10
「あれ? もういない!」
すぐに追いかけたのに、リュシーの姿を一瞬で見失ってしまった。
「大丈夫だ。おれはあいつの気配が分かる。ついて来てくれ!」
「うん!」
駆けて行くリックの後ろをついて行く。
森の中は走りにくいけれど、ぶつかりそうな木の枝はリックが折ってくれている。
さすが騎士様だ。
「あんなポヨンポヨンのくせに、どうしてこんなに早いんだ!」
怒っているようだけれど、声からとてもリュシーを心配していることが感じ取れる。
私もリュシーが心配だ。
一人でつらい気持ちを抱え込んでいないといいけれど……。
「リュシー、やっぱり味覚がないのかな」
「あの反応だと、そうだろうな。……ったく、元々人に相談するタイプではないけどさ。それは分かっているけれど……どうして言ってくれなかったんだ」
つらく長い時間を共にしてきた仲間だから、相談されなかったことは寂しいし、気づいてあげられなかったことは悔しいよね……。
「おれはさ、魔物としての味覚があったんだ。だから、生肉でもそれなりに美味かったよ。こんな森の中では大した楽しみもなかったからさ、食事はちょっとした楽しみだったっていうか……魔物になっても、自我を保つために必要な刺激だったと思うんだ。でも、あいつにそれがなかったと思うとさ……やるせないよ」
リックの心から吐き出しているような言葉に、私も胸が詰まる。
「……味覚だけなのかな」
「え?」
「スライムだと、触覚とか痛覚とか嗅覚とか、どうなんだろうと思って……」
「まさか……」
ごはんの用意をしているときも、匂いがしなかったのかな。
みんなで食べていたトマトの味も分からなかったのかな……。
悪い想像が当たっていないで欲しい。
そう願わずにはいられない。
「……なにも感じずにいたのなら、おれなら心が壊れている」
私も同じだ。
「何も感じなくなったら」と考えてみたら、とても怖くなった。
そんな状態で長い時を過ごすなんて……生きている感覚がするのだろうか。
「コハネに聞かせるような話じゃないと思うけれど……おれたち、最初は五人じゃなかったんだ。もっと人数がいたんだ」
「え?」
たしかに、五人で『騎士団』というのは少ないな、とは思っていたけれど……。
じゃあ、他の人たちはどこに?
心臓が嫌な予感でドクドクと鳴り始める。
「魔物になったおれたちは不老になった」
「不老? 老化しないってこと?」
「そうだ」
「リックは今も?」
「いや、人間に戻って、呪いが解けたら不老ではなくなったと思う。呪われて魔物の姿になっている間は、不死ではないけれど老いで死ぬことはないから、余程のことがないと死なない。でも、今おれたちが五人しかいないのは……。魔物として途方もない時間を生きていかなくちゃいけないことに絶望して、心が壊れてしまった奴が……」
リックはここで口を噤んだ。
言葉にしたくないのが分かる。
自ら終わりを選んだ、ということなのだろう。
リックの仲間たちがその選択をする前に、私はここに来たかった。
……救いたかったな。
「リュシアンはおれたちよりも精神的に追い詰められたはずなのに、今生きている。おれはそれに感謝したいよ」
「本当にそうだね。リュシーは強いね」
リックの言葉に大きく頷く。
決めた。
今すぐリュシーの呪いを解こう。
もう少し体調が万全じゃないと無理かもと弱気になっていたけれど、絶対に呪いを解く!
今やらないと……今解いてあげないと一生後悔する。
「よし、あいつが立ち止まった! 今のうちに捕まえるぞ!」
「うん!」
「いた! あそこだ!」
リックが指差す先には池があった。
そのほとりに小さくてまるいリュシーの姿が見えた。
「リュシー!」
「!」
声をかけると、リュシーは池の中にぽちゃんと飛び込んでしまった。
「え、ええええ!? リュシー!! 早まらないでっ! リック、どどどうしよう!?」
「コハネ、落ち着け。水に入ったくらいであいつはどうにもならない。ほら、そこを見ろよ」
リックが言う場所を見ると、水面がまるく盛り上がっていた。
水と同化してしまって分かりづらいが、リュシーが顔を出しているようだ。
「こら! 馬鹿リュシアン、逃げるな! 早くこっちに来ないと池ごと凍らせるぞ!」
「ちょっと、リック! 乱暴なことはだめだからね!?」
「わかってる! でも、多少強引でもあの馬鹿とはちゃんと話をしないと!」
「うん……」
話をしなければいけない、というのは同じ想いだ。
「……ピ、ププ」
リュシーが何か呟いた。
何て言ったの?
隣にいるリックの顔を見ると、リックはまっすぐリュシーを見据えていた。
「『人間のときからそうだったんだ』って、何がだ?」
「プププ、ピピ……」
「『味覚、触覚、痛覚、色んな感覚――それに感情も……。僕はあらゆる感覚が鈍かった。だから、僕が魔物の中でも、何も感じることがないスライムになったのは納得だった』って……。リュシアン、お前……」
リックと思わず息を呑んだ。
『何も感じることがないスライム』
味覚だけじゃなく、やはり他の感覚も?
何も感じないなんて……本当に生きた心地がなかったんじゃ……。
「プピピププ……」
「『美味しそうな匂いを嗅いで、喜んでいるみんなを見て不安になったんだ。僕は匂いも分からないし、好きだった酒さえ、水や空気と同じで……。だから、コハネに呪いを解いてもらっても、僕はスライムのままなんじゃないかって思って――』って、そんなわけないだろう!!」
思わずリックが怒鳴る。
私も胸が痛くなって、思いきり叫んだ。
「今すぐリュシーの呪いを解くから! それでリュシーはスライムじゃないって証明する!」
リュシーがスライム――魔物なわけがない。
ちゃんと血の通った人間だ。
だって、私はみんなの正体を見ているもの!
「解呪して、人に戻って、みんなでごはんを食べよう! きっと美味しいよ!」
お祝いのごはんが何の味もしないなんて悲しい。
「美味しいね」って、一緒に騒ぎたいよ!
「……プ」
「『僕の解呪は最後でいい』じゃねえ! コハネが解いてくれるって言っているんだ! サッサと来い!」
「ギッ!」
背後から声が聞こえた。
振り返ると、そこにはクレールがいた。
パトリスとエドの姿もある。
みんな心配で追いかけて来たようだ。
さっきから気配があったから、見守るつもりでいたけれど、状況を見ていて出てきたのだろう。
「ほら! 先輩だって早く解いてもらえって怒っているぞ!」
「……ププ」
リックが必死に呼ぶけれど、リュシーは動かない。
「ヒュー!」
「グルル!」
「ほら、副団長と団長の『お前から解いてもらえ!』っていう命令が出たぞ! 命令違反は森百周だ! 干からびるまで走れ!」
「…………プゥ」
渋々、と言った様子だが、リュシーがこちらにやって来た。
水から上がったリュシーを抱き上げる。
「リュシー、人間に戻ろうね」
「…………」
何の反応もないけれど、リュシーから怯えているような気配を感じる。
「大丈夫だから。任せて。私を信じて」
「…………プ」
分かった、と言ってくれたのが分かる。
よかった……。
「グォ! グル」
「団長が『リュシアンを頼む』って」
「もちろん! 私、聖女ですから!」
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