9話 終末のトランペッター
弓は信じられないといった風に茫然としている。
「こ、琴子……。何を言ってるの」
「死体を埋めようって言ったの」
「だ、駄目だよ、そんなこと……」
「そうね。確かにクリアしなくちゃならない多くの問題があるわ。まず、あなたが三日間も学校を休んでたのが辛いわね。その間どうしてたかが焦点になる。監禁されていて連絡が取れなかったということにしておくのがベスト――」
「そうじゃなくてっ!」弓が叫んだ。「そんなことしたら……まったく関係ない琴子が、私の共犯者になるってことじゃん! そんなの、駄目だよ……っ!」
「……関係なくなんて、ない」
弓の涙を、私は指で拭う。私は弓の出したサインを放置していた。一番気づかなければならないはずの私が、最も大事なことを見逃していたんだ。
「……っ。か、関係ない!」弓はひときわ大きな声で叫んだ。「違う、違うのっ。琴子は悪くない。全部、悪いのは私だけなの。私が独走して、勝手にこじらせた……。そんなこと私が一番わかってる! 私が壊れた人間だから、壊れてるから……っ」
「……そう。わかった。じゃあ、弓が悪いってことでいい」
「そう、そうだよ。全部私なの。だから――」
「それでも、私に手伝わせて」
弓がはっとした表情で私を見つめた。彼女のまなじりに再び涙が浮かび、ぽろぽろと溢れていく。
「な、なんで……。どうして……っ」
「私がそうしたいからよ」
「……バカだよ、琴子は。バカ、本当に、バカっ」
「なぁに? 今ごろ気づいたの?」
私は笑って、弓の震える身体を抱きしめた。こんなことでは罪滅ぼしにならない。私なんかにできることがあるか分からないけれど、弓のためなら――。
「……その気持ちだけで十分だよ、琴子」
「……え?」
弓は私から離れると、寂しそうに笑った。
「私……自首するよ」
「……」
自首――何も言えず私は黙ってしまった。
「……あなたは三人も殺してる。未成年だからって極刑も十分に考えられるわ」
「だからこそ、だよ。あのね、琴子。こんなこと言っても信じてもらえないかもしれないけど、私……」弓は俯き、身体を震わせながら言う。「本当は三人とも殺したくなんてなかった。殺すつもりなんてなかった……。琴子のことを悪く言われたのには傷ついたし、怒ったけど、それでも全然殺すつもりなんてなかったの。喧嘩することもあったけど私、お父さんもお母さんもお婆ちゃんも……好きだったから。だから私、自首する……」
「……そう。そうよね」
驚きはなかった。私は弓が頷けば、本気で死体を埋めるつもりだったけれど――それでも多分、弓なら自首するだろうという予感があった。
「こ、琴子……さ。わ、わたしが、捕まっても……もしも……」
弓は風の音にかき消されそうなほど小さな声で言った。だが彼女は言葉を最後まで紡がずに途中でやめると、寂しそうに笑う。
「ううん、ごめん。何でもない、何でもないの。私、また勝手なこと――」
「大丈夫。友達よ」
「――っ」
私は弓の小さな身体を抱きしめた。
「ずっとずっと、友達だから。だから、大丈夫」
「ご、ごめん。私、わたし……」
「ううん、こっちの台詞。ごめん、弓、ごめんね……」
私と弓はほんの少しの時間、二人で抱いて泣き合った。
弓の小さな背中をゆっくりと撫でる。
そのとき、
「き、ひっ。ひひひひっ」
そんな笑い声が聞こえてこた。
胸ポケットに目をやるとヨウセイがぶるぶると震えていた。
ヨウセイは胸ポケットから上半身を出し上を向くと、口を大きく開けた。
「き、ひ……あははははは! あはははははははははははははははははっ! あははははっはははっははははははっはははははっはははっはははっははははっはは!」
ヨウセイは甲高い声で笑い出した。まるで、人間のような笑い声だった。ヨウセイはガクガクと震えると、次の瞬間、口から噴水みたいに大量の血液を噴き出した。血はアーチを描き、床へと飛び散っていく。血を吐き終えると、ヨウセイの首は力が抜けたようにしな垂れた。それを最後に二度と動かなかった。
「……」
私はヨウセイに触れてみる。真ん丸の目を見開き、口から血を垂らしている。完全にこと切れていた。今のは最後の力を振りしぼったのだろうか。
「……弓。最後にこの子のお墓を作って埋めてあげましょう。……弓?」
弓を見ると、彼女は両手で頭を抱えていた。辛そうに呻き声を上げている。
「あ、ああ、あ……うううううぅ……。あ、頭、頭が……」
「ど、どうしたの? どこか具合が悪いの?」
「あ、あたまが、ぼ、ぼんやりして。う、うぅ、ひ、ひひひっ、ううううぅ……」
弓の焦点が合わなくなり、瞳がぐるぐると回り始めた。口元は緩み、唾液がぽたぽたと垂れている。土蔵でヨウセイを叩き付けたときと同じ症状だ。
「弓! 弓! 大丈夫?」
「う、うううぅ。琴子、琴子、ことこぉ……。わた、ひ、わらひは……」
呂律すら回らなくなっている。安静にさせておいた方がよさそうだ。私は弓の肩を抱いて支える。ひとまずリビングに寝かせ、警察と救急車を呼ばなければ。
「弓、大丈夫。大丈夫だからね」
弓のこの症状は何なのだろう。今まで十年間付き合ってきたが、こんな素振りはなかった。両親を自らの手で殺めてしまったことに精神的なショックを受けたのかもしれない――いや、違う。弓はさっきこう言っていたではないか。
――全部全部全部、殺すつもりなんてなかった……。なかったのに、殺しちゃった。おかしいの。頭の中がじんわりとして、温かくなって、変な気分になっちゃっう。それで楽しくなっちゃって……。
弓は殺したショックによりおかしくなったのではなく、おかしくなったから殺したのではないか? だとすれば弓がこうなった別の原因があるはずだけれど――。
私はリビングのソファに弓を横たえた。彼女の視線は定まっておらず、痙攣にも似た動きを繰り返している。口元からは呻きとも笑いともとれる声が漏れていた。
私がスマホを取り出し、救急車に電話をかけようとしたところで――。
くすくすくすくすくす。
ばっと、後ろを振り向く。
私の背後には庭に面した網戸があり、白いレースのカーテンがかかっていた。レースが風に揺られる。その風に何か笑い声のようなものが混じっている気がしたけれど聞き間違いだろうか。再びスマホを手に取ったところで。
くすくすくすくすくすくすくすくすくす、
「……!」
今度ははっきりと笑い声が聞こえた。
網戸の外、庭の方からだ。
「……夏木? そこにいるの?」
弓に呼ばれた夏木がやって来たのかと思い、声をかける。
しかし、返事はない。
ただ笑い声だけが聞こえる。
「……」
私は網戸に近付くと、レースのカーテンを勢いよく開ける。
そこにあったのは――目だった。
ヨウセイが網戸に張り付き、真ん丸な瞳でこちらを見つめていた。その数、百、いや数百はくだらない。網戸に張り付いている者、地面に立っている者、空を飛んでいる者――網戸の外は無数のヨウセイで埋め尽くされていた。
薄緑色の体表に、背中から生えた四枚の羽、十五センチほど比較的大きい身体。リンモクヨウセイ科の一種――ゲツガコウヨウセイ。
小さな口をすぼめてくすくす笑っていたヨウセイたちは私の様子を見ると、
「きゃは、きゃははははははっはははははははっははははははははははははっはははははははっははははははははっはははははははははははっははははははははは!」
口を大きく開け、一斉に甲高い声で笑い出した。
がた、と網戸が揺れる。ヨウセイが外からこじ開けようとしていた。
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