4話 会談
十月後半。釧路と雪花の二人は、男との四回目の取引のために東京までやって来ていた。初回は男の自宅で面会した釧路だが、それ以降は男と接点を作らないように取引をしていた。万一、男が逮捕されても自分にまで繋がらないようにだ。所属や名前まで含めて、木槌に教えているのは全て偽の情報だ。
釧路は駅前のコインロッカーにヨウセイのケースを入れておく。男が入れ替わりに金を置き、釧路が回収するという仕組みだ。駅前の電話ボックスから連絡を入れる。
「よう、あたしだ。いつもと同じ132番に入れといた。よろしく頼むぜ」
『そこでの取引は中止だ』と男の低い声。
「あ? なんで? ……まさかサツでも張ってんのか? おい、そんなん対応できねーぞ。こちとら善良な大学院生様だかんな」
違うよ、と男は言う。
『君に少し見てもらいたいものがあってね。僕の家に来てくれないか?』
「見てもらいたいって、ああ、あれか――」
釧路は電話ボックスから出ると、コインロッカーからケースを取り出した。路地裏に停めてあった雪花の車に乗り込む。未だに車は変えておらずおんぼろのままだ。雪花は近くの喫茶店で買ったカボチャフラペチーノを飲んでいた。
「雪花、あいつのマンションまで行け。お前はまた暇でもつぶしてろ」
「えええ? どうしてですかぁ」
「ご自慢の品を見せたいんだとよ。苦労したであろうお手製の標本をな」
「ええ、大丈夫ですかぁ? 危険じゃないかって思いますけど……」
「自慢するのが私くらいしかいねーんだ。顧客の自尊心くらい満たしてやらねーと」
釧路たちがヨウセイを取引している男の名は
木槌が他のヨウセイマニアとは違うことを、釧路はすぐに見抜いた。熱心に情報を収集してはメモし、ヨウセイの写真を見つめる木槌の姿はどこか執念を感じた。釧路は情報交換という名目で木槌に近付いた。何回か個人的に連絡を取り、職業などを把握した後で話を持ち掛けた。
「もし高額だけど、生きたヨウセイが手に入るっていったらどうする?」
釧路の話に、木槌が目を大きく見開いたのを覚えてる。
「私なら、それを調達できるぜ」
釧路たちと木槌の、秘密の取引が始まった。
雪花は前と同じ路地裏に車を停めた。釧路はコートを羽織り、帽子を目深に被ってマンションへと入る。男の階までエレベーターで行き、大理石の廊下を歩く。
(面倒だけどお得意様だから、多少のご機嫌はとっとかねーとな)
扉をノックすると、眼鏡を掛けた木槌が姿を現した。釧路は帽子のつばを上げて、「よう」と挨拶をする。男は無言のまま、部屋へ入るよう促した。
リビングに通された釧路は、机の上にケースを置く。中には今日の取引物である成熟したゲツガコウヨウセイの雄と雌が一匹ずつ納まっていた。
「まず初めにだけど、これは買い取ってくれるんだろうな?」
「勿論だ」木槌は札束の入った封筒を差し出す。「これからも継続して捕獲してほしい。ありすぎて困るということはないからね」
「そうかい、そりゃ安心だ。貯金が底をついたのかとでも心配したぜ」
これは嘘であり、釧路は事前に木槌の預金額を把握していた。木槌は他に金のかかる趣味はないのか、生活費を除いたほとんどが貯金につぎ込まれている。
「んで、これが完成品か?」
釧路は机の端にある骨格標本に目をやった。台座の上に全長10センチほどのヨウセイの骨格標本が組み立てられていた。ヨウセイは脊椎、頭骨、骨盤は硬骨だが、肋骨などは軟骨組織でできている。乾かすと変形することが多いと聞くが、眼前の標本は形が崩れていない。ポリエチレングリコールを使ったためだろうか。綺麗に除肉、漂白、組み立てされており、見事な出来前だった。
「うまいもんだな。わざわざ見せてくれてありがとよ」とお世辞交じりに言う。
「そっちは本命じゃないよ」
木槌の背後には棚があり、中国製の粗悪な剥製が飾ってある。その隣に風呂敷のかかったケースがあり、木槌はそれをばさりと取った。
露わになったそれを見て、釧路は息を呑む。
ガラスケースの中を、成熟したゲツガコウヨウセイが飛んでいた。羽を大きく広げ、目は爛々と輝き、今にも空に飛び立ちそうな躍動感。体表には傷一つなく、瑞々しさを保っている。まるで生きているようだ。
「……すっげ」
素直な感想が漏れ出る。
釧路はガラスケースに顔を近づける。
「いや、すげえ。本当にすげえよ……。私も一度、メジロで剥製を作ったことがあるけどかなり苦労したぜ。切開中に腹膜傷つけて糞が溢れまくって羽毛は汚れるわ、背中は突き破るわでよ。小鳥でさえそれなんだ。まして皮の薄くて脆いヨウセイでここまでの物が作れるとは――まじで驚いたぜ」
隣に並ぶオオフチグロヨウセイの剥製と比較する。そちらは手足が不自然に曲がり、表皮は傷ついて中の綿が漏れ出し、顔は蝋で塗り固められたようだ。木槌のものと比べると安っぽい人形にしか見えない。
「かなり苦労した。これを作るまでに五体ものヨウセイを無駄にしたからね」
「それでもすげえよ。美しい、って思っちまった」
「美しい、か」ふうっと、木槌は息を吐き出した。「僕も完成した作品を見れば、そう思うのだろうと思ってた。やはりヨウセイは美しいのだ、と。でも違った」
「あ?」
「僕にはこれが、美しいとはまるで思えないんだよ。とんだ期待外れだった」
木槌は顔を歪めると、自らの頭をがしゃがしゃと掻いた。彼は眼鏡を外すと顔を両手で覆い、悔しそうに呻く。
「こんなはなずじゃない、こんなはずじゃないんだ。ヨウセイとは、もっと美しくて……。あのとき僕が見たヨウセイたちは、もっともっと眩しくて……」
「志が高いんだな。向上心があるっていうのかね」
「足りないんだ。これだけじゃ。ヨウセイだけじゃあとても」
「……? おたく、何言ってんだ?」
木槌は顔を覆っていた手を離した。
彼は低い声で呟く。
「……僕は
「ああ、二か月前にあったな。あんた、あの場にいたのか?」
「いいや、それとは違う。今より二十年近く前のことだよ」
「は? 二十年前?」
木槌の言っていることに理解が追い付かず、釧路はぽかんとする。
「当時の僕は中学一年生だった。成績はそこそこよくてね。県内で一番偏差値の高い私立校に入学したんだ。一学期の中間で一位を取ったんだけれど、それがまずかった。クラスに理事長の孫がいてね。そいつはそこそこ頭がよくて二位だったけど、駄目な方向にプライドの高い奴だった。彼はつるんでいた仲間数人と一緒に僕を裏山に誘い出してね。頭を、腹を、背中を、ぼこぼこに殴ってきた」
「……はぁ。そりゃあ災難だったな」
いきなり何の話だ、と釧路は訝しむ。
「その後は目立たないように苦労した。授業ではわざと答えを間違え、期末でも手を抜いたせいか十位圏内にも入らなかった。それがまた不興を買ってね。俺を舐めているんだろう、なんて難癖をつけられた。いや、実際に僕は彼を舐めていたし、生きている価値のない種の人間だと思っていたから難癖ではないが――」
「……」
「夏休みに入る少し前に、また学校近くの山の麓に呼び出されてね。そいつの手下に囲まれて袋叩きにされた。暴力はエスカレートし、このまま殺されるんではないかと思ったよ。そのとき僕はヨウセイに出会った――
自分が苛められている話なのにもかかわらず、木槌は嬉しそうに笑う。目元は微睡んでいるかのようにとろんとしている。
「今でも、昨日のことのように思い出せる。闇夜の中に響くヨウセイたちの楽しそうな歌声を。空を舞うあの美しい姿を。馬鹿どもを駆逐してくれた高貴なる力を――」
「駆逐……?」
「理事長の孫とその手下。そいつらはその日以降、行方不明になっている。大規模な捜索にもかかわらず死体も見つかってない。なぜだと思う?」
「……さぁな。想像もつかねえ」
「ヨウセイさ。醜悪の顕現である彼らを、天からの使徒であるヨウセイが連れ去ってくれたのさ。――ああ、美しい光景だった」
男の目から、つぅーっと涙がこぼれた。彼は恥も外聞もなく涙を流し始め、鼻をずずっとすすった。
(……こいつ、やべーなぁ。薬にでも手を出してやがんのか?)
まともに話を聞いて損した、と釧路は思った。ヨウセイが人間を連れ去るだなんて話は聞いたことがないし、大きさを考えるに物理的にも不可能だ。自分が苛められた記憶を和らげようとしているのか。そんな幻想に頼るほど追い詰められていたのかもしれない。
男は手の甲でぐしょぬれの顔を拭った。
「あのとき……僕にはヨウセイたちがとても高貴で、眩く尊いものに見えた。もう一度あの感動を味わおうと、ヨウセイを手に入れようとした。でも、剥製やホルマリン漬けを見てもあのときと同じ感動は一度として得られていない。僕は、剥製が不出来だから感動しないのであって、優れた物を見れば感動が得られるんじゃないかと思った。そう思っていたけど、違った。君からヨウセイを受け取ったときも、剥製を完成させたときも、感動しなかったんだ……。心を動かされなかった」
「何が言いたい? 私の調達したヨウセイに問題があったと?」
釧路は苛つき、ポケットから煙草を取り出した。咥えてライターで火をつける。
男は首をゆっくりと横に振る。
「違うよ。僕はじっくりと考えた。そして一つの結論を導き出した。二十年前、一体僕はヨウセイの何に惹かれたんだろう、とね。なあ、美しさとは何だと思う?」
「はぁ? 何言ってんだお前?」
「美という概念の話だよ。僕らは何をもって美しいと感じるか?」
「あー、そういう哲学系?っていうのか? 私には無理だ。理系なんだよこちとら」釧路は煙をふぅーっと吐き出した。
「美の価値は、その対象単体だけで絶対的な評価ができるものではない。それを取り巻く環境や文脈によっていくらでも変動する……。同じ壺であっても博物館に陳列されたものと路地裏に放置されたものとでは、人間は前者に美を見出す。美など所詮、相対的評価でしか割り出せないんだ。はなはだ不本意ではあるのだが――僕のヨウセイに対する思いもその類と自覚せざるをえなかった」
「なーるほどね。なるほどなるほどー」
「あのとき僕は、ヨウセイだけではなく、その状況を含めてヨウセイを美しいと思ってしまった。僕に暴力を加えていたあの醜いカスどもがいたからこそ、ヨウセイの美しさが際立っていたんだ。ヨウセイを輝かせるのは、それとは反対の醜さだ」
「隣に汚いブツを飾りゃあいいと? 既にあのブサイクヨウセイがいるじゃねえか」
「ヨウセイとは対極の存在――醜さとは人間だ」
「……は?」
「僕はあの棚に、人間を飾る必要があるんだ」
「……待て」
タバコの灰が崩れ、床に落ちた。
木槌が顔を近づけてくる。
男の黒々とした瞳が釧路を見つめている。
「調達してもらいたいものがある。君にしか頼めない」
「な、何を――」
釧路は自分の声がかすかに上擦っていることに気づいた。
木槌は口角を上げる。にちゃぁ、っと唾液が糸を引く。
「分かっているだろう――人間だよ。人間で剥製を作り、ヨウセイの隣に並べる。それでようやく私のヨウセイは飛び立てる」
「……!」
釧路の額に玉のような汗が浮かぶ。乾いた笑いが部屋に響いた。
「は、ははははは。に、人間を用意だぁ? 冗談だろ? 私は人身売買組織じゃねえんだぞ? そんな人の受け渡しなんて、やるはずがねぇだろ」
「ヨウセイを捕まえるよりはよほど簡単なはずだ」木槌は不敵に微笑んだ。「なぜなら人間ほどそこかしこにいる哺乳類はいないのだからね」
どが、という鈍い音。釧路は拳を壁に叩き付けていた。
「ば、馬鹿言えっ、クソが! そういう問題じゃねぇ! 私は種の保存法と文化財保護法に関して違反してるだけだ(まあ電撃捕獲漁とか危ない橋は渡ってっけどな)!一線を超えさせるつもりか! ぜってぇやらねえぞ!」
「捕獲する人間だが、そうだな……子供はあまりよくないな。善悪について理解している十代以上の人間がふさわしい。死産した赤子をどこからか持ってくるなんて真似だけは止めてほしいね。成人した人間の立派な標本を作りたいんだ」
「話を聞け!」
「金なら払うよ。言い値で買おう」
木槌は血管の浮かびあがった手を、釧路の肩にぽんと置く。
「なぁ、頼むよ」
「――っ!」
その瞬間、過去の情景がフラッシュバックする。一瞬で、様々な情報が釧路の脳裏を流れていく。荷物を持ち実家に帰った母親。一回り以上年下の人間に頭を下げる父親。がんがんと打ち鳴らされる玄関扉。病院のベッドの上に横たわる痩せた父。ごめんな、という最後の言葉。――浮かび上がっては抑圧していた、釧路の心的外傷。
「うぅ、があああああああっ!」
釧路は大声で喚いた。肩に置かれた木槌の手にに容赦なく爪を立て、強引に払いのけた。木槌が呻いて、釧路から手を離す。手の甲には血がにじんでいた。彼は手元を抑えたまま、じっと釧路を見つめる。木槌は溜息を吐くと、肩口で手を広げた。
「……冗談だ」
「は?」ぽかんと、釧路は口を開ける。
「からかって悪かった、まさかここまで本気にされるとは思っていなかったんだ。ちょっとした戯れだよ。何が人間の調達だ。そんなこと要求するわけないだろう」
「……ちっ」
釧路は大きく舌打ちした。床に落ちた煙草の吸殻を拾い、机の灰皿に入れる。必要以上に怯えてしまった自分が恥ずかしくなり、その怒りを木槌にぶつける。
「クソつまんねーギャグこいてんじゃねーよ。あんた、センスねーわ」
「それは悪かった」
釧路はケースからヨウセイの入った容器を取り出し、机に置いた。入れ替わりに受け取った札束をポケットにねじ込む。身体には汗を掻いており、肌着が吸いついて気持ち悪い。さっさとこの部屋から出て行きたかった。酷く不快な気分だ。
「不思議なものだね」
部屋を出て玄関扉を開けようとすると、後ろから木槌の声。
振り向くと、木槌は自作したヨウセイの骨格標本を見つめていた。
「分子系統解析により、ヨウセイと人間は単孔類と同じ時期――約1億6千万年前に分岐したことが分かっている。こんなにも似通った姿形をしているにもかかわらず、ヨウセイと人間は遠くかけ離れた生物だ。モグラよりも、イルカよりもずっと」
「それが? ただの収斂進化だろーが」
進化的には異なる系統の生物が、似たような形質を獲得することを収斂進化という。鳥類とコウモリの翼などが代表例だ。なぜヨウセイと人間はかけ離れているのに姿形が似通っているのかという疑問も、それで説明がつく。
だが、木槌は首を横に振った。
「僕はそうは思わない。人間とは模倣であり、失敗作なんじゃないか?」
「は?」
「人は、ヨウセイの姿を模して造られた泥人形だ。だからこんなにも醜い」
「なんか悪い宗教でも入ってんのか?」
「さあ、そうかもね」ふ、と木槌は鼻で笑う。「これからも、僕とヨウセイの取引は続けてくれるのかな?」
「てめーがちゃんと金を払って、つまんねえ冗談を言わねーならな」
「そうかい。それではすぐにでもお願いしようか。剥製の作成にはまだまだ研鑽が必要でね。大量に頼むよ。もう少しすれば冬ごもりの時期になるだろう。ヨウセイの捕獲難易度もぐっと上がるんじゃないか」
「もう二度とここには来ねーけどな。今後はロッカーで取引だ」
「承知した。今回は悪かったね」
「けっ」
釧路は帽子を深くかぶり直し、無言のまま玄関扉から出て行った。
マンションから出て、路地裏に停まっていた雪花の車に乗り込む。
「先輩、遅かったですね……。って、わわわ! せ、先輩、顔が真っ青です! 真っ青過ぎてマッサワです! だ、大丈夫ですか?」
「大丈夫じゃねー。最悪の気分だ」
ドリンクホルダーに入っている、雪花の飲みかけのカフェオレを奪う。釧路はそれを一気に流し込んだ。甘ったるくて舌に合わない。
「病院行きましょう! えっと、ここだとどこが……」
「大丈夫だ。車、出せ」
「でもせんぱ……」
「出せ」
釧路の剣幕に雪花は固まり、言われるがままに車を出した。
ぼんやりと、釧路は車窓の風景を眺める。
先ほど、脳裏に浮かんだ光景。
今はもう亡き父親の姿。
「私は、あんたみたいにはならない。あんたみたいな間抜けにゃあ……」
釧路は小さな声で呟いた。
静かになった部屋で、木槌はゆっくりと眼鏡を上げる。
「――そう、冗談だ」
クローゼットを開けると、縦長のロッカーが置かれていた。電子ロックを解除する。木槌は、中に保管されている三丁の猟銃を見つめた。
今でも昨日のことのように思い出せる。空を舞う無数のヨウセイたち。引き裂かれる手足。泣き叫ぶ声。崩れていくヒトの形。あのとき木槌はそこに神を見た。
「調達だと? 人任せになどできるものか」
彼は猟銃に手を伸ばす。
ヨウセイたちをさらに輝かせるために。
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