」
「私も、あなたと同じよ。大切だった人をヨウセイのせいでなくした。だから、私たちは同士になりえる。この醜い獣を一刻も早く、この地上から絶滅させましょう?」
少女は再びカバンから円筒形の容器を取り出した。中にはヨウセイが入っている。安曇はそれを雪花へと差し出す。あなたの好きにしていいよとでも言いたげに――。
「さぁ、どうぞ」
「……」
「さぁ。さぁ。さぁ。さぁ。さぁ。さぁ。さぁ。さぁ。さぁ。さぁ。さぁ。さぁ。さぁ。さぁ。さぁ。さぁ。さぁ。さぁ。さぁ。さぁ。さぁ。さぁ。さぁ。さあ!」
逡巡の末――雪花はヨウセイを受け取った。アルコールで眠らされているのかぐったりとしている。ヨウセイの身体は生暖かった。腹部は静かに上下し、瞼が痙攣しているように動いている。生きていることを肌で感じ取る。
「あの時、あなたたちは襲われる側だった。でも、今はその逆。生殺与奪の権利を握っているのは、あなたなの」
安曇は期待に満ちた目で雪花を見つめている。
雪花はヨウセイを手にしたままベッドから降りて――窓まで歩いていく。
「……ちょっと。何をしてるのかしら」
雪花は、指でヨウセイの顔を何度か叩いた。ヨウセイが瞼を開け、「ギィ」という小さな声を出し、周囲を見回している。ヨウセイを手のひらにのせたたまま窓の外へと出す。雨はもう止んでいた。灰色だった雲の切れ間から、橙色に輝く夕陽が見える。眼下に広がる街並みを優しい光で照らしていた。
「ギ、ギ、ギ……」
ヨウセイが手の上でゆっくりと起き上がる。アルコールの影響でまだふらついているが、意識ははっきりと覚醒している。ヨウセイは背中に四枚ある羽をゆっくりと広げ始めた。眼前に広がる空へと飛び立つために。
「……そう。そういう選択をするの」後ろで安曇がため息交じりに言う。
「……」
雪花の心は穏やかだった。
そうか、やっと気づいた。
先ほどから胸の奥に込み上げているこの感情。
これは――。
雪花はヨウセイの小さな頭を指で摘まんだ。
壁にヨウセイの顔面を押し当て、そして――。
「新しい生きがい、だね」
ヨウセイの顔面を壁に押し付けたまま、上から下まで一気に下ろしていく。ばたばたと手足を振り回して暴れるが、力強く押し当てたまま。
「イギギギギグギギギッギギギギイギギギギイッ――――」
びーーーーーーーーーーーーーーーーーっ、と壁に真っ赤な一本の線が引かれた。
摘まんだヨウセイを裏返す。ヨウセイの顔面は壁の凹凸と摩擦熱で、半分にまですりおろされていた。白色の脳みそがのぞき、剥き出しにされた口内や鼻腔、眼窩など肉や血管が丸見えになっている。ヨウセイは身体を激しく痙攣させ、肛門から糞便をぶりぶりとひり出した後に動かなくなった。
「これが、私の答え」
茫然としている安曇に、すりおろされたヨウセイの死骸を投げ捨てる。安曇は始めあんぐりと口を開けていたが、やがてくすくすと笑い始めた。
「いいわね、あなた。すごくいい!」
雪花はふぅ、と息を吐く。
(釧路先輩……。私の大好きな釧路先輩。ごめんなさい。私はまだそっちへは行けないかもしれないです。やるべきことができたんです。木槌は死んだけど、私には新しい敵ができました。こいつらを絶滅させるまで――私は死ねないんです)
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