8話 襲来

 全て罠だったのだ。自分たちは木槌の手のひらで踊らされていた。釧路がそれを理解したのは、雪花が地に伏せた後だった。


「雪花……? おい、雪花!」

「う、ううう……」


 雪花は苦悶の表情で呻いた。脇腹の辺りから血の染みが広がっていく。

 かちゃり、と後ろで木槌が銃を構える音。


「持ち運びは楽なほうがいい。小さいほうの彼女をターゲットとして選ばせてもらった。大きいほうの君には、地面の下でこの山の栄養源にでもなってもらおうか」

「……っ!」


 釧路の頭が目まぐるしく回転する。どうしたらこの場を切り抜けられれる。敵は銃を所持している。目の前には傷ついた雪花。こちらには何もない。どうあがいても覆すことは不可能な状況だ。自分たちは殺され、雪花は奴の棚に剥製として――。


「せ、先輩ぃ……」


 雪花が喘ぐように呟く。彼女は釧路に抱き着くと、手を釧路の背中へと回してきた。その状態のまま、ぼそぼそと耳元で呟いてくる。


「はは、遺言でも言ってるのかい」

 勝利を確信している自信に満ちた声で、木槌は言う。


「……」


 釧路は背負っているバッグの側面に手を回した。釧路のバッグは特製だ。中に入っているのは電撃捕漁機。背面にはスイッチを入れるための穴、側面にはロッドを取り出すための穴が開いている。今、雪花が手を回して背後のスイッチを入れた。


 木槌がこちらへ一歩近づいた。

 


 釧路は素早く振り返り、取り出したロッドを

「……くたばれ!」

 の一言とともに木槌へと突き出した。


 木槌の手にロッドの先端が当たる。

 ばぢん、と暗闇に青い閃光が走った。


「が、あっ!」


 木槌の野太い悲鳴が響く。彼は猟銃を手から落としかけたが、なんとか踏みとどまる。電撃捕猟機の威力は低い。せいぜいが魚を気絶させる程度の電流だ。だが、不意を突いた相手の動きを一瞬止めるくらいの効力はある。


「……らっ!」


 釧路は眼前の木槌目がけて、バッグを勢いよく振りぬいた。


「がっ」


 暗闇に木槌の呻き声が響いた。10キロ以上の重さを誇る電撃捕漁機。女の力とはいえ当たればただではすまないだろう。顔に当たったようで眼鏡が吹き飛ぶ。木槌は男性にしては細い体型だ。このまま襲ってしまえば倒してしまえるのではと、釧路は一瞬だけ思いかける。思いかけてしまう。


 ばぁん、と銃声が響いた。

 釧路の耳元すぐ傍で空を切る音。

 あと十数センチ左にずれていれば――。


 木々の合間から月明りが差し込み、山を照らしていく。猟銃を構えた木槌が、ぬらりと立ち上がる。額から血を流した木槌は、憤怒の表情でこちらを睨みつけている。


「……!」


 さぁ、と釧路の顔から血の気が引いていく。猟銃という生き物を殺すための武器を目の前にして、一気に恐怖が押し寄せてきた。


 釧路は雪花からバッグを取り外し、彼女を抱きかかえて走り出した。後ろから再び発砲音。だが今度はまるで見当違いのほうへと飛んでいく。さらに発砲音。釧路の足元すぐ近くに着弾。雪花を抱えていたこともあり、釧路はバランスを崩した。


「……くそがっ!」


 釧路は振り返らず、ひたすら前へと走る。陽は沈んだばかりで時刻は早い。登山道へと出れば、助けを求めることもできる。





 離れていく釧路を、木槌は冷静に見つめていた。額の血を拭い、地面に落ちた眼鏡を拾い上げる。釧路の逃げ足は遅かった。理由としては二つ。負傷している雪花を抱えていること。さらの先ほどバランスを崩し、足を挫いたようだった。この暗闇のなか柔らかい山道を、人ひとり抱えて逃げ切れるはずがない。


「勝ちの確定した鬼ごっこを始めようか」


 木槌はにやりと微笑んだ。





 ずきんと、一歩進むごとに挫いた右足が痛む。元々、フィールドワークで野山へ出かけることが多い釧路だ。そんな彼女だが、雪花を抱えて傷んだ足で進むのは困難だった。足元は不安定で視界も悪い。とてもではないが逃げ切れないと早々に悟る。


「せ、先輩……」


 腕の中で雪花が呻く。幸い、と言っていいのだろうか。弾丸は雪花の脇腹を掠めただけのようだった。怪我はそこまで重くない。だが雪花自身の足で逃げるのはとてもじゃないが無理そうだ。


「黙ってろ、バカ」

「ご、ごめんなさい。私、足手まといで……」

「だから黙ってろ!」


 釧路は荒い息を吐き出しながら怒鳴った。暗闇だから正確には分からないが、登山道までは遠そうだ。登山客が入り込んでこない場所にこそヨウセイは生息しており密猟が可能となるのだから、当然の話ではあるが――それが今はとても憎らしい。


 釧路は近くに大きな茂みを見つけた。

 けもの道を外れ、その裏に隠れる。


(せ、先輩……)

(喋んな)


 自分の上着を脱ぎ、雪花の傷口にきつく当てて簡単な止血をする。そこまで出血は酷くない。この窮地を抜け出して下山できれば十分に助かる。


(下山さえできりゃあ、な……)


 釧路と雪花の二人は、茂みの陰で二人して息をひそめた。


 隠れてすぐに足音が聞こえてきた。猟銃を構えた木槌が、けもの道を速足で駆けていく。こちらには全く気づいてないようだ。釧路はこの山を熟知している。木槌が通り過ぎたあと、別のけもの道を通って下山すればいい。雪花の車は特定されているだろうから、別の場所でタクシーを呼んで病院へ行ければ――と思っていると。


 木槌が足を止める。

 首を回してこちら――二人が隠れている茂みを見つめてきた。


(……は?)


 足元は暗く、足跡も見えないはずだ。それなのに木槌は茂みをかきわけ、確実にこちらへと近づいてくる。


(あいつなんで――)


 と、そこでようやく釧路は気づく。自分の頭の上から、。キャハハハハハハッ、という甲高い笑い声が響く。


 顔を上げると、ヨウセイが飛んでいた。月の光を浴びて蛍光色に輝く、月下光ゲツガコウの名を冠するヨウセイ。成熟個体二匹、そして幼体一匹が楽しそうに頭上を舞っていた。


(くそ、くそくそくそがっ! どうしてこんなタイミングで――!)


 多くのヨウセイを捕獲してきた報復か――などと考えかけるが、釧路はすぐ答えにたどり着いた。釧路は先ほど、ゲツガコウヨウセイの入ったフェロモントラップに触れている。仕掛けられたトラップには集合フェロモンがべったりと付着していた。このタイミングで潜んでいたヨウセイを誘き寄せてしまった。


 逃げようと思ったが既に遅い。

 茂みの中に潜む二人を発見すると、木槌はいやらしい笑みを浮かべた。


「ああ、ここにいたのか」

「くそっ!」


 釧路は先手を取り、殴り掛かろうとした。だが先ほどとは逆に、木槌が銃を振り回す。銃把が釧路の頭を打ち、吹きとばされる。額が割れて血が飛び、地面に転がる。そんな釧路を笑うかのように上空でヨウセイたちが舞い、踊り、歌う。キャハハハハハハハハハハハハッ、と笑い声がこだまする。


 地に伏せる釧路と雪花を見て、木槌は笑う。


「うん、いい夜だね。人を殺すにはうってつけの素晴らしい夜だ。見たまえ。ヨウセイたちも君らの死を祝福しているじゃぁないか。まるで二十年前の再来だよ!」

「……よ、止せ」地に倒れたまま、釧路は呟いた。

「うん?」


 さっきの二の舞を防ぐためか木槌は警戒を解かない。銃を構えたまま首を傾げる。


「止して、くれ……」絞り出すように釧路は言う。「そいつには、雪花には手を出さないでくれ……。そいつは、無関係なんだ。全部、私が巻き込んだ。だからそいつは見逃して、捕まえて飾るなら、私にしてくれ……! 頼む……!」


 木槌は、釧路と雪花の二人に犯行を目撃されている。両方を始末するしかないということは、釧路も十分に分かっている。それでもなお頼み込むしかなかった。頭を垂れてでも、靴を舐めてでも、雪花を逃がすよう懇願するしかない。それしか、どちらかが助かる道は残されていなかった。


「せ、先輩……」茂みの中で横になっている雪花が、泣きそうな顔を浮かべた。


 そんな釧路の様子を見て、

「……いいねぇ」

 と木槌は感慨深そうに呟く。


「自分が犠牲になるからもう片方は見逃してくれ、か。いいね、実にいい。実に人間らしい。人間らしくて――

「しゅ、醜悪……だと?」


 予想外の言葉に、釧路は眉を顰める。


「そうだとも!」木槌は空に向かって吠えた。「親愛や友情などといった形のない物に意義を見出す! 人間という社会的動物が獲得した最も醜い繁殖戦略の一つであろうさ! 馬鹿ほど友情といった言葉に心酔する! 群れをなして威勢を張ることしか能がないからだ! そうして君たちはこの社会で淘汰されずに残ってきたわけだ!」


 倒れる釧路に、木槌は銃口を向けた。


「気が変わったよ。持ち運びが大変だから一人にするつもりだったが、君たちは二人並べて飾ってあげよう。そうするほどの価値が君たちにはある。それほどに醜い」


 外すことのない距離。

 止めて、と雪花の叫び声。

 木槌が引き金に指をかける。

 ひゅん、と風切り音がして――。


 


「あ?」と釧路。

「え?」と雪花。

「は?」と木槌。


 成熟個体のヨウセイ一匹が――全身ハリネズミみたいになって地面に転がっていた。身体中に木製の弓が突き刺さっている。ヨウセイは落下後ももぞもぞと動いていたが、すぐに動かなくなった。


「キ、キィイイイイイイイイイイイイイイイ!」


 残り二匹が逃げるように飛んでいく。

 が、再び闇の中に風切り音。

 同じく、ハリネズミみたいに棘だらけになって地に落ちた。


「な、なんだ!? 誰だ、誰かいるのか! どういうことだ!」


 木槌が暗闇に向かって叫ぶ。

 返事は返ってこない。

 ただ暗闇の中から笑い声が響いた。


 ギィ、ギギギギギギギギギッ、ギィイイイイイイイイイイイイイイ……。


 それは人間と比べると明らかに甲高く、だがゲツガコウと比べるとずっと低い笑い声だった。木槌も、釧路も、雪花も、事態をまるで理解していなかった。だが、その暗闇の中に異質なものが潜んでいることだけは肌で感じ取っていた。


 木槌、釧路、雪花の三名――生き残るのはただ一人。

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