3話 邂逅

 捕まえたのは成熟個体一匹と幼体二匹。エタノールで湿らせた脱脂綿を円筒の容器に詰め込み、ヨウセイを入れる。呼吸器、そして皮膚から吸収されたアルコールがすぐに回り、ヨウセイはぐったりとして動かなくなった。


 三匹をザックにしまった後、二人は再び渓流沿いを進んだ。二時間ほど捜索を続けたが、ヨウセイは見つけられない。暗くなる前に二人は下山することにした。一生に一度でも遭遇できればラッキーなのだから、三匹も捕まえられたのは大成果だ。


 登りとは違い、雪花が釧路の前を行く。嬉しいのか、彼女はぴょんぴょんと飛び跳ねるように歩く。釧路のほうをくるりと向いた。


「えへへ、いっぱい捕まりましたね先輩っ」

「ザックにヨウセイ入ってんだからスッ転ぶなよ。大金背負ってんだぞ?」

「えへへへ、だいじょぶすぎて太政大臣ですよぉ。私だってそれくらい――わっ」


 躓き、倒れかけた雪花だが、釧路は予期していたかのように彼女の手を掴んだ。


「フラグを立てんじゃねーよフラグを」

「えへへ……ごめんなさい」とはにかむ雪花。


 本当にそそっかしい奴だと、釧路は溜息を吐く。


「でもでも先輩、この山って本当に当たりですねぇ。まさかこんなにゲツガコウヨウセイが生息してるなんて」

「だな。はっ、あっちを捜索してる奴らはご苦労なこった」


 二か月ほど前、この街で妖精の道フェアリーロードという珍しい現象が観測された。ヨウセイたちが列をなし、集団で飛翔する行動だ。世界的にも珍しく、多くのメディアで取り上げられたため、目撃された都築とづき山では例年の何倍も登山客が訪れているらしい。皆、幸福の象徴であるヨウセイを一目見ようとしているのだ。しかしそれ以降、都築山でヨウセイが目撃された話はまるで聞かない。


 妖精の道フェアリーロードがなぜ起こるのか詳しくは分かっていない。一説にはヨウセイたちによる集団での移動――生息地の変更だと言われている。渡り鳥やヌーなどの周期的な移動ではなく、何十年かに一度の生物群集での大移動。数匹で行動するヨウセイたちがなぜ大集団を形成するのか、またどのような要因により行動が引き起こされるのかまでは不明だ。


 それに目を付けた釧路たちは、妖精の道フェアリーロードが目撃された都築山そのものではなく、少し離れた祭季まつりぎ山へとやって来たのだ。予想は的中。ゲツガコウヨウセイはこの山へと生息地を変えたらしい。


「先輩! 私、お金もいっぱい入るし、新しい車を買おうと思ってるんですよ」

「確かに振動しすぎてマッサージチェアと化してるからな。あのおんぼろ」

「あれ、中古屋で格安だったやつですもん。ぼろぼろすぎてボロメータです! それで、今度は黄色のビートルにしようかなーって思ってるんですよね。もう生産中止になりますし、私が最後の世代ってことで!」

「いいんじゃねーの」

「えへへ、やったぁ」


 雪花は嬉しそうに飛び跳ねている。ビートルは少し可愛すぎて自分の趣味ではないなと釧路は思ったが、雪花の車なのだから口出ししないことにした。


 陽は沈みかけ、既に薄暗くなってきている。陽が落ちるのも大分早くなったな、と釧路は思う。あと一時間もすれば真っ暗になってしまうだろう。


「ん?」


 と、そんな時間にもかかわらず登山道を登って来る人物が目に入る。黒い長髪をたなびかせているスレンダーな少女だ。歳は十代後半くらいだろうか。大きなザックを背負っており、帽子の上にはヘッドライトを付けている。


 彼女は釧路たちに小さくおじぎをした。すれ違うとき、彼女が手にしている物が目に入る。プラスチック容器の上に漏斗のようなものが差し込まれている。


「なぁ、お前」


 釧路は少女の背中に声を掛ける。

 少女が歩みを止め、振り向いた。


「……なんでしょう?」

「それ動物捕獲用のトラップだろ?」

「……!」


 少女の顔に驚きの色が見て取れた。


 雪花も「あ!」と声を上げる。

「わお、懐かしいですねぇ~。生態学の実習とかでもやりましたよね。ペットボトルトラップ作ってオサムシを捕獲するってやつ。単純な罠でも結構かかるんですよね」

「お前の持ってるそれ、フェロモントラップか。その入り口近くにフェロモン剤を仕込んで中に閉じ込めておくんだろ? 畑で交信攪乱や誘殺の目的で使うならわかるが、こんな山中で何を捕まえようってんだ?」


 少女は釧路と雪花の顔を順に見回す。


「……お二人とも、随分と詳しいのね。葛城くずき生?」

「うん。私、学部四年生」と雪花が自分の顔を指す。

「わたしゃ院生だ。農学系の専攻なんでね」と釧路。

「なるほど、道理で……」少女は納得がいったのか頷いた。「お察しの通り、フェロモントラップです。まだ試験段階で、改良を加える必要があるんですけど。トラップを回収しなければならないので、失礼します。夜道は避けたいですから」

「部活か? それとも自由研究?」


 釧路の問いかけに、少女はやや黙ってから答えた。


「そうですね。敢えて言うなら――、かしら」


 少女は微笑むと、山道を登っていった。


「かたき討ち、ねぇ」

「んんん、どういう意味ですかね?」雪花が首を傾げる。

「さぁな。害虫に家庭菜園でもやられたのかね? 暗くなる前にとっとと降りようぜ。クソうまビーフシチュー、とっとと食いに行くぞ」

「はい! すっごい楽しみです! いぇいいぇいいえー!」







 懐かしいな――と少女は思っていた。つい数か月までは自分も友人と一緒にフィールドワークをしたものだ。野山をかけ、河川を渡り、多くの動物に触れた。もっともその友人はもういないのだけれど。


 沢の淵に仕掛けておいた五つ目のフェロモントラップを確認する。これまでの仕掛け四つは全て外れだったが、今回は当たりだった。


「きぃ、きぃ、きぃ」


 容器の中には、成熟した一匹のゲツガコウヨウセイ。漏斗から容器の中へと滑り落ちたら最後、羽が邪魔して出られない仕組みになっている。ヨウセイは小さな手で容器の側面を叩き、か細い声で鳴いている。


 都築山に仕掛けたトラップには、ヨウセイは一匹としてかからない。こちらへと生息地を移したとみて間違いないだろう。


「……」


 この場でヨウセイを踏み潰したいという思いを、少女は必死にこらえる。目先の欲望に捕らわれてはいけない。家に持ち帰った後で、、より効率的にフェロモンの単離をしなければ。課題は山ほどある。


「逃げられるだなんて思わないことね、畜生ども」


 少女――安曇あずみ琴子ことこは冷ややかな笑みを浮かべた。

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