2章 妖精狩猟儀礼

1話 売買

 三十平米ほどの広さの洋室。机を挟んで二人の人物が向かい合っていた。一人はこの部屋の主である男だ。見た目は三十前半ほど、黒ぶちの眼鏡を掛けている。緊張した表情を浮かべており、机の下で足を小刻みに揺らしていた。


 向かいに座っているのは金髪でショートカットの女だ。年齢は二十前後。黒いキャスケット帽を目深に被り、ノースリーブのブラウスを着ている。目は細く、口角をあげてにやりと笑っている様は、狐を想起させた。


「ほらよ。お前が待ち望んだものだぜ」


 彼女は足元にある銀色のスーツケースを持ち上げ、机に置いた。ケースを開くと中には円筒形の容器が収まっていた。容器の蓋を開けると、エタノールの匂いが漂う。逆さにして容器を叩くと脱脂綿が滑り落ちてきた。中を開くと、そこには人形のようなもの。体長は十センチほど、体色は薄緑色、そして背中には折りたたまれた四枚の透けた羽。腹部は静かに上下している。


「お待ちどーさん。生きたヨウセイ様の登場だ」


 ヨウセイ――十九世紀に発見された新種の哺乳類。物語の中にしか存在しないと思われていた幻想の生物。


 

 男は、ごくりと生唾を飲み込んだ。緊張した様子でヨウセイを受け取り、繁々と眺めた。頭部を触り、口を開け、裏返し、手足を伸ばし、股を開かせ、指を這わせる。


「ほほう」と男は感嘆の息を吐く。「素晴らしい……。うん、紛れもないゲツガコウヨウセイの雌だ。身体にも傷一つない。ここまで綺麗に生きたヨウセイを捕獲できるとは、まさか思ってもいなかったよ……。はは、夢みたいだ」

「お褒めに与り光栄だね。ま、ヨウセイ好きなアンタなら分かってるとは思うけど、見た目にゃ損傷はなくても中身は大分傷ついてるぜ。酸化バーストが起きて細胞とかはぼろぼろだ。放っておけば数日で死ぬだろうな」


 ヨウセイはストレスに弱く、一度人に捕らわれれば多くの活性酸素種が体内で生み出され、脂質や細胞の過酸化が引き起こされる。細胞は死に、肌は荒れ、腐り始め、最終的には死に至る。ヨウセイは不明な点が多い生物だ。治療法は確立されておらず、人の飼育下で生き延びさせることは不可能に近い。


 その忠告にも関わらず、男は満面の笑みを浮かべていた。


「いいや、問題ない。中身は重要じゃない。見た目さえよければ僕は満足だ」

「ま、確かにあんたはそうかもな」


 女は、男の後ろにあるガラスケースに目をやる。そこにはヨウセイが飾られていた。オオフチグロヨウセイ――体長は10センチほどの、肌が浅黒く筋肉質のヨウセイだ。肉食性で、集団で狩りをすると言われている。その隣の額に飾られているのは、ぺったんこになったヨウセイの皮だ。手足の先、そして顔に至るまで、全身の皮をはぎ取られ、なめされている。さらに横にはホルマリン漬けのヨウセイ。胎児のように丸まって液体の底に沈んでいた。


「すげえコレクションだなぁ、オイ」

「いや、全然だ」


 男は首を横に振る。謙遜などではなく純粋にそう思っているようだった。


「全然ねえ。一個でも保持してりゃあお縄な代物じゃねえか」


 ヨウセイは全種がワシントン条約に登録され、日本国内では天然記念物に指定されている。国の許可なくの譲渡、販売は違法である。例えそれが死体であったとしても。運よく死体を見つけられたとしても、しかるべき機関に通報せねばならない。


「どれも粗悪品でね」男は苦々しい顔を浮かべ、剥製を見つめた。「古物商を通して中国から輸入したものなんだが、造詣が酷すぎる。顔も指先も潰れてるし肌の状態も悪い。ヨウセイとは幻想だ。全ての生物の頂点に立つべき存在だ。それを……」


 男の額に青筋が浮かび上がった。腕に力が入っていく。手の中のヨウセイの胴体が締め上げられていく。


「ぎっ」


 ヨウセイが呻く。アルコールで眠らせていたが、覚醒したようだ。ヨウセイは小さな歯を食いしばり、首を横にばたばたと振り始めた。


「おいおいおい、あんた! ストップ!」

「ヨウセイとは崇高な生き物だ。それを……劣悪で醜愚な人形に貶めるなどいったい何を! ヨウセイには、ヨウセイにふさわしい姿がある! もっと、僕ならもっと、ヨウセイの価値を高めたそれはもう美しい姿で、美しい姿でとどめて――」


 ばぎ、という音。男の手によって、ヨウセイの華奢な胴体が握りつぶされた。机の上に真っ赤な血肉、白い肌、細長い小腸などが飛び散った。女の頬にも小さな血が一滴だけ飛んだ。


「うおっ、やりやがったな!」

「むっ……」


 男がはっとして手を開くと、潰れたヨウセイが机に落ちる。身体を縦に貫く脊椎と周りの血肉を残し、ヨウセイの胴体はジューサーにかけられた果実のように潰れていた。それでもなおヨウセイは両腕を机に叩き付けていたが、すぐに動かなくなった。


 二人はヨウセイの死体を挟んで無言で向き合う。


「おい、何やってんだよテメエ」


 女はうんざりした様子で言う。頬に飛んだ血を親指でぴっとふき取った。


「いや、問題ないよ」


 女とは対照的に、眼鏡の男は飄々としていた。ヨウセイの手を持ち拾い上げる。上半身から脊椎が伸び、その周りには小さなあばら骨、脊椎の下には下半身がぶらぶらと下がっている。


「ヨウセイの構造を理解してもないのにいきなり剥製を作れるとは思っていないからね。まずは骨格標本を造る予定だったんだ。これはそちらに回す」

「は、骨格標本ねぇ。ヨウセイの骨格は頭骨や脊椎とかの一部を除いて大部分が軟骨組織だ。サメとかと同じで骨格標本は難しいだろ。プラスティネーション加工だと乾かしたときに変形しまくるって聞いたぜ?」

「まだ思案中だけど、ポリエチレングリコールを用いようと思ってる。課題は多いが、軟骨組織の変形についてはそれで大分抑えられるよ」

「ふぅん。色々な方法があんだな」

「ただ当然一回で成功できるとは思っていない。それに、一匹だけで終えるつもりもない。君には、今後も定期的にヨウセイを供給してもらいたい」

「供給、って言い方が引っかかるな。何もわたしゃぁ、ヨウセイ好きさんのために危険な橋を渡って、無償で提供してる善人ってわけじゃぁないんだぜ?」

「ああ、分かっているよ」


 男は机の上に封筒を差し出した。女は目の前で中身を確認した。中に入っていたのは万札の束。女は紙幣を数え終えると、にやりと笑った。


「要求額より二割ほど多い気がするんだけどな?」

「ヨウセイの状態や大きさによって価値は変わる。ここまで状態の良い物を用意してもらったんだから上乗せは当然だよ」

「はっ、そりゃどうも。遠慮はしねータチでね。ありがたくもらっとくぜ」

「当然、僕も趣味でお金を渡しているわけではない」

「ああ、分かってら。仕事はする。期待してな」


 女は封筒を乱暴にポケットに突っ込むと、空になったスーツを持って立ち上がった。鼻歌を口ずさみ部屋から出て行く。


「今後、受け渡しはロッカーを使って」後ろから男が言った。

「あいよ」女はひらひらと手を振る。


 玄関から女が出て行ったことを確認すると、男は机に目をやった。横たわるヨウセイの死骸。その剥き出しになったあばら骨に舌を這わせ、舌で肉をはぎ取っていく。除肉は剥製作りの第一歩だ。これから理想の標本を作れると思うと気分が高揚し、男は恍惚とした笑みを浮かべていた。

 





 女は帽子のつばを上げ、自分が出てきたマンションを見つめた。都内の一等地にある高層マンション。某有名化学系企業で若くして高い地位にいる男が、まさかヨウセイ蒐集に夢中だとは。


「いい趣味してやがるぜ、ったくよぉ」


 女は路地裏を通り、マンションを離れた。路肩にあちこち擦り切れた軽自動車が一台停まっている。女は乱暴に扉を開けると、どさりと後部座席に腰かける。


「お疲れ様です、釧路くしろ先輩っ!」


 運転席から、まだ十代中盤にも見える童顔の少女が顔を出した。彼女はすぐに車を出発させた。エンジンの調子が悪いのか、車全体が変に振動する。


「で、で、で! どうでしたか首尾の方は?」

「お前なぁ、あたしを誰だと思ってんだ? 余裕だ余裕」


 女は煙草を一本抜きだし、口に咥えた。

 先ほど受け取った封筒を前へと投げる。

 封筒から覗く札束を見て、少女はぎょっと目を向いた。


「わ、わわわ。すごい! やりましたねぇコレ!」

「贅沢に行こうぜ。確かあそこ幸楽苑が潰れていきなりステーキになってたよな」

「300 g いっちゃっていいですかね……!」

「おう、食え食え食え。リブロースじゃなくてサーロインでも頼め」

「ひゃっほうだぜぇ!」少女は叫んで、アクセルを踏み込む。

「おう、それと今週末も捕獲するからな。質に応じてたんまり出してくれるそうだ。親子連れで三匹は捕まえたいとこだな。前回は逃がしちまったから」

「……でも先輩、いいんですかね?」少女が小声で言う。

「あ?」

「いや、なんていうか本当にこんなことしちゃって……。お金がゲットできるのはそれはもう嬉しすぎて嬉野温泉になっちゃうんですけど、でも罪悪感が……」

「何言ってんだお前? いいわけがねえだろ。文化財保護法に違反してるしな。絶滅寸前の希少動物を捕獲して売買なんてあっちゃあならねえ行為だよ。。何を学んできたんだっつー話だよ」

「そ、そうですよねぇ」

「それでも、止めねえけどな。たかがを一匹捕まえただけでリーマンの月収だぜ? こんな美味しい商売止められるかよ」


 金髪の女はくっくっくと笑った。


「絶滅させる勢いで狩りつくすぞ」

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