4話 虐待
「ひぃ、ひぃ、ひぃひぃひぃひぃひぃひぃ」
ヨウセイの小さな口から、甲高い呼吸音のようなものが漏れ出ている。ヨウセイは必死にもがいているが、動くことはかなわない。空を飛ぶための羽はもがれ、地を歩くための足はへし折られているのだから。
「ゆ、弓……それ……」
「綺麗でしょ。もっと近くで見る?」
弓は鳥かごを掲げ、私の前に差し出した。
鳥かごの中のヨウセイと目が合う。
「ひぃ。ひぃ。ふっ、ふっ、ひぃーーーーーーーっ」
何かを訴えようとしているのか、甲高い声でヨウセイが叫んだ。
「成熟したゲツガコウヨウセイだよ。確認したけど女性器が付いてた。出産経験はないみたい。この個体は二日前に捕まえたの」
「……羽と足、怪我してるわ。治療しなきゃ」
「違うよ琴子。私が引き千切ったの!」
引き千切った――その言葉が信じられず絶句してしまう。
「どうしてそんなこと……」
「琴子ったら、なに変なこと言ってるの」弓は無邪気に笑う。「ヨウセイってこんな小さな頭だけれど賢いんだから。こんな鳥かごすぐに脱出して逃げちゃうでしょ? だからね、羽をもぎとって足をねじったの。ずっとここにいるように」
弓は鳥かごを開けてヨウセイを取り出した。ヨウセイは必死に彼女の手から逃れようとするも、弓の手でがっしりと掴まれている。
「……自分のしてることが分かってるの、弓」
「ん?」
「日本に生息するヨウセイは、全て天然記念物に指定されてるわ。動物愛護法、文化財保護法の両方に反する行為よ。弓のやってることはれっきとした犯罪よ」
「犯罪……。琴子は、私のやってることが犯罪だと思ってるの?」
「思ってるじゃなくてそうなのよ。羽を千切るのも足を潰すのも虐た――」
「幸せを求める私の行為が犯罪だっていうんだ、琴子は?」
私の発言を途中で遮り、弓は強い語調で言った。
「幸せを、求めるって……」
「だってそうでしょう。ヨウセイを見ただけで幸せが訪れるんだから。だったらヨウセイを手に入れればとても多くの、抱えきれないほどの幸せを手に入れるんだよ。その行為が犯罪だって琴子は言ってるの? だとしたら私は……悲しいよ」
「ちょっと待って。弓、何を言ってるの……?」
「それはさぁ! こっちの台詞だよ!」
弓は大声で怒鳴り、強い力で床を踏み鳴らした。
「……ねぇ、弓。少し落ち着いて。落ち着いて私の話を聞いて。確かにヨウセイを見た人には幸せが訪れるっていうけど、それは迷信でしょう? 夜に口笛を吹くと蛇が出ると同程度の。そんなことのためにヨウセイを捕まえるべきじゃないわ」
「私を否定するの、琴子……? あなたが私を否定するの?」
弓のまなじりに涙が溜まっていく。ヨウセイを握る弓の手に力が入った。ヨウセイはぺちぺちと弓の手を叩き逃れようとしているが、身長差が十倍以上もあるのに抜け出せるはずがない。
「やっぱりさ、琴子はおかしくなったんだよ」
「私が、おかしい……?」
何を言っているのだろう。おかしいのは弓だ。先ほどから会話が通じない。弓はとても思慮深く、いつも冷静に私の話を聞いてくれた。だけれど今の弓はまるで支離滅裂な思考――弓の形をした別人のようだ。
「琴子、私があなたを戻してあげるから」
「ねえ弓、話を聞いて……」
「だからもっと集めなくちゃ」
弓はヨウセイを持った腕を高く掲げ、そして一気に振りぬいた。
躊躇もなしに全力で。
弓の手を離れたヨウセイは、木目の床へと叩きつけられた。
ぱぎっ、という甲高い悲鳴。
ぱっ、と鮮血が舞う。
叩き付けられたヨウセイは大きくワンバウンドして、私の横へと転がってきた。
「あ、ああ……」
ヨウセイは血まみれで、仰向けになっている。
床に真っ赤な血だまりが広がっていく。
しゃがんで、ヨウセイに触れてみる。
暖かい。
鼓動がある。
「ぷぎっ、ぷぎっ」
ヨウセイが小さな口から血を拭きだした。
痙攣したかのようにびくんびくんと大きく二回跳ねる。
ヨウセイが私へと手を伸ばす。
細く、小さな手だった。
私がり返そうとする前に、ヨウセイの身体から力が抜け、腕が地面に落ちる。
触れても鼓動はない。
ヨウセイは二度と動かなくなった。
「……」
「あれ、死んじゃった?」弓がへらへらと笑う。
私はヨウセイが苦手だ。幼い頃に見た剥製と、母の死が、深く結びついている。でも、だからといって、こんなむやみに殺す行為が――赦されるはずがない。
「弓っ!」
私は顔を上げ、眼前の弓を睨みつける。
弓と私は子供のころから十年来の付き合いで、親友だ。
でもだからって、いや、親友だからこそ――この行為は絶対に赦せない。
私は彼女の頬を思い切りはたいた。
ぱぁん、という鋭い音。
喧嘩したことも何回かあった。
だけどこうして手を出したのは初めてだった。
彼女の頬を叩いた手のひらは熱く、痛かった、
「止めて、もう止めてよ弓。おかしい、おかしいよあなた。ねえ、何があったの。何かあったのなら、私に相談してよ。お願いだからもう止めてよ、弓――」
弓は叩かれた頬を抑え、ゆっくりと私に焦点を合わせる。
「……叩かれた。琴子が私を、叩いた。そんなのって変だよ」
「ねえ、弓!」
「そんなのって、変だよぉ!!!」弓が絶叫する。「やっぱり、琴子は変なんだよ。変、変変変変変、変だよぉ!!! でもだいじょうぶ、大丈夫だからぁ!」
弓が足を高く上げ、ヨウセイの死骸に向かって勢いよく降ろす。
ぱしゃっ、という音とともに鮮血が飛び散った。
弓が足を上げる。赤い液体が、ねとぉっと尾を引く。
床には、ぺしゃんこになったヨウセイの死骸。パスタのような細長い小腸が腹から飛び出ていた。頭頂部からは灰褐色の脳みそが溢れている。幻想的な生物の面影はなく、そこに広がっているのはただの肉塊だった。
「あはははははははははははは」
弓が高らかに笑う。
弓の右目は、上を向いていた。
弓の左目は、下を向いていた。
弓はピンクの舌を出し、唾液をまき散らしてろれつの周らない言葉で喋る。
「ら、らいじょうぶだよ琴子。あのねあのね。ヨウセイはすぐに補充できるから。そいつもう11体目なんだよ。ごめんね、琴子が悲しむなんて。すぐに補充するからね。うふ、ぷふふふふふふふふふふうふふふふふふふうふふふっふうふふふっ」
ぐりんぐりんと目を回しながら弓は喋る。
とても楽しそうに、喋る。
「二人で幸せになって、私があなたを元に戻してあげるからぁ」
「……!」
ここに至って私は確信する。
入月弓は、狂っていた。
「うふ、ふふふふふふふふふ」
弓はぎしぎしと身体を揺らして笑う。
今の弓はまるで話が通じない。私一人で説得は無理だ。他の人と一緒に彼女を落ち着かせなければ。まずは母屋に行っておばあさんに連絡するべきだろうか?
それにはここを抜け出さなければ始まらない。
私は弓に感づかれないように、息を静かに吸い込んだ。
「うふ、あはははははははははははははははははは!」
弓が上を向き高笑いを始めた瞬間――扉を目がけて一気に走り出す。
彼女の横をすり抜け、外へ、外へ、外へ――!
「琴子ぉ!」
後ろで弓の叫び声。
無視して扉に手をかける。
開けはなすと、セミの喧騒と眩しい日差し。
このままここから――。
カチッ、と。
背後から腰のあたりに、何かが突き当てられる。
何だろうと考える間もなく――激痛が走った。
あまりにも鋭く、身体の芯に突き刺さるような痛み。
悲鳴を上げようとしたが、それすらも出ない。
私は受け身を取る間もなく、玄関に突っ伏した。
腰のあたりが焼けるようだ。
「あっ、かっ……」
呼吸ができない。
弓が、倒れた私を見下ろしている。その手に握られているのは、黒く、太い蛍光灯のような装置。先端からバチッと空気を震わすような音。防犯用のスタンガンだ。
「ゆ……弓っ……」
「大丈夫、琴子。安心して。私が琴子を絶対に幸せにしてあげるから――」
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