最終話 妖精虐殺遊戯
眼下に広がる街並みは、沈んでいく西日により橙色に照らされている。私はベッドの縁に腰かけ、ぼんやりと風景を眺めていた。扉の外には警官がつきっきりで立って私を監視している。真っ白で清潔な病院の個室はどこか息苦しい。
扉が開き二人の男が中に入ってきた。一人は四角い面をした壮年の刑事。その後ろにいるのは、ぴっちりとしたスーツを着込んだ若い刑事だ。よれよれのスーツを着た壮年の刑事はベッドの前の丸椅子に座ると、口角を上げて笑った。
「捜査一課の村山です。昨日も挨拶させていただいたのですが、混乱していたようですし改めて。さて安曇さん、大事でなかったようで何よりです。明日にはもう退院なさるとか?」
「……外傷はありませんから。腰に火傷を負った程度です」
一昨日、庭先で気を失った私は救急車で病院へと搬送された。その後、酷く取り乱したこともあって強制的に入院という運びとなった。もっとも私としては裏で警察の手が回されたのではと踏んでいる。私を隔離して話を聞きだしやすいように――。
「ま、単刀直入に行きましょうか。安曇さん、一昨日あの家で何があったのか改めて話してもらえませんかね? それはもう、包み隠さずに」
「……話すべきことは、全て話しました。弓は――入月弓は殺人犯です。彼女は私を監禁しました。そして、自分が家族3人を殺したことも白状しました」
「ほう」
「その後、彼女はヨウセイに連れ去られたんです。彼女は無数のヨウセイにたかられて、バラバラにされて殺されました。そして、山の方へと持ち去られた。これが私の知ってる全てです。私は昨日もそう言いましたよね? それなのに――」
私は新聞を取り出した。一面を刑事たちに向け、ばんばんと叩く。掲載されているのは入月一家の殺害に関する知らせだ。
「私の発言がどのメディアでも取り上げられていないのはどういうことなんです? 長女の行方は未だにわかってない? 私の発言は重要視されてないということなんですか? 今すぐ裏山を捜索してください。弓の遺体、特に頭骨や大腿骨などはそのまま残ってるはずです。早く弓の遺体を埋葬してあげたいんです、私はっ!」
「……っち。どこからそんなもんを」村山は顔を顰め、わざとらしくため息を吐いた。「なあ嬢ちゃん、いい加減にしてくれよ。そんな嘘で騙せると思ってるんか? こちとら捜査のプロだ。あんたが嘘を吐いてることなんざ簡単にわかる」
「私は、嘘なんて――」
「おい、
「はい」
後ろに立つ眼鏡の刑事が答えた。彼は手元のメモ帳を捲り始めた。
「確かに一昨日、付近では
「……それについては私も認識してます」
「それならば話は早いですね。ゲツガコウヨウセイはリンモクヨウセイ科の一種――この科は全て草食性だとのことです。つまりは、野草などを食べるんですよ。例え何千と集まっても、人を襲うとは考えられないとのことです」
「でも、私は実際に――」
「なあ、もう無理すんな」村山が言う。
「……」
「あんたら、随分と仲のいい友達だったそうじゃないか。庇ってんだろ、あの娘を。時間稼ぎに偶然見たヨウセイを利用してるってとこか。捜査を引き延ばして、あの娘をなるべく遠いところへ逃がそうと――あるいはどこかに匿ってるのか? 包丁からは娘っ子の指紋、動物虐待の証拠もわんさか見つかってる。近いうちにあの娘は全国指名手配になるぜ。その前に投降を促すのが友達ってもんじゃないかい? なあ?」
刑事の視線が私を射抜く。普段だったら怯えてしまうような鋭い眼光だけれど、今はまるで怖くなかった。私は逆に彼を睨みつける。
「入月弓は、殺人者よ」
「……」刑事が顔を顰めた。
「でもあの子は逃げるような子じゃない。最後まで自分の罪を償おうとしていた。責任能力が失われていたような状況でも、それに向き合おうとしてた。私なんかとはあ違ってね。彼女はヨウセイに連れ去られた――それしか言うことはありません」
二人の刑事は顔を見合わせた。壮年の刑事がけだるそうに立ち上がる。
「ヨウセイか。最近の女子高生のごまかし方はわかんねぇな。また来るぜ」
「もう言うことはないわ」
……一ヶ月経っても、入月弓の行方は一向に分からなかった。裏山は大規模な捜索がなされたけれど遺体は未発見。包丁やスタンガンから弓の指紋が採取されたことなど、様々な物証と状況証拠から弓はほぼ犯人と断定されたようだ。事件の重大性なども加味され、重要参考人として全国に手配されるという事態になった。弓は家族を殺して逃亡している殺人犯となった。
私が退院してからも、警察は何度も事情聴取を行った。また弓の唯一の友達という触れ込みのもと、家にはマスコミが多くやって来て、私は外出できなくなった。
沈静化して出歩けるようになったのは事件から二か月後――セミの鳴き声がすっかり止んだ頃。弓の家には警戒テープが貼られ、誰も立ち入りできないようになっている。たった二か月家が空いただけなのに、まるで廃墟かのようにボロボロだ。
その日、私は一週間ぶりに裏山へと登った。裏山は木々が色鮮やかに染まり、紅葉狩りには絶好の場所だった。頂上までは緩やかな登山道が続き、この時期は日中から老人たちが登山している。しかし、私の目的地は頂上ではない。幼い頃から、この山は私と弓の庭だった。脇道を含めて何もかも知っている。目的地は山の麓にある平野部だった。岩などがあり邪魔しているため、脇道からしか行けない場所にある。中学生の頃に弓と見つけた秘密のスポットだ。
平野に丈1メートルほど、ロート型の真っ白な花弁が咲き誇る植物が生い茂っていた。知る人にとっては少しぞっとする光景かもしれない。ここはチョウセンアサガオの群生地だ。チョウセンアサガオは強力なアルカロイドを含有する植物。アルカロイドは窒素原子を含む化合物群の総称で、植物の防御物質として知られている。チョウセンアサガオのアルカロイドは、摂取すれば強い幻覚症状などを引き起こす。
私は一週間もこの山に登り、至る所に罠を仕掛けていた。今日は仕掛けた罠の効果を確認しにきたのだ。二十か所以上仕掛けたが、確認したところかかっていたものは一つとしてない。ここは最後の場所だが――。
群生の端っこ、日陰の場所。
私は屈んで、そこに仕掛けたトラップを確認する。
結果は――ビンゴだった。
「きぃ、きぃ、きぃぃぃぃぃぃ……」
体長5センチほど、まだ幼体のゲツガコウヨウセイ。私が置いたケースの中にヨウセイが蹲り、か細そうな声で鳴いていた。
フェロモントラップ――フェロモンを用いて特定の害虫を誘引して殺す罠だ。ろ紙にフェロモンを染みこませてケースの入り口に置く。ケースの口が狭まって中に入り込んだヨウセイは構造上外へと出ることができない仕組みになっている。フェロモンは弓が霧吹きに入れていた物を再利用した。生物の飼育関連の道具だと思われたらしく、警察の捜索でも回収されなかったようだ。
「この場所で捕まったということは仮説に信憑性が増したわね」
ケースに入ったヨウセイを眺めながら、私は思い出す。二か月前、部室で夏木がこんな話をしていた。
――論文じゃ外部由来の成分じゃないかって推測してましたね。シバヤマヨウセイが植物を食って、体内に化学物質を蓄積させているんじゃないかって話です。フグ毒みたいな感じっすね。
あのとき彼女は、ヨウセイがフグのように外部由来の成分を蓄積しているのではないかと推測していた。その推測は恐らく当たっている。
ゲツガコウヨウセイは草食性であり恐らく――チョウセンアサガオを摂食している。そのアルカロイドを身体に蓄積し、防御物質に用いているのだ。昆虫のヒトリガ科やマダラチョウ科などは、植物から摂取した有毒成分を自らの防御物質、また性フェロモンの原料にすることで知られている。恐らくヨウセイもその類だ。
だからこそ弓は狂った。ヨウセイを捕えた彼女は、ヨウセイが有していた大量の有毒成分を摂取してしまった。結果として彼女は幻覚を見て、理性を失い、呂律が回らなくなり、ヨウセイを殺した。殺したことによりさらに成分が噴き出し、狂っていくという負の悪循環。弓が狂った原因はヨウセイの有する幻覚成分にあった。
「幸福の象徴、ね……」
草食性だから人を襲わない、とあの刑事は言っていた。そこには何の関連性もないだろう、と私は思う。弓がヨウセイたちを虐待していたという記事が巷には溢れている――人が動物を虐待することは当然と考え、ヨウセイが人を殺すことには疑問を挟むのか? 人もヨウセイも何も違いはないだろうに。
なぜ草食性のヨウセイたちが弓を集団で襲い、殺したのか。
答えは簡単だ。
あれは遊戯だった。
妖精たちによる虐殺という名の遊戯。
ヨウセイたちは捕食でもなんでもなく遊びで弓を殺した。
あるいは――。
「復讐のつもりだったの?」
私は弱り切ったヨウセイを掴むと、その小さな頭を口の中に入れた。奥歯でヨウセイの頭を挟み込む。ヨウセイがじたばたと暴れはじめた。顎に徐々に力を入れていくと、ヨウセイの頭が軋む音が響いてくる。
「き、きぃ。い、い、きぃいいいいいいいいいいいいいいい――」
ばぎっ、という音がして頭が砕け散る。
ばたついていた細い手足が動かなくなる。
生暖かく臭みのある脳みそが舌の上に広がっていく。
「……不味いわね」
ぺえっ、とヨウセイを吐き出した。頭骨が砕けて灰色の脳みそが零れ、目玉が飛び出したヨウセイの死骸が地面に転がる。
「いつだって……」
いつだってお前らは私に不幸を運んでくる。幸福の象徴? バカ言わないで欲しい。お前らは不幸そのものだ。幻想的な姿形をしているだけの幻覚成分を含んだ畜生のくせに。
ヨウセイを野放しにしておけばまた誰かが不幸になる。
だったらどうするか――答えは簡単だ。
私はヨウセイの死骸を踏みつけた。幼体のヨウセイは柔らかく簡単にぺしゃんこになった。ぐりぐりと踏みつけて身体をすり潰す。
お前らが私に不幸をもたらす前に――。
「私が、絶滅させてあげる」
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