7話 罠

 死んでいたのはまだ成熟していないヨウセイだ。一匹で行動しているとは考えにくい。近くに親の死骸があるかもしれないと考え、釧路たちは周囲を捜索した。しかし茂みをかきわけても死骸は見つからない。


(親の死骸は持ち去れられたか? 単に見つからないだけか? そもそもここで討たれたとは限らねえ。こいつが別の場所で射られて飛んで逃げてきたって線も……)


「せ、せんぱぁい。もう暗くなってますよ。このままじゃ下山するときは真っ暗で危ないですよぉ」と雪花が不安そうに言う。

「……そうだな」


 ゲツガコウヨウセイは夜行性だ。夜間は昼と比べて行動も活発になるし、周囲の音に対しても敏感になる。捜索しても捕まえることは不可能だ。


 釧路と雪花は来た道を戻り始めた。前を行く釧路はヘッドライトをつけ、今日のことをぼんやりと考える。一匹も捕まえられなかったが明日もまた来るか? もう完全に越冬期に入ってしまったとしたら捕獲は見込みが薄い。いやそれよりも、ヨウセイに弓を放っているのは誰なのか――。


「きぃ」という小さな鳴き声がどこからか聞こえた。

 

 釧路は思わず足を止め、周囲を見回す。

 か細く甲高い特徴的な鳴き声、聞き間違えるはずがない――。


 横にある茂みの中にうっすらとした光が見えた。茂みをかき分けると、そこには先ほどと同じトラップが置かれている。中を覗きこんで、釧路は息を呑む。トラップの中に、成熟した一匹のゲツガコウヨウセイが座り込んでいた。ヨウセイは淡い蛍光色を放ち、黒々とした瞳で釧路を覗き返してきた。


「わ! 容器に入っちゃったんですかね?」と雪花。

「いや……」


 釧路はトラップを子細に観察する。ヨウセイが底面から飛び上がろうとも、広がった羽が邪魔になって入り口を通り抜けられないようだ。大型のフェロモントラップで誘引できるのは大型の昆虫、。言うまでもなくヨウセイは哺乳類であり、農場ではなくこんな辺鄙な場所に仕掛けていることを考えると――。


 釧路の中で様々な線が一つに収束する。


「これは、ヨウセイを捕獲するための罠だってぇのか……!?」

「え、ええ!? このトラップが、ですか?」


 だとすればヨウセイがトラップ近くで倒れていたのも納得できる。恐らく、先ほどの幼体は別の場所で射られたのだ。辛うじて逃げ、あの樹の根元近くに置かれていたフェロモントラップに誘引され、付近で力尽きた。


「……はっ」

「せ、先輩?」

「はは、はははははっ!」


 釧路はその場で高笑いした。しばらく笑いが止まらなかった。フェロモントラップには、捕獲する動物のフェロモンが必要だ。ヨウセイを誘引するフェロモンを抽出したという報告は釧路の知る限りない。とすれば仕掛けた人物は、そのフェロモンをどうやって調達したのか。つい先月すれ違った少女を思い出す。あんな自分より年下の、澄ました感じの少女がこんなトラップを作成していたとは――。


「まじで、何者だよアイツ!」


 胸の高鳴りが止まらない。ヨウセイを誘引するフェロモン。その応用は無限といえる。より簡単に多くのヨウセイをおびき寄せ、電撃捕漁機で一網打尽もできる。


(ぜってぇあの女とコンタクトを取りてぇ……! そうすりゃあ私たちはヨウセイをもっと捕まえて、もっと金を搾り取れる! は、はははははっ!)


 ざっ、と前方から足音。


 釧路は顔を上げる。目の前に黒い影が立っていた。頭に着けたヘッドライトが逆光となり、姿は見えない。ここは登山道を外れており、一般人は迷いでもしない限りは来ない。


「噂をすればか? ナイスタイミングじゃねえの」


 釧路は頭部のライトを消した。光が消え、辺りは暗闇に包まれる。暗闇に徐々に目が慣れてきた釧路は、目の前に立つ人物を見て顔を顰める。


 立っていたのは、長身の男。

 釧路たちの取引相手である、木槌きづち直樹なおきだった。


「僕の噂をしてくれていたのか?」


 木槌はにちゃあと笑って、眼鏡を上げた。


「………………はぁ?」釧路はがしゃがしゃと頭髪をかき混ぜた。「なんでお前がここにいる。……いや、聞くまでもねぇな。偶然であるはずがねえもんなぁオイ。お前、私らのことをつけてやがったな?」

「え!?」と背後で雪花の驚く声。


 木槌は楽しそうに笑った。


「ははは、そう怖い顔をするなよ。釧路涼さん。それと、真鍋雪花さんかな?」

「な……!?」


 釧路は目を見開く。自分たちの名前は木槌には伏せていたはずだ。


「まさか、隠せていたと? 顔も隠さず、のこのこ家にやって来て、尾行も警戒しない。路地裏なんかに車を停めた程度で隠しておけるとでも? 所詮はただの学生の浅知恵だよ。大人を出し抜けるとでも思っていたのかい」

「……くそっ」


 釧路は大きく舌打ちをした。無意識のうちに拳を固く握りしめていた。悔しいが何も言い返せない。所詮、釧路は一介の大学院生であり、犯罪組織の一員でも何もないのだ。事実、今だって木槌の尾行に気づけていなかった。


 木槌は釧路の足元にあるトラップに目をやった。ヨウセイを見つけると、「ほう」と感心したように呟く。


「面白いね。電撃捕漁機とトラップの二つでヨウセイを捕まえていたのか。そのトラップについてはどういう仕組みなんだい?」


 木槌がトラップに手を伸ばそうとしたが、釧路は先に掠め取る。これはまだ釧路たちも正確な原理を知らない。ここで、木槌に知られるわけにはいかなかった。


「……んで、何の用なんだ。まさか、わざわざこの山の中で私たちと仲睦まじく会話しようってわけでもねーだろ? 捕獲のノウハウでも教えろってか?」

「それにも興味はあるがね。目的は別だよ」


 釧路は背負っていた細長いバッグを地面に下した。彼は空を見上げ、ふうと息を吐く。陽は既に沈み、濃紺の空が広がっている。東の空に月が見えていた。


「僕が妖精の道フェアリーロードを目撃したのも、こんな夜だった」

「……あ?」

「月が綺麗な夜だった。月日にすれば二十年だが、僕の体感ではつい昨日のことだ。空を舞うヨウセイたちは美しかった。僕を虐めていた人間は醜くかった。その対比こそがヨウセイの美しさを際立たせる。ヨウセイを幻想たらしめる。だから僕は――人を飾らねばならない」


 木槌はバッグのファスナーを下ろした。何が面白いのか、中をみつめてにやにやと薄ら笑いを浮かべている。


「せ、先輩……」後ろから雪花が裾を引っ張ってきた。「わ、私、なんかこの人、怖いです。すごく、怖いです……」

「……」


 釧路も同じ思いだった。この前、マンションで話し合ったときと同じだ。何か執念めいた狂気のようなものを感じる。


「対象は善悪を理解しているのが望ましい。できれば持ち運びが楽だといいな。つまりは、成人した小柄な女性がいいね。殺す場所は人気がないといい。そして重要なことだが――殺すのはことさら醜い人間がいい。


 木槌はバッグから、黒光りする細長い物体を取り出した。身体に抱え、その先端を釧路たちへと向ける。


「条件に適う人物は限られている。もう、分かってるだろ?」

「――まさか」


 バァン、と森の中に轟音が響いた。反動でか、木槌が後ろへとよろめいた。抱えていた物の先端から煙が昇り、硝煙の香りが鼻を突く。


「うぅ……」と後ろで呻き声。


 振り返ると、雪花が苦悶の表情を浮かべて脇腹を押さえている。彼女が釧路の目の前で、スローモーションのように前のめりになる。力なく、釧路へと倒れてきた。


「……雪花?」


 雪花を支えようと触れると、右の手のひらに生暖かい液体が触れた。月明りにほのかに手をかざすと、真っ赤に濡れていた。雪花の脇腹に、黒く小さな染みができていた。染みはどんどん大きく広がっていく。


 後ろでカチャリという音。

 振り返ると、木槌は猟銃を構え、釧路へと照準を定めていた。


「ヨウセイの隣に並ぶのは君たちだ。醜い犯罪者ども」

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