6話 殺害現場

「ビートルビートルビ~ト~~~ル。ねえ先輩、知ってますか? 黄色のビートルを見かけたときは、『カメさん幸せこっちこい』って言うんですよ。そうすれば幸せになるんです。えへへ、これで私たちは毎日幸せですね。カメさん幸せこっちこいカメさん幸せこっちこい! へい、ビートルビートルビ~ト~~~~~~」


 雪花せっかは買い替えたばかりの黄色いビートルを前に、尻をふりふりして踊っている。この寒いのに元気なことだ、と釧路くしろは呆れる。


 十一月頭、また冬がやって来たのだと実感し始める時節。二人はいつものように、ヨウセイを捕獲するために祭季まつりぎ山へとやって来ていた。ビートルは麓の駐車場に停めてあった。一服していた釧路は煙を吐き出した。


「なあ雪花。一ついいか」

「はい、なんです? また新しいお店を開拓したとかですかぁ?」

「私は今日でヨウセイの捕獲から身を引こうと思ってる」

「えっ? ええええ、えっ? え~~~~~~~~っ!」と雪花の驚く声が辺り一帯に響く。「ど、どうしてですかぁ? そんなぁ。私、まだまだいっぱい捕まえたいですよぉ。私と先輩ならもっと一緒に捕まえられますよぉ!」


 雪花は釧路に詰め寄ってきた。彼女のまなじりには涙がうっすらと浮かんでいる。彼女はひーんと泣いて、釧路の胸をぽかぽかと叩いてくる。


「なんでですか、なんでですか、なんでですかぁ~っ! 絶滅させるまで狩りつくすぞ、ってキメ顔で言ってたじゃないですかぁ~っ」


 釧路は彼女の頭を掴んで無理やり引きはがした。


「うるせぇ、声がでけえよ。それにせっかちだな、おめーは。勘違いすんな。もう冬だし今年はこれで最後にするってだけだ。これ以降は、捕まえにくくなるだろーが」

「あ、そういうことですかぁ?」


 ヨウセイは一般に、屋外では初春から晩秋にかけて活動する。小型の哺乳類などと同じく冬眠をすると言われており、冬に野外で観察された例はほとんどない。しかし、眠している現場が観察された例もなく、ヨウセイが実際にはどのように冬を越しているのか詳細は不明だ。ただ恐らくこの山でもヨウセイは姿を隠し、捕獲は不可能になるだろうと釧路は判断していた。


「なんだなんだ、それなら了解です! 了解しすぎてマトリョーシカです!」

「それとあの木槌きづちってやつからは手を引く。来春から顧客は新規開拓する」

「え、どうしてですかぁ? お金もいっぱいくれるし今のままでもいいんじゃないかって思いますけどぉ……」

「あいつが、やべー奴だからだ」

「やべー奴!」


 つい先月、マンションでの木槌の発言。釧路はそこに並々ならぬ恐怖を感じた。木槌自身は冗談だと言っていたが、信用できない。あいつが近いうちに暴走されて逮捕される可能性もある。ここで手を切っておくべきだろう。もっとも、その前にたっぷり搾り取ってやるつもりではあるが――。


「って思ってんだが、お前はどうだ雪花」


 釧路がそう言うと、雪花はにこにこと笑って答える。


「先輩がそういうなら、それでいいです。私は先輩についてくだけですから! ついていきたすぎてツーテンカクです!」

「……」


 釧路は雪花を抱き寄せた。彼女の小さな頭に拳を当て、ぐりぐりとする。


「うぇええ。先輩、どうしたんですかぁ。そんな私の発言つまんかったですかぁ」

「つまんねえ以前に意味がわかんねえんだ、バカ」

「そ、そんなぁ、いたたた」


 ぐりぐりと、釧路は万力を続ける。時々、釧路はこの幼い後輩が無性に可愛く思えてしまうことがある。自分と一緒になるために研究室に入り、唯々諾々と従うこの後輩が可愛くて――


「行くぞ。大量に捕まえて、夜は豪遊しようぜ」

「わ、わかったから頭を離してくださいよぉ」




 しかし、予想に反してヨウセイの捕獲は上手くいかなかった。かれこれ四時間近く散策を続けたが一向に見つからない。予め目をつけていたスポットも幾つか回ってみたが、全て不発。痕跡を見つけることさえできなかった。


 二人は登山道から外れた渓流沿いを、音を立てないよう歩いていた。陽が落ちるのも早くなり、まだ四時だというのに既に薄暗い。そろそろ下山しなければ。


「いませんねぇ……。先輩でも見つけられないなんて。もうヨウセイも冬ごもりに入っちゃったんですかねぇ?」と雪花。

「……かもな」


 この時期を逃せば、来年の春まで待たなければならない。なんとしてでも見つけておきたいが。


「あれ?」と後ろで雪花が声を上げる。

「どうした。なんか見つけでもしたかよ?」

「先輩、あれあれあれ、見てください」


 雪花が指さした先には樹木と茂みがある。その茂みの中に、プラスチックの容器が隠れるように置いてある。釧路は近づき、拾い上げる。円筒形の容器の先に、漏斗状になった口が差し込まれている。獲物をおびき寄せ、一度中へと落としたら出られないようにするトラップだ。仕掛けを見るにフェロモントラップだろうが、獲物は何もかかっていない。


 どこかでこの容器に見覚えがある――と釧路は思った。そう、先月この山ですれ違った少女が持っていたものと同じだ。


「……」


 ここは登山道を外れ、釧路のように山を熟知している人物しか来られない場所だ。そんな場所にトラップを仕掛けるとは、あの少女もなかなかやり手のようだ。


(しかし、これで一体何を捕獲しようとしてやがるんだ……?)


 通常、フェロモントラップは誘引した虫を殺すため、容器の底に水を張っていることが多い。しかしこれは底面に穴が開き、逆に溜まった雨水などが排出されるようになっている。それに容器の口はかなり大きい。大型の昆虫、あるいはネズミなど小型の哺乳類を誘引しているのだろうか。


 釧路が考え込んでいると、横に立つ雪花が声を掛けてきた。

「先輩……。あれってなんでしょうか……?」

「あ? どうした?」


 釧路は雪花が指さす方を見つめた。茂みの中になにかが倒れている。ヤマアラシのように背中からトゲを生やした黒い人形のようなものが。


「なんだありゃ?」


 釧路はトラップを置いてそちらに近付いた。それを見て、釧路はしばし言葉を失ってしまう。倒れていたのは体長5センチほどのヨウセイだった。トゲだと思ったのはヨウセイの背中に無数に突き刺さった矢だ。樹で作られたツマヨウジほどの大きさの矢が、身体中に刺さっている。遠目に見て身体が黒かったのは、ヨウセイがぐじゅぐじゅに腐敗していたから。活性酸素種が体内で生成され、急速に体表が分解されているのだ。腐った内臓が脇腹からはみ出していた。


「ううぇぇ、臭い」と雪花が鼻をつまむ。


 釧路は手袋をして、ヨウセイの身体を持ち上げた。へどろのような皮膚が剥がれ落ちる。眼球は既に腐りきっており、顔に二つの丸い穴ができていた。腐っており詳しい同定はできないが、恐らくゲツガコウヨウセイの幼体だ。


「これは……私たちと同じか?」


 死骸は、自分たちと同じように、この山でヨウセイを捕獲しようとしている人物がいることを示唆していた。いや、捕獲ではない。身体を貫通している幾つもの矢。殺意が高すぎる。これは、捕獲というよりも――。


「始めから殺そうとしてやがるな……」


 上流のほうから、ごうごうと寒風が吹きすさぶ。陽はどんどんと落ちていき、辺りは急速に闇に包まれていく。

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