2話 捕縛

 祭季まつりぎ山は関東平野の東にある標高千メートルほどの山だ。ロープウェイやケーブルカーなどもある初心向けの山で、老人をはじめとした登山客も多い。多くの動植物や昆虫が生息しており、全域が国定公園に、また頂上付近は特別保護地区に指定されていた。許可なくの動植物の採取は禁止されている。


 十月の頭。残っていたセミたちの喧噪もすっかり止み、紅葉が色づく季節。その日も日中から多くの老人たちが山を訪れていた。その整備された登山道を外れた山道の中、草木をかき分け二人の人物が歩いていた。


「ひい、ひい、ひい……」


 喘ぐように荒い息を吐き出しているのは、童顔で小柄な少女だ。大きなザックを背負い、額には玉のような汗が浮かんでいる。


「せ、先輩。もう、無理ですってばぁ! ちょっと、いったん休憩しましょ!」


 前を行く人物が振り返る。二十前後と思われる金髪の女だ。少女より一回り大きいザックを背負っており、キャスケット帽を被っている。彼女は小さく舌打ちをする。


「こんなんでヘバってんじゃねえよ、雪花せっか。どんだけ体力ねぇんだ」

「釧路先輩の体力がおかしいんですよぉ。もう無理、私は無理です! 無理過ぎてムリーリョ(1617-1782)になっちゃう! 梃子でもここから一歩も動けませーん!」


 童顔の少女はその場に座り込んだ。

 釧路と呼ばれた女は、腰に手を当てる。


「そっかそっか。梃子でも動かねーとはそりゃ残念だ。実は食べログに乗ってねえそれはうめえ洋食屋を見つけたんだが、こりゃあ教えらんねーな」

「うぇうぇうぇ……っ」

「ふむ、残念だが下山したあとは私一人で行くことにしよう。あそこのビーフシチュー、まじでたまんねーんだよな。それが食えねえとは人生の喪失だ」

「う、動けます! 雪花、まだまだ動けます! 行きましょう釧路先輩!」


 勢いよく立ち上がった少女の頭に、釧路はチョップをかました。


「初めかっらそうしろ、アホんだら」

「うぇええぇ……。だってぇ」


 二人は行軍を再開した。乱暴な言葉を吐く女の名は釧路くしろりょう、童顔の女は真鍋まなべ雪花せっかという。二人は山の麓にある葛城大学の学生だ。二人は動物生態学研究室に所属しており、釧路は博士前期課程一年、雪花は学部四年生で研究室の後輩だ。二人はとある目的のためこの山を訪れていた。


 しばらく進むと前方から、せせらぎの音が聞こえてきた。草木をかき分けると目の前には渓流が広がっている。苔むした岩の間を透明な水が流れていく。


「ふいぃ、涼しいぃ……」


 雪花は近くの岩盤に腰を下ろした。と、何かに気づいたのか、彼女は顔を明るくして水の中に手を突っ込んだ。彼女は茶色の生き物をつまんで釧路に見せる。


「釧路先輩、見てください。ムカシトンボのヤゴですよ、これぇ」

「ほぉ。そりゃいいもん見つけたな」

「はい。かなり大きいですね。もう終齢直前かも!」


 ムカシトンボはその名の通り、太古のトンボの特徴を色濃く残している。ヤゴは綺麗な渓流に生息している。ムカシトンボのヤゴは幼虫の期間が長く、成虫になるまで5年から7年かかる。ヤゴはキシキシと腹を鳴らして警戒音を立てていた。


「そいつも希少だけど、今日の目的とはちょっとちげーからな」

「ですよねぇ。大きくなってねぇ」


 雪花はヤゴを川の中に戻すと、「バイバイ」と手を振った。


「雪花、準備しとけ」

「はいっ」


 釧路はザックを地面に下ろした。ザックを開けると、四角い装置がぴったり収まっている。釧路のザックは改良が加えられており、背面、そして両側面の下方に穴が開けられている。彼女は両側面の穴から装置に繋がっている銀色のロッドを出すと、改めてザックを背負った。一方、雪花はバッグからたも網を取り出した。伸縮性のロッドを限界まで伸ばす。


 釧路は上流を眺めた。涼しい風が吹いており、髪を撫でる。二人は草むらへと戻ると、腰を低くして姿を隠し、渓流に沿って歩き出した。


「先輩、今日は捕まえられますかねぇ?」

「……」

「前回は一匹だけでしたけど、今回は二匹くらい捕まえたいですよね。そうすればたんまりお金も手に入ってもっと美味しい食べ物が……。って、こういうのって取らぬ狸、というか取らぬヨウセイの皮算用ですねぇ!」

「……」

「それにしても私たち、こんなひそひそ行動してなんかゲリラっぽいですよねぇ。チェゲバラっぽいですよなんかぁ。チェケラチェケラ!」

「雪花、黙れ」

「うぇえ? な、何でですかぁ。私の話、そんなイマイチでしたかぁ?」

「イマイチじゃなくてクソつまんねーんだよ」

「うぇぇ、ひ、ひど……」

「それは置いといて、今は別件だ。いる」

「つ、つまんなかったですかぁ? って、いる? え? ど、どこですか?」


 雪花は目を細めたが、何も見つけられなかったのか首を傾げた。


「まだ見えてないけど、いるんだよ」

「ええ? 心眼ですかぁ」

「分かるんだよ。同じとこに何百回も来てりゃぁ感覚でな」


 釧路は音を立てないように進んでいく。感覚、というよりは経験則か。幼い頃から野山を駆けまわってきた。ヨウセイに適した気温、湿度などには人一倍敏感だ。


 釧路は足を止めた。目線の先には小さな滝つぼがあった。水面は翡翠色に輝いている。距離にして5メートルほど。滝つぼ近くの苔むした岩に四つの影が見えた。苔と同色で分かりづらいが――薄緑の体色をしているゲツガコウヨウセイだ。四匹のうち二匹は体長10センチほどで成体、もう二匹は5センチほどの幼体だ。典型的なヨウセイの集団だ。日中だからか動きは鈍そうだ。


(わわ、本当にいますよぉ……)

(おい、雪花)


 釧路は目配せをした。雪花はこくりと頷くと、釧路のザック背面を開けた。中に納まっている装置、その背面にあるスイッチに手をやる。


 釧路はヨウセイから見つからないよう腰を低くし、ロッドを前に差し出した。先端を滝つぼの中へと深く突っ込む。


 電撃捕漁器エレクトロフィッシャー。デンキウナギが水中に放電することにより狩りを行うのは有名な話だが、仕組みはそれと同じだ。ロッドの先端から川に電気を流し、魚を気絶させたあとに捕獲する。ただし、水中に電流を流しての捕獲は県の定める漁業調整規則で禁止されている。外来種などの駆除をする場合には使用許可が下りることもあるが、それには県知事からの特別採捕許可など諸々の手続きが必要だった。当然、釧路と雪花の二人は許可を取っていない。そもそもヨウセイの捕獲は文化財保護法に違反している。二人が行っているのは密猟そのものだ。


 釧路は息を止め、じっとヨウセイを見つめる。

 成熟したヨウセイの一匹が岩から降り、足を水面につける。


「ゴー」


 雪花がスイッチを入れる。ブゥン、と釧路の背負った装置から低い稼働音がした。バッ、とっロッドの先端から鋭い音が鳴る。水際にいたヨウセイの動きが止まり、背中から水へと倒れた。異変を察知した周囲の三匹がいっせいに飛び立つ。


「ふぅーっ! 御用だ!」


 ゴム長靴を履いた雪花が水に飛び込んだ。彼女は手に持ったたも網を空飛ぶヨウセイ目がけて振り下ろす。一匹、成熟したヨウセイは素早く網をよけて渓流の奥へと飛んでいった。だが、もう二匹はすっぽりと網の中に納まっていたあ。雪花は水に浮いているヨウセイを掲げた。


「や、ややや、やりましたぁ、先輩! 取ったタヌキの皮算用!」

「っし、上出来ぃ」


 釧路は小さくガッツポーズした。

 雪花が満面の笑みを浮かべる。


「先輩先輩、これで今夜はその洋食屋でビーフシチューですねぇ!」

「自家製サングリアがクソうめーんだよそこ。期待しとけ」

「きゃっほう!」


 雪花は水の上で大きく飛び跳ねた。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る